飛び込み注意

「今までに聞いてきた思考の中で、一番悪い意味で印象の残ってるものってなんだ?」

「それを私に言わせようとしてるんですか? 最低ですね」

ほんの出来心だったのだが、その鋭い視線はそれ以上の追求を良しとしてくれなかった。

「……ごめんなさい」

「はい」



海だ。9月下旬の海辺には人がおらず、冷たい潮風が如月の髪を巻き上げる。

「北斗さんの髪も、潮風に揺られていますよ」

「そうですか」

それもそうでしょう。近々切らなければ、服装検査に引っかかる長さになってきましたから。

違う。この状況で話題にしなければならないことは、それではない。

「なんで今、海なんだよ」

俺と如月は、砂浜のど真ん中で立ち竦んでいた。空は灰色。海も、どことなく暗い色をしているように見えてくる。とてもじゃないが、海に来たくなる気候とは言えない。

「こんな秋に入りたての寒い気候の時に来るよりも、夏場に来た方が良かったんじゃないか?」

多少の危険が伴うとは言え、彼女ならば縦横無尽に泳ぐことだって出来たはずだ。

「この時期に、どうして海なんか」

彼女は立ち尽くす。

「なぁ」

何も答えない彼女は、突発的に駆け出した。波打ち際へ近づくと、屈んでパシャパシャと海水を弾かせる。その度に丸い水の玉がいくつも宙に浮かび上がっては消えていく。プールでも見られる光景だ。ここはプールではなく、ましてや海水は温かな水ではない。彼女の手は、きっと冷えていく一方だろう。それでも、しばらく彼女は、水へと手を触れ続けた。

やがて飽きたのだろう、立ち上がった彼女が、こちらへ振り返って言う。

「冷たいですね」

「当たり前だろ。気は済んだか? 早く温かい飲み物でも買って帰ろう」

「はい」



「如月!!」

俺が叫んだ時、彼女は既に鞄を投げ捨てていた。次に聞こえたのは、彼女が川へ飛び込む音。嘘だろ、声にならない息が溢れる。助けを求めてきた子たちと俺が呆気に取られている間に、彼女は少年の手を引いて岸へと上がってきた。2人ともびしょ濡れだ。少年らが大丈夫かと心配の声をかけるも、溺れた本人はケロリとしている。彼女の行動が速かったおかげだろうか。

「ほら」

リュックからタオルを取り出し、2人に渡す。

「用意がいいですね」

「連日汗をかくくらいには暑いからな」

まさか汗を拭く以外のことで使うとは思わなかったが。ひとまずといったように顔を拭き終わった如月が、少年に問う。

「少年。家は近いですか? お父さんかお母さんは家にいますか?」

少年はタオルをこちらへ返しつつ頷いた。まだ随分と濡れている。風邪を引かれては困るので容赦無く拭いてやると、ケラケラと笑い声が上がった。

「お姉さんの話、聞いてあげて」

お姉さんという言葉に、顔を見合わせて苦笑する。違和感はあるが、間違ってはいないだろうよ。

「早く家に帰って、お風呂に入って温まってください。2人も、寄り道しないで早く帰ってくださいね」

少年らは一様に頷くと、元気良く感謝の意を述べて帰路に着いた。満足そうにその光景を見つめる彼女を、じっと見つめる。

「子どもにまで敬語なんだな」

「えぇ、まぁ」

「っていうか、いきなり飛び込むなよ。危ないだろ」

「1人だったら考えましたけど、北斗さんがいたので」

「俺だって助けられないよ」

「大丈夫です。北斗さんならなんとかしてくれます」

そう言ってこちらを見てくる視線があまりにも真剣だったので、俺は根拠もなく縦に頷いてしまうのだった。

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