8月30日の奇跡

王子か、と思ったのはその性質からだけではない。彼の顔は、王子と呼んでも違和感がないくらいに美しかった。脳内で如月と彼を隣に並べてみる。並んだ途端、服装は制服から一転してファンタジーの王子と姫となり、青空の背景と光るエフェクトも追加されて映画のワンシーンのような光景が浮かんできた。……いや、これは自分が今やっているゲームのオープニング映像だな。ああ、ゲームだ。早く帰らないと。

「そう。じゃあ、俺はこれで」

問いに答えた自分にもう用はないだろう。足を進めようとしたところ、彼は目の前に立ちふさがった。

「しばらく見ないうちに、景色がずいぶんと変わってしまった。高校まで、案内してほしい」

「はぁ」

彼がここをいつ離れたのかは定かでないが、確かにこの通りは数年でいくつかの店が移転や閉店を繰り返している。毎日行き来する自分にとっては代わり映えなく見えるが、彼にとってはそうではないようだ。

「仕方ないな」

ここまで帰っていながらまた往復するのかという不満が、ないわけではない。しかし、この青年が彼女の王子になってくれるのかもしれないというのなら、手間を惜しむべきではないだろう。

回れ右。

横というよりは少し後ろから送られる強い視線を感じながら、本日2回目となる学校への道を歩く。こちらの様子を盗み見る相手を同じように盗み見ながら、そう言えば一方的に名前を知られてはいたけれど、自らは彼の名前を知らないままであることを思い出した。

「ところで、名前は?」

上手い切り出し方が思い浮かばず、素直に問いを投げかける。

「星川悠真」

口調から棘を感じるものの、存外あっさりと答えが返ってきた。ほしかわゆうま。漢字まで聞こうとは思わなかったが、想像できる文字群は大体格好の良い漢字だ。名前まで格好いいのかよ。彼の顔を見る視線に、嫉みが混じる。こちらの視線に気付いたらしい彼は、不敵に笑った。『そういう視線は浴び慣れています』。きっとそういうことを主張したいのだ。視線を逸らし、前を向く。

「どうして、俺の名前を知っているんだ?」

「こちらにいる知り合いに、如月さんの様子を教えてもらう際に知りました。それが1学期……まだ、夏には入ってなかった頃の話です」

先ほどの威圧的な口調ではなく、接触時と同じような柔らかい敬語で話し始める。制服のピンバッジを見るに同学年のはずなのだが、如月に敬称を付けたりとキャラクター性が掴めない。

「その知り合いはなんの関係?」

「中学での同級生です。中学までは、如月さんと同じ学校に通っていたので」

なるほど。つまり、高校は別のところに入学したのか。意外にも離れていた期間は短いらしい。

「知り合いはなんと?」

「如月さんと……宇佐美さんは、友人のようであり恋人のようであり、その実なんの関係もないような雰囲気を持ちながら、常に2人一緒にいる、と」

節々から俺に対する怒りや憎悪などが伝わる口調で、最後まで説明はしてくれた。随分と詩的な表現に、思わず面食らう。それはその友人独自の解釈なのだろうか。そうであってほしいと、願わずにはいられない。

「それを聞いて僕は、自分の中にある如月さん像と照らし合わせました。そして、1つの結論にたどり着きました。あなたは如月さんの能力をある程度は阻害できる。そうですね?」

肯定することが分かっているとでも言いたげに、彼は1人頷く。

「理解した途端に、悔しさから思わず涙がこぼれました。俺はその時点では、阻害するための力が未完成でしたから」

「未完成でした……?」

未完成というのは、彼女の能力が阻害できない状態のことだろう。少ない会話の中でも、彼が如月に向けている感情が並のものではないのは理解できる。当然、そのまま未完成だった場合は、帰ってこないだろう。

「はい。ですが悔しさがバネになったのかなんなのか分かりませんが、8月の30日にようやく完成させることが出来たのです! あの日のことは、今も鮮明に思い出せます!」

しかし彼は帰ってきて、阻害する術を手にしたのだと言った。彼はもともと、如月の能力を阻害できなかったということになる。出来なかったからこそ、身につけようとしていた?

「そういった類いのものは、身につけようとしてつけられるものなのか?」

「秘匿技術なので、教えられません」

「……もしかしてお前は、如月さんのために、今まで別の場所に行っていたのか?」

「そうですよ。そうじゃなきゃ、彼女に悪い虫がつかないようにそばにいますって」

軽く笑いながら話す彼の目の奥は、予想通り全く笑っていない。悪い虫はお前だ。目は口ほどにものを言ってくる。

彼は如月のことを、心の底から想っている。想いすぎていると言ってもいい。

もちろん、どこにそんなピンポイントな能力に関することを教えてくれるところがあるのか、本当に彼は能力を手にしたのか、詐欺に遭っているのではないかといった不安や問題点がいくつも思い浮かぶが、こんな人間を彼女に会わせてしまうことがなによりの問題である。彼を王子と呼ぶには、あまりにも邪悪だ。最初に激昂した時点で気がつくべきだった。……いや、ここまでを理解するのは無理だろう。

もはや校舎は目前に迫っており、引き返すことも出来ない。どうしたものか。混乱して何も思い浮かばない俺の目に入ったのは、校門から出てきた人影。手を振られて、それが小坂であることに気が付いた。彼女はこちらへと歩み寄りながら、後ろにいる人物に声をかけている。友人らと馬鹿にされているのかと思いきや、続けて出てきたのは渦中の人物、如月那緒だった。如月と視線が重なる。視線は俺の後ろへと動き、かすかに揺れる。

如月はなにかを呟きながら、露骨に嫌そうな顔をした。彼女にしては珍しく、誰が見ても嫌そうにしていることが分かる程度には表情が動いている。

「如月さん!」

走り出した彼を止めるほどの瞬発力も速さも、俺には備わっていない!

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