くくる日

ほしのかわ、はるか、まこと。

昼休み、彼と同じクラスとなった幹則が教えてくれた名前には、やはり格好の良い漢字が並んでいる。

「ライトノベルの主人公みたいだな」

「主人公があんな露骨にきれいな顔をしているのはいただけない」

「あー分かった。分かったから箸を下ろすな語り始めようとするな!」

俺の制止も虚しく、幹則による熱いライトノベルへの想いと昼休みが終わるチャイムを並行して聞くことになってしまった。そちらの方がいただけないだろう。おかげで午後の授業では、彼が教えてくれた長いタイトルが微妙に思い出せず歯がゆい思いをした。今日は早く帰っているだろうから、夜にメッセージかなにかで改めて聞いてみよう。

「最近は、やけにお早いお帰りですね」

そんなことを考えながらリュックサックに荷物を収めている時に、淡々とした声をかけられる。いつの間にか、目の前に如月が立っていた。思わず、ゆっくりと距離を置く。昨日の今日なので、思考を読まれたくない。彼女はこちらの意図が分かっているのか、口を閉じたままだ。2メートルは、案外遠い。いつもの距離がおかしいのだろうか。感覚がおかしくなって、彼女が隣にいることをおかしいと思わなくなって随分と経ってしまった。もう既になにもかも読まれているかもしれないけれど、自覚した今の自分が無意識のうちに何を考えるかなんて分からないし聞かれたくない。

「ああ。ちょっと、家でやりたいことがあって」

「そうですか。今日は、どうされるおつもりなんです?」

教室から生徒が1人、また1人と去って行く。

「特に何も考えてない」

「じゃあ、久しぶりに私と談笑でもしませんか」

じっとこちらを見つめてくる黒い目。騒がしい空間が徐々に静かになって、離れた位置にいる如月の声がはっきりと聞こえるようになる。非常に魅力的な提案ではあるが、彼女を前にして心が落ち着かない。ああ、とかええだとかの返答にならない言葉が口から漏れ出る。彼女の徐々に小首を傾げていく動作が可愛らしい。違う。違わないけどやめろ。素直になるんじゃない。

「お邪魔します」

がらがらと扉を開く音に振り返った。星川が早足で入ってきて、俺と如月の間で足を止める。

「お邪魔します」

「なんで2回言うんだよ」

「1度目はこの教室に、2度目はお2人に対して言いました」

律儀なのか嫌みなのか。彼の口調が明るくさわやかであるせいで悪意を読み取りづらい。

「1つ、お聞きしたいことがあるのですが」

「はい。なんでしょう」

「どうして私の前では、敬語になってしまうんですか?」

確かに彼は知り合いらしい人間の前では敬語ではなかったし、俺の前では厨二病を煩っているような口調で喋った。だというのに、如月の前では敬語で話している。敬う語と読んで字の如く、敬称も相まって彼女に敬意を払っているのだろうか。そう思っている内に、彼の耳がどんどん赤くなっていく。照れてしまうような理由から敬語になっているのか? だとしたら、思いつくのは1つしかない。理由はきっと如月だ。

「ちょっとそれは、如月さんが相手であっても答えかねます」

如月さんの前だからこそ答えられない案件だろう。彼女には思いっきり赤面している星川が見えているはずだ。反応が分かりやすすぎて、思考なんか読めなくても如月のことが好きなんだということが伝わってくる。

「それよりも、座って話しませんか? 自分たちの他は、みんな帰ってしまったみたいですし」

「そうですね」

彼女は不思議そうに星川を見たが、それ以上は追求しなかった。星川は俺の隣に、如月はその前の席に座る。帰るべきかもしれないと思ったが、談笑ならばと思い席へと着いた。ちらりと星川を見るも、彼には如月しか見えていないらしい。こちらには目もくれず、きらきらした瞳で如月を見つめている。なんだか見ていられない。なにか喋らなければという思いに駆られ、気になっていたことを問いかける。

「……そういえば、今は誰の思考も聞こえてないんだろ? 一時的とはいえ、感覚としてはどうなんだ?」

「それは、能力を遮断している俺も気になります。大丈夫ですか? ちゃんと遮断、出来てますか?」

不安げな表情を浮かべ、少し前のめりになりながら質問を追加した。

「遮断は、ちゃんと出来ています。とても静かですね。なんだか落ち着かないくらいです」

「やっぱり、慣れない感覚には戸惑ってしまいますよね。少し離れましょうか?」

「いえ、大丈夫です。今はこのままでいます」

彼はなにかを言いたげだったが、彼女が再び大丈夫であることを告げると、開いた口を1度閉じた。

「分かりました。では、こちらからもう1つ、質問してもいいですか?」

「どうしました?」

「もう少し早く僕があなたの元に戻れてたら、あなたは振り返ってくれましたか?」

突然の問いかけに、目が丸くなるとはまさにこういうことだろうと理解する。

「どうしました。そんな話、あなたらしくもない」

如月がそう思ってしまうのも無理はない。少ししか話を交わしていない自分でも、そんな後ろ向きなことを滅多に言う人間ではないと思っていた。

「そんな視線を見てしまったら、もはや僕には勝ち目がないと分かってしまいました。だから、もしもの話をさせてください」

そんな視線、って。彼に見えていた視線は、一体どのようなものだったんだろう。如月はしばらく考えた後、重たそうに唇を開いた。

「私は、能力が阻害できるからといって人を好きになったりはしませんよ」

「そうですか。分かりたくはないですけど、分かりました」

立ち上がった彼と、視線がかち合う。瞬間、鋭い目で睨まれてしまった。

「いくら如月さんが認めていようと、俺はお前を認めないからな。鈍感ラノベ主人公みたいな立場に甘んじるな。早く腹をくくれ、みっともないぞ」

如月本人の前だから大丈夫だろうと高をくくっていた自分は、あまりの言われように唖然としてしまった。『鈍感ラノベ主人公』に何も反論できないのが悔しい。彼は背を向けて毅然と去っていく。如月が立ち上がった。一寸遅れて俺も立ち上がった時、彼はその場で足を止める。

「ああ、勘違いしないでくださいね。俺はまだ、完全には如月さんを諦め切れません。クラスは違いますが、困ったときはいつでも頼ってきてくださいね。なんでも相談に乗りますし、場合によっては実力を行使しますから」

星川はそう言い残すと、教室から去って行った。彼の言葉の端から滲む感情を想うと、しばらく彼の去った方向から目を逸らすことが出来なかった。留まらなければ良かったと思っても後の祭り。いいや、きっといつかはこうなっていたに違いない。そう思わずにはいられなかった。

彼は言った。腹をくくれと。彼は去った。諦め切れないと言い残して。

とうとう、後には引けなくなった。

「如月」

「はい」

「今から、腹をくくります」

「……はい」

「俺は、如月那緒さんのことが好きです」

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