投げノートの日

4限目の終了を告げるチャイムが鳴った。昼休みだ。担当教師が教室から退出したのを確認、脱力して背もたれへと体重をかける。昼食後は眠気に襲われるが、昼食前は空腹に襲われて敵わないな。

パシッ。

何かが叩きつけられる音が響いた。先ほどまでとは打って変わり、緊張感に満ちた教室。弁当を取ろうと伸ばした手が、瞬時に引っ込む。

「知ってるか、これ」

音の方を見れば、見知らぬ男が如月の席の前に立っていた。スリッパの色からして、おそらく先輩だろう。周りは、恐れつつも傍観する者、厄介事はごめんとでも言いたげに立ち去る者に分かれた。先日、彼女と交わした会話を思い出す。俺は盾として彼女を庇うためにも、その場でひっそりと立ち上がった。

「お前が人の思考を読めるなら、俺の言いたいことは分かるよな」

如月は答えない。じっと、男の顔を見つめている。その表情には、やはり切なさが浮かんでいた。見ようによっては、哀れみにも見えるだろう。それをどう受け取ったのか、男は苛立った口調で続けた。

「このノートをお前が持っていたという話を聞いた。もしもこれの持ち主がお前ならば、少しでいい、話をしよう」

何を話すというんだ。その態度で迫るのは、もはや脅迫と言っていい。如月は表情を崩さず、まだ口を開かない。

「もし違うのだとしても、誰が書いたか知ってるんだろう? 教えろ、今すぐに」

「言いません」

やっと出た言葉がそれか。クソッ。その言い方だと、持ち主を知っていることを否定していない。相手の表情に、怒りが露わになる。

「なんでだ」

「言わないと、約束しましたから」

変なところで律儀だな。元々はそのノートを作成し、きちんと所持していなかった人間が原因だろう。状況が状況だ。相手は先輩、しかも体格の良い男。この前みたく暴力に訴えられたらどうすればいいんだ。俺にだって、勝てる自信はない。

「このノートを見て、異質だと思わなかったのか?」

周りの目が、そろそろ出て行くべきではないのかと俺を急き立てる。

「思いました。思いましたが、人の思いの形は様々でありどれもが異質です。もしも自分が所持しているのが苦痛なのでしたら、私が処分しましょうか?」

なんならのキッカケで好転しないだろうかと思う俺を差し置き、如月は首を傾げた。

「そういうことが言いたいんじゃない!!!」

痺れを切らした彼が、如月の机を強く叩く。如月は肩を震わせたが、それでもなお無表情だ。それも気に食わないんだろう彼は、机を横へと力強く払う。これ以上はヤバイと判断した俺は、間に割り込んだ。

「待ってください」

彼女を庇うように手を広げて立つ。

「あ? 如月那緒の金魚の糞は引っ込んでろよ」

そ、そんな風に思われているのか、俺は。

「どうしてだ? どうして、色恋にはそのチカラを使って協力しておきながら、こういうのには協力しないんだ? その線引きはなんだ?」

言葉を失って彼へ発言権を譲ってしまったが、大体分かった。彼はまだ如月が恋のキューピッド稼業を続けていると思っているんだ。学年が違うと情報伝達速度は落ちるだろうから、致し方ない。

さて、切り返せるか。

「俺は、そのノートの持ち主を知っています。俺も口止めされましたが、事の次第によっては口を割ります」

「なら」

「ノートの持ち主を知って、どうするつもりですか」

言葉を遮り、彼の目を見つめる。彼の澄んだ瞳には、俺の澱んだ目が写っている。生気の無い目だと、いつかの誰かは評した。

「詰問しますか、糾弾しますか、軽蔑しますか。それとも、そこに記された好意を受け取りますか?」

「こ、好意?」

「えぇ。あなたのいるそこは、恋愛沙汰というやつです」

「なら、なおさら!」

「現在、すべての依頼をお断りしております。お願いですから、お引き取りください」

太ももに爪を立てて恐怖を殺しながら、先輩の目を見つめ続けた。彼の目が揺れるたびに、それを追いかける。普段よりもずっと追いかけやすい目だ。顔色の悪くなった彼は唇をわなわなと動かして何かを言おうとしている。

「……クソがっ」

終いには、飛び出すように教室から出ていった。勢いよく閉められた扉が、反動で半開きになる。残暑のある今の時期は、放置していいだろう。

「北斗さん」

「はい」

「彼女は、彼には好意を向けていませんよ」

「へぇ?」

ノートに記された名前の持ち主はさっきの先輩だと思っていたが、どうやら違うらしい。ということは、彼女は別の人間に好意を向けているのか?

「三角関係?」

「四角関係です」

「……はぁ?」

また、厄介な物事を呼んできたものだ。一体、どういう矢印でその関係は構成されているのだろうか。知りたくも無いし、知らない方が身のためだろう。

「何はともあれ、ありがとうございます。お礼に、蜜柑でもどうですか」

オレンジ色のそれを、今回は丁重に受け取ってみる。はじめて彼女から貰った蜜柑は、ひどく酸っぱかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る