花火の日

リチウムは赤、ナトリウムは黄色、カリウムは紫、その他数種類。それらの炎色反応を用いることで花火に色を持たせ、空に様々な美しい花を咲かせている。

そう、花火だ。

花火大会である。

言っていた通り前日に誘われ、予定も無かったので承諾した。空調の効いた部屋の中で、花火の音を聞くだけになったのはいつからだろうか。なんにせよ、久しぶりに行く祭りであることに変わりはない。日が沈んだというのに未だ蒸し暑さの残る公園で、虫刺されスプレーの匂いに包まれながら彼女を待つ。

花火目的の人間が、何度も目の前を通り過ぎていった。予定していた待ち合わせ時刻は7時。何度スマートフォンの時計を見ても、予定の時刻をとっくに過ぎている。少し前に送ったメッセージには反応がない。なにかあったのだろうか。夏場の、お祭りの日。しかも、暗くはないが夜である。変なことに巻き込まれていないかと、気が気ではない。もう一度メッセージを送るか、電話をかけるか。連絡先を見つめながら考えていると、彼女の名前で電話がかかってきた。着信を許可する指が震える。

『はい、もしもし。宇佐美ですが』

『北斗さんですか? 如月です』

『どうした? 大丈夫か?』

『すみません。時間を間違えていました。少し遅れます』

彼女はそう言って通話を切った。通話終了の文字列が並ぶ。短い会話だったが、聞こえてきた音声に違和感があった。具体的にいうと、彼女の声に混じって、自分の声が聞こえたような気がする。

まさか、そんなはずは。半信半疑で振り返れば、遊具の影に見覚えのある顔が見える。

「如月?」

「あっ」

「あっ、て」

彼女はそのまま振り返って走り去ろうとしたが、すぐに追いつけてしまった。俺が目の前に現れると突然立ち止まり、うずくまってしまう。

「おい、どうした?」

顔は上がらず、返事もない。

「体調が悪いなら、無理しなくてもいい。帰るなら送る」

「違うんです」

ハッキリとした口調だ。嘘とは思えない。

「体調は、悪くないんだな?」

「はい、特には」

なら、ひとまず安心だ。

「じゃあ、どうしたんだよ」

「浴衣だと、浮かれ過ぎかと思いまして」

「浮かれ過ぎって」

言葉の通り、彼女は綺麗な浴衣を来ていた。空色に赤い金魚が泳いでいる柄だ。髪型は上にまとめられており、花の飾りが揺れている。それに合わせて下駄を履いていたために、走り去ろうにも速度が出なかったらしい。

「とりあえず、立てるなら立て。せっかくの浴衣が汚れるだろ」

手を差し伸べると、彼女は顔を上げてじっと手を見てくる。視線で早くしろと急かし、彼女を立ち上がらせた。手に持っているのは巾着か。如何にも、夏祭りのために用意された服装といえるだろう。

「その格好が、急に恥ずかしくなった?」

多分、夏祭りといえば浴衣だと思い着てきたものの、着ている人が想像以上に少なかったので羞恥心を抱いてしまったってところか。遅れますと連絡を入れ、着替えてくるつもりだったんだろう。きっとそうに違いない。

合わない視線を追いかける。徐々に紅く染まっていく頬。追いついた視線。観念したのか、彼女は小さく頷いた。

「別に、恥ずかしがることはないだろ」

浴衣を着ている人間がいないわけではないのだし、何より。

「似合ってますか?」

「……それは、俺の口から言うことじゃあないんじゃなかろうか」

もっとこう、親しい人から言われるものではないんだろうか。そう、恋人とか。今度は俺が視線を逸らす番になり、すぐに追いつかれた。

「あぁ、もう」

ギュッと、パーカーの裾を掴まれる。逃してはくれないらしい。

「綺麗だよ」

なんの雰囲気も出ないように吐き捨てた。彼女は、愉快そうに笑っている。一体、何が愉快で笑っているのか。

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