風邪っぴき
「宇佐美さん」
放課後になり帰宅しようと立ち上がった途端に、慌てたような声をかけられた。見れば、クラス委員長である。
「どうした?」
今日も切り揃えられた前髪から覗く眼光が鋭い。
「これ、さっきも言われたから分かるだろうけど、担任のせいで今日配ったのに提出が明日までになってるの。ほかのも集めてるから、如月さんに渡して来てくれる?」
そう言って差し出されたのは、数枚のプリント束。俺に、その役割が回ってくるのか。不満のよぎる頭とは裏腹に、手は素直に束を受け取った。
「はぁ」
「じゃあ、よろしくね」
俺が受け取ったのを良いことに、立ち去ってしまう委員長。残ったプリントを、じっと見つめる。
「……」
見つめていてもしょうがないと、如月にプリントを届けることにした。人への届け物を生身で持ち歩くわけにもいかず、鞄の中へとしまう。
彼女は今日、学校を休んでいた。
○
1度家へと荷物を置きに戻り、彼女へと電話をかけた。ピロリロと鳴る機械音が耳に鳴り響く。
担任が配り忘れていたせいで、プリントの締め切りが翌日という緊急案件。こういう場合、担任が持っていくか、締め切りに融通をきかせるものではないのだろうか。彼女が電話に出るのを待ちながら、不平を思い浮かべる。電話が相手につながった音で、意識が元に戻った。
「はい、如月です」
「北斗だ」
「表示を見れば分かります」
そうですか。
「どうしたんですか?」
「お前宛てのプリントを渡すように頼まれたんだ。今から渡しに行ってもいいか?」
彼女がこほりと、咳をした。本当に風邪をひいているらしい。別に疑っていたわけではないが、電話越しであれその事実を認識すると、なんだか腕に力が入る。
「風邪、移すかもしれませんよ?」
「提出締め切りが明日までのプリントがあるんだよ。最悪、郵便受けの中にでも入れておくから」
「明日も行けるか分からない人間に、そのプリントを渡すんですか?」
「そう思うよなぁ。俺もそう思う」
「とは言え、明日にはおそらく行けるので問題ありませんよ。回数は少ないものの咳が出るので、念のためマスクをつけて来てくれませんか?」
「それなら良かったよ。マスクだな? 分かった。今から家を出るから、ちょっと待っててくれ」
「はい、お待ちしております」
彼女の言葉を受け取り、電話を切った。プリントを入れたままのリュックサックをそのまま背負い、玄関に置いてあるマスクを着用する。そのまま家を出て、彼女の家に向かった。いや、向かおうとして足を止めた。彼女は仮にも病人で、これはお見舞いになる。それならば、なにか気の利いたものでも持っていくべきなのではないか。そう思い、足を運ぶ向きを変えて一番近いコンビニを目指す。そこは彼女に初めて蜜柑のゼリーを買った場所だ。思い出というほどでもないが、一応は感謝するべき場所である。相変わらずレジに近い目立つ位置に置いてある蜜柑ゼリーを購入し、再び如月の家へと向かう。
○
チャイムを鳴らすと、数秒後にマスクにパジャマらしい格好をした如月が出てきた。扉を控えめに開いているところに、パジャマ姿を人へ見せることに対する恥じらいがうかがえる。
「……こんにちは」
「遅かったですね」
「悪い。プリントと、今さっき買ってきたゼリー」
「わざわざ買いに行ってくれたんですか? ありがとうございます。明日は、元気に登校しますね」
「そうしてくれ」
彼女は受け取ったプリントを見ながら言う。
「それでこれは、なんのために提出するプリントなんですか?」
「学校の方針がなんとかってやつ」
「あ、私がサインしていいやつじゃないですね。そうなら楽だったのに」
「ちゃんと親に渡せよ」
そう言うと、ゆっくりと逸らされていく視線。
「いやですね。そんな、親の文字を真似しての提出なんて、したことないですよ」
こんなにも動揺した口ぶりは、わざとなんだろうか。
「その口ぶりからするに、したことがあるな?」
「……1回だけですよ?」
「1回でも、ゼロじゃなければそれはしたことがあるってことだよ」
「あれは事故なんです! 本当に!」
必死に声を上げる彼女に、思わず一歩引いてしまう。
「分かった。お前が元気なことは分かった。なによりだ。じゃあ帰るから。またな」
「内緒ですよ!」
「分かってるよ!」
「それじゃあ、また明日!」
ブンブンと勢いよく手を振る彼女は、本当に風邪をひいたのか若干疑わしかった。
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