天才マジシャン、異世界転生でショータイム!
七沢楓
第1話「人生は妥協と後悔の連続」
俺は精一杯やったが、精一杯やった程度で人生が思うがままになるのなら、みんな苦労はしていない。
努力して努力して、それでもどうにもならないことがこの世にはあって、でもどこかで妥協して、人間は生きていかなきゃならない。
三〇歳になった時、俺は人生で一番大きな妥協をした。
妥協とは言っても、俺にとって大きな決断だった。
マジシャンを諦めて田舎に帰るか、それとも続けるか。
俺がマジシャンに憧れて貧乏暮らしをしている時、食べ物や金を送ってくれて助けてくれた親父。そんな親父が倒れて、危篤と言われ、何よりもまず安心させてやるのが先なんじゃないのかと思ったし、それに正直言って、潮時だと思った。
後輩がどんどん先に行ってしまう焦燥感や、腐りそうになる心を押さえつけておくのも限界だった。
もういっそ諦めて、楽になりたいという気持ちがあったのも事実だし、そういう意味で、親父の助け船なのかもしれないと思った。
「すんません、師匠……。俺、マジシャン辞めます」
そう言った時の、悲しそうな師匠の笑みが、俺はずっと忘れられない。ふとした時に思い出し、胸がキュッと締め付けられる。
『お前……才能あるのになぁ、もったいねえなぁ……』
そう言って、師匠は何も無かったはずの手から、飴玉を取り出して見せた。今となってはタネも仕掛けもわかるが、始めて見た時は感激したのを思い出して、俺は泣いてしまった。
田舎に帰り、親父のやっていた配達業を引き継ぐと言った時、親父が病院のベットで涙を流しながら、
『最後まで応援できなくて、ごめんな……』
と言ったのを聞いて、俺はまた泣いた。でも、いいんだと。成功できなかったのは俺の所為だし、家業を継げるだけマシなのだ。親不孝だった俺が夢を持ったからだと、下手くそな手品で笑ってくれた親父が死んで、また泣いた。
たまにあるご老人の集まりや子供会なんかでマジックを披露する。そういう、田舎にいる手品好きのおっさんとなった俺の人生は、そう悪くないはずだった。
百点満点ではないかもしれないが、及第点くらいはあったはずなのだ。
それなのに、やはり今でも、華やかなステージに立つ自分が脳裏をよぎって仕方がない。
暖かなスポットライト、黄色い歓声、集まる視線。
そのすべてが懐かしくて仕方ない。
人生は妥協と後悔の連続だ。俺の人生は、マジシャンを辞めた時、満足の行く物ではなくなったのだ。
俺は大事な人と、二人の恩師と別れる時、笑って別れる事ができなかった。
それだけが、ずっと心に残っていた。
しかし、どれだけ誰が傷つこうとも日々は変わらず巡り、田舎の街で配達をしながらマジックを披露する日々が、かれこれ五年続き、俺は三五歳になっていた。
胸の奥がずっと燻っているような感覚にも慣れて、日々を送るのに必死だった。最近は宅配サービスがたくさんあるからか、田舎の配達業でも結構忙しい。
そんなわけで、街灯の少ない暗い帰路を軽トラで走っていた。
結構な量の荷物を運んだ所為で体の節々が痛い。そろそろバイトでも雇うべきか? と、真剣に考えていたら、疲れも考えも頭から吹っ飛んだ。
と、いうより、俺の体が吹っ飛んだのだ。
車線無視の車が、思い切り俺の軽トラと正面衝突してきた。田舎で交通整備も特にされていないし、車線を区切る線とかないから、結構こういうトラブルがあるのだが、まさか自分が巻き込まれるとは思っていなかった。
まるでビンの中に入れられて、思い切りシェイクされたような衝撃でシートに叩きつけられ、次いで、腹が潰れたのを自覚した。あぁ、いま多分上半身と下半身ちぎれたな、と、何故か明確にわかった。
こういう手品あったな、と唇が歪み、俺の上半身が軽トラのフロントガラスから飛び出して、地面に叩きつけられた。
あっけない、あまりにもあっけない死に様で、俺は思わず笑ってしまう。
いや、いやいや、嘘だろ?
俺、このまま死ぬのかよ。嫌だ、こんなウジウジした気持ちのままで死ぬのは嫌だ。師匠も親父も泣かして、最後には俺も泣いているような人生は嫌なんだ。
やりなおさせてくれ、頼むよ。
誰かを幸せにできる魔法が使いたいから、俺はマジシャンになりたかったのに。
涙を瞳に溜め、最後の力を振り絞って、指を弾く。すると、掌には飴玉が現れていた。
俺が最初に覚えて手品。飴玉ではなく、出したのはコインだったけれど。
掲げていた飴玉を胸に落とした時、まるで、その飴玉が俺の命だったと言わんばかりのタイミングで、俺は――三五年の生涯の幕を下ろした。
きっと、俺が観客だったら、ドリンクをステージにぶん投げるような最低の興行だったろう。事実、俺は落胆と後悔で、涙が止まらなかったんだから。
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