夢の中の日

『私のこと、お嫌いでしたか』。

脳内で言葉を繰り返す。それじゃあまるで、お前は俺がこの提案を拒まないと思っていたみたいじゃないか。俺がお前に、友情以上の感情を持っているみたいじゃないか。

「俺は」

掠れた声は続かなかった。

「それじゃあ私はお邪魔のようなので、これで退散しますね。ごゆっくり、悩んでください」

あからさまな丁寧語のくせに、語尾に音符でもつきそうなほど軽い口調でそう告げると、小坂さんはそそくさと教室を出て行ってしまった。目の前には、黒い目で俺を見つめてくる如月那緒。その目に映るのは、ひどい目をした俺の顔。離れようと足を下げると、彼女が足を進める。

「俺は、なんです?」

壁と挟まれるわけにはいかないと、仕方なくその場に立ち止まった。呼吸を整え、あ行を言ってみる。いつもの喋り方を思い出したところで、1つ咳払い。

「俺は、お前のことを嫌いじゃあない」

「そうですか」

「そして、出来ることなら協力してやりたいとも思っていた」

「はい」

「でも、これは出来ない」

「どうして?」

表情も声色も変わらないところが、逆に恐ろしい。

「俺の声は聞こえ続けるなんて、リスクが大き過ぎる」

彼女はキスを、いや、他の人の声が聞こえなくなることを望んでいる。

「さっきも聞きました。他には?」

その方法は、きっと少ない。

「キスという行為は、きちんと段階を踏んだ上で好きな人とするべきだ」

もしかしたらもう見つからないかもしれない可能性を潰すことに、罪悪感はある。

「他には?」

それでも、ここでキスをしてしまったら、取り戻せない何かのほうが多いはずだ。

「例え俺がお前を、お前が俺を好きだったとしても、いや、好きならば尚更。こんななし崩しで行為に及ぶなんて、以ての外だ」

他には、という言葉への反論を思い浮かべたが、それ以上の追求はされなかった。

「別の方法を探そう」

返答はない。彼女の表情からもなにも読み取れず、しばらくは部活動の活気ある声に意識を取られる。俺も青春のために部活動をしようか、いやいや今更入ったところでと悩み始めたあたりで、彼女の笑い声が耳に響いた。

「真面目な北斗さんなら、そう言うと思ってました」

それがあんまりにもからかうような笑い方だったので、真剣に考えた自分への恥ずかしさが込み上げてくる。

「試したのか?」

「いえ、私は本当にやっても良かったんですけど、気が変わりました」

『やっても良かった』。

彼女の言葉に、息が詰まりそうになる。気が変わりましたと続かなければ、きっと声を荒げていた。

「世の中には、本当に私の能力を阻害してくれる人がいるかもしれません。その『王子様』に出会えるまで、私はまだ、夢の中にいます」

彼女の目には、はっきりとした希望の色が浮かんでいる。混じり気のない、明るい色だ。良かった。安堵からため息をつく。

「見つけたら逃すなよ、絶対」

「えぇ、もちろんです」

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