振り返りの日

カラオケ。俺と如月が一緒に行くべきではない場所だ。通された個室は狭い。絶えず、すべての思考を読まれてしまっているのだろう。

いつものことか。

目の前にある緑茶のグラスに水滴が流れていくのを、現実からの逃避として見つめる。その先にいる彼女は、果たしてどんな顔をしているのか。最後に見たのは、きっと1分前くらいだ。時の流れが遅く感じられ、ひどくもどかしい。

「……振り返りって、なんだよ」

呼ばれて来てしまったのは戻りようのない事実である。渋々と受け入れ、顔を上げた。出会い頭に言われた言葉に、問いを投げかける。

「そのままの意味です。学校行事にしては珍しく楽しかったので、思い出を語り合いたいなと思いまして」

「クラスの打ち上げに行けよ」

「いやですね。そんなの行くわけないじゃないですか」

いい笑顔で言われてしまった。同じく不参加なので同意はするが、納得はしない。

「それで? 大して話せそうにもない俺をわざわざ呼んだのかよ?」

「ここの料金は私が持ちますから」

「そういうことをしてほしいんじゃなくって」

「とりあえず、一曲歌いませんか?」

「そういう流れだったか?」

曲を入れる機械を差し出され、咄嗟のことに首を横に振った。彼女はそうですかと頷き、自らが曲を検索している。状況は兎も角、彼女がなにを歌うつもりなのかは気になったので画面を覗き込んだ。表示されるのは。流行りの女子的恋愛観を歌った曲名。へぇと感嘆が溢れる。

「校歌でも歌い出すかと思った」

「校歌は入っていないので歌えませんね」

「入ってたら歌うのか」

「分かりません」

「分かりませんって」

彼女は歌が下手だった。リズムはある程度合っていたので曲を知らないことはないのだろうが、音程がめちゃくちゃだ。表示された点数は半分以下。

「……調子が悪いですね」

驚いたことに、彼女はマイクの調子を心配しているようだ。連続して聞く歌声ではない。

「振り返り、するか」

気が付けば、そんなことを口走っていた。狙っているのか、いないのか。

「まず文化祭1日目ですが、5組のプラネタリウムは良かったですよね。とても後輩が作ったとは思えないほどの出来でした」

「そうだな」

「私としては、2組による日本の伝統の食事サンプルの展示が好きでした。出来は拙かったかもしれませんが、文化祭らしいテーマでしたし」

「確かに」

「文化祭2日目は、なによりも幹典の演技が良かったですよね」

反応が薄いと思ったのか、早い段階で日付が変わる。確かに、幹典の演技は飛び抜けて良かった。

「2日目はそれしか覚えてない」

「えぇっ。じゃあ、普段温厚な湖中さんが厳粛な母親役で出ていたというギャップも覚えてないんですか?」

「湖中さんって誰だよ」

「お得意のギャグを披露してダダ滑りの瀬良さんのことも覚えていませんか?」

「お前はなんでそんなに微妙なところばっかり覚えてるんだ」

よくもまぁ、そんなにつらつらと名前と出来事が出てくるものだ。

「普段から、名前だけはよく聞くので」

「あぁ、そういうことか」

「あの」

「うん」

「……1日目に戻りますね?」

「どうぞ」

彼女はこちらとの相互理解を諦め、強い熱を持って振り返りを始めた。相槌だけは打っていたものの、内容の半分も覚えていない。しかし、人に楽しかったことを話すのは良いことだ。表情が生き生きとしている。

「……以上で、振り返りは終了です」

やがて彼女は、そう宣言した。頰は紅くなり、興奮しているのがよく分かる。

「お疲れ様」

飲料を勧めると、一気に飲み干してしまった。調子が良くなったのか、再び機械へと手を伸ばされる。もう好きにしてくれ。

「北斗さんは、振り返って思うことはないんですか?」

「白雪姫、お前がやった方がよっぽど良かったと思う」

少しだけ彼女が思考する空白が入ったあと、新しい曲のイントロダクションが鳴り始めた。わざとらしいため息が、マイクを通して部屋に響く。

「いまさら何を言うんですか。私以外の人には、声をあげなければ届きませんよ」

彼女はこちらを振り向かない。

「私であっても、遠く離れていては届かないというのに」

歌い始めた彼女を横目に、俺は自らが歌える曲を検索した。

ない。

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