傘の日

「北斗さん」

「なんだよ」

「私の声、届いてますか?」

「あぁ、しっかり届いてる」

「届いてはいても聞き入れてもらえていないようなので、何度も言います。ちゃんと自分の方に、傘を寄せてください」

「寄せてる」

「寄せてないから、肩が濡れてるんじゃないですか。入れてもらっている身の私が濡れるのは一向に構いませんけど、傘の持ち主である北斗さんが濡れてしまうのは不本意です。これ以上この状態を続けると言うのなら、私は走って帰ります」

「そんなことしたら風邪ひくだろ」

「そのまま濡れていたら、北斗さんだって風邪をひいてしまいます」

「お前に風邪ひかれたらこっちが困る」

「私だって北斗さんに風邪をひかれると困りますよ。お願いですから、きちんと雨から身を防いでください」

「防いでる」

「自分の左半身が見えますか?」

「見えてる」

「濡れてるのが見えますか?」

「気のせいだろ」

「強情ですね。さっきから一切の思考が読めませんけど、そんなに私と傘を共にするのが嫌なんですか?」

「おっ、北斗と那緒ちゃんじゃん。今から帰るの?」

「幹典じゃないですか。帰宅途中に会うなんて珍しいですね」

「今日は雨だから、自転車じゃなくて徒歩で来たんだよ」

「あぁ、なるほど。自転車で雨の中を走るのは、大変そうですからね」

「そうなんだよねぇ。ところで那緒ちゃん、もしかして傘忘れちゃったの?」

「えぇ。朝の天気から、雨になるとは思わなかったので」

「すごい晴れてたもんね、無理もないよ。俺の折りたたみで良かったら貸そうか?」

「是非、お願いします」

「んじゃあはい、これ。返すのはいつでもいいよ。こっちのクラスに来づらかったら、北斗にでも渡してくれればいいし」

「ありがとうございます。北斗さん、自分の傘なのに自分の方に寄せてくれないから、申し訳ないと思っていたんですよ」

「北斗はそういうやつだからね」

「そうなんですけど」

「うるっさいな」

彼女はゆっくりと傘を開き、俺の傘から出ていった。解放感がある。傘はやはり1人用だ。自然と速くなった足を動かし、彼らから遠ざかる。彼らはそのまま、俺の後ろで話を始めてしまった。雨の音でうまく聞こえない。時折「ホ」「ク」「ト」という3文字が聞こえてくるけれど、様々な単語の羅列が断片的に聞こえてきているだけだろう。きっとそうだ。そうに違いない。

「本当に嫌だったら、入れてないだろ……」

ふと口をついて出た言葉は、我ながら滑稽だと思った。後ろには届かないと分かっていて、そんなことを言うだなんて。まったく、なにを意識しているんだか。

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