ミカンの日
「読めるか、これ?」
幹典に渡されたメモ書きを、彼女にも見えるよう机の上に置いた。時間と集合場所である俺たちのクラス、その横に示された来るべき生徒の名は『小坂観々』だという。
「カンカンじゃないんですか?」
「パンダじゃあるまいし、それはないだろ」
「分かりませんよ。世の中には、一般人には思いつかない漢字の読み方をする人間が、いくらか存在しています」
「それは知ってるけど、そうなるともう俺みたいな人間には想像がつかないんだが」
「『ミカン』」
「こんな時に食べ物の話をするな」
いや、こんな時だからだろうか。
「違う違う。それの読み方だよ」
「……これで?」
「そう。ミカン。私の名前。良い名前でしょ?」
自己紹介をしながら入って来たのは、確かに見覚えのある姿をした女子生徒だった。時計を見れば、約束の時間を過ぎている。他に誰も入って来ていないので、幹典が呼んだのは彼女で間違いないようだ。
「……貴方が、小坂さんですか」
「わざわざ言い直さなくても、ミカンでいいのに」
「そうなんですね?」
「そうだよ。ところで如月ちゃん、今日は蜜柑持ってないの?」
からかうような口調で、彼女は確かに如月の蜜柑を食べた犯人であったと確信する。当の本人は、持っていても貴方の目の前には出さない、という強い意思を感じさせる目をしていた。
「まさか貴方がそうだとは思いませんでしたよ」
ある程度は、根に持っているらしい。そんな如月に構うことなく、小坂さんは笑っている。
「あの時はごめんって。ちょうどいい機会だから話そうと思ったんだけど、蜜柑は美味しそうだったし、アルベドは食べるって言うし、2人ともずっと一緒だし。言うにも言い出せなくなっちゃって」
「ずっと一緒は余計だ」
「事実じゃん?」
「それはともかく、本当に貴方が超能力に精通しているんですか?」
「してるしてる! これまでにも動物と話す先輩、幽霊と話す後輩エトセトラの悩みを解決してきたんだからね!」
あまり信用出来ない主張の仕方だが、本当に実在したのならこの世界は都合が良すぎる。1つの学校に3人も、いや彼女を含めると4人も能力者がいるだなんて、漫画の世界じゃないんだぞ。俺の不満を感じ取ったのか、目の前に如月の手のひらがやってくる。口を閉じろということらしい。口は閉じているのだが、彼女にとっては似たようなことか。
「では聞きます。私のこれは、どうにか出来るものなんですか?」
「出来るけど、少しだけ出来ないんだよね」
「少しだけ?」
「今も、そこの彼の思考は聞こえてるんだよね?」
「……そうですね」
「私が教える方法は、至ってシンプル。能力を阻害する人間が、その能力を持った人間とキスをする。それだけ」
「キッ……」
思わず声をあげそうになった口を手で抑える。小坂さんだけは少しだけこちらを振り返り、ニッコリと輝かしい笑みを見せてきた。わざとらしい。
「すると、どうなるんです?」
如月の問いに、視線が俺から外れた。
「能力の阻害が、彼を離れても持続するようになる」
「あぁ、なるほど。それをしたところで北斗さんの思考は聞こえてしまうから、少しだけ出来ない、と?」
「そういうこと」
「先輩さんと後輩さんの能力は、きちんと阻害出来る人がいたんですか?」
「ううん。その人たちはまた別の悩みだったから、阻害出来る人がいなくても済んだんだよね」
「……まぁ、聞こえる対象が対象ですからね。その必要がないのかもしれません」
如月がこちらを振り向いた。どうですか、視線が問いかけてくる。こんな時まで、落ち着いていられるんだな。
「俺に聞くことじゃない」
「どうですか、北斗さん」
どうしても俺の答えが聞きたいらしい。俺に言えるのは1つだ。
「他の方法を探そう」
そんなリスクを背負っても、すべて聞こえなくなるわけじゃないのなら。
彼女は、驚いたように目を見開いた、ように見えた。
1つ、ゆっくりとした瞬き。
「私のこと、お嫌いでしたか」
彼女の顔に表れた感情は無。黒い瞳は、じっと俺を見つめる。
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