パンの日

自らの愚かさに嘆きながら、階段を上がる。最上階付近で、彼女の影を見つけた。スリッパの音で気付いただろう彼女がこちらへ振り向き、視線が重なる。

「こんにちは」

「こんにちは? どうしたんですか、こんなところに来るなんて。いつも、お昼を共に過ごされてる方は?」

こちらを心配している視線から目を逸らしつつ、彼女と同じ段、少し離れた場所に腰を下ろした。

「原稿で忙しい」

「原稿?」

「同人誌の原稿。明日が入稿締め切りなんだってよ」

目線は階段へと向けるが、意識は彼女の手元へと集中させる。まだ何も置かれていないし、持ってもいない。

「よく分かりませんが、それはお昼を削ってまでやるべきことなのでしょうか?」

「気にしないでいい、自業自得だ」

「そうですか。それで、北斗さんはどうしてここへ?」

「弁当を分けてください」

階段へと座り込み、頭を下げる。埃に満ちた廊下だろうが、気にしてはいられない。

「本当に図々しいと、自分でも思っている」

だが、弁当がないことに気付いて購買へと駆け込んだ時には、既に商品はすべて無くなっていたんだ。購買がこんなにも戦争だとは知らなかった。

「無理を承知でお頼みします。ご飯だけでいいから分けてください」

仮にも男子高校生である自分が、このまま午後を乗り切れるとは思えない。

「もしかして北斗さん、他に友達いないんですか?」

「今更かよ」

別に避けられているわけではないが、お弁当を分けてくれ、と頼めるほど懇意に接している友人は幹典以外いない。

「今回はその幹典すら頼れないので、あなたを頼りに来ました、如月さん」

「その呼び方も、その姿勢もやめてください」

目からして切実な訴えだ。こういう時だけ猫をかぶるなと言いたいのだろうが、横柄なまま頼めるような精神状態ではないのだ、察してほしい。

ため息まじりに、彼女は言う。

「仕方ありませんね。今日はパンを3つ持って来ているので、2つ分けてあげましょう」

「2つもくれるのか」

「仮にも男子高校生、なんでしょう?」

……これは、からかわれるネタを増やしてしまったかもしれない。しかし、この状況では仕方ないだろう。俺は顔を上げて、姿勢を正した。

「帰りにコンビニで蜜柑ゼリー、買ってくださいね」

「分かった。10個くらい買おう」

彼女は少しだけ頰を緩める。ペチペチと頰を叩いて緩めたという客観的事実を否定しつつ、鞄へと手を伸ばした。そして差し出されたのは、メロンパンとチョコパンと……?

「パニーニです」

「パニーニ」

聞いたことのない名前だ。

「由来とかは知らないので、気になったら後ほどインターネットなどて調べてください。ハムとチーズとトマトが入ってます」

サンドイッチみたいなものだろうか。興味は唆られるが、食べたいかと言われると悩んでしまう。

「で、どれにしますか?」

「こういう時は、如月が先に選ぶべきだと思うけど」

「私はどれも好きなので、北斗さんが食べれる物を選んでください」

「……じゃあ、メロンパンとチョコパンで」

「パニーニじゃなくて良いんですか?」

「パニーニは得体が知れないから、食えなかった場合困る」

「分かりました。はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

メロンパンとチョコパンを、恭しく受け取った。食物にありつけた安心からか、普段より数倍増しで美味しそうに見える。

「あっ」

「なに?」

「昨日買ったものなので、ちょっと硬くなってるかもしれません」

「昨日なら大丈夫だろ。んじゃあ、いただきます」

「……いただきます」

小さな声で、彼女もそう続けた。

美味しい。以上だ。

「いつもここで食べてるのか?」

「はい。『KEEP OUT』してるの、見ませんでした?」

「見た」

『KEEP OUT』と書かれたテープが途中の階段に貼られており、通行を妨げられた。呆れながら剥ぎ、その先にあるゴミ箱へと投げたのだが、あれは彼女の仕業だったらしい。

「馬鹿だろ」

「『DANGER』もありますけど」

「いや、馬鹿だろ」

「かっこよくないですか……?」

不安を顔いっぱいに浮かべ、こちらを上目遣いに見つめられる。

何か、こう、場所といい、アレだ。いたたまれなくて、見ていられない。

「悪い。お前がかっこいいと思ってるなら、俺に否定する権利はない」

「今、なに考えたんですか」

「分かってるんだろ!? その上で深く突っ込むのはどうかと思うんだが!」

「まぁー、男子高校生ですからね。仕方ありませんよ」

あぁ、これはダメなやつだな。チョコパンを食べつつ、妙に冷静になる自分がいる。

「別にこれはその、シチュエーションに問題があってな?」

「分かってますよ。北斗さんの好みは『従順な妹』様ですからね」

ニヤつく彼女が、酷く憎い。だが、すべては弁当を忘れてしまった自分がいけなかった。

「明日からは、目覚ましに従って素直に布団を出よう。そう決意した、北斗さんなのであった」

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