事件の日

「北斗さんは、『ユーキャンダッシュ事件』を知っていますか?」

ユーキャンダッシュ。スーパーやコンビニ、どこにでも売っているアイスの名だ。知らない人は少ないだろう。しかし、事件になると話は別だ。ニュースからそんな名前が流れたような記憶はなく、新聞の紙面でも見たことはない。俺は首を横に振った。

「知らない」

「そうですか。やはり、あなたは関与していないんですね」

安心したような彼女の顔。あなたは、という言葉が引っかかった。

「俺が関わっている可能性がある事件だったのか?」

「ええ、この学校。しかも、私たちの学年で起きた事件の名前です」

「誰かがアイスを盗んだとか、そういう事件?」

「いえ、そのアイスはまったく関係ありません」

「じゃあ、なんでそんな名前になったんだよ」

「一説によると、走る人たちが多く事件に関与しているからこのように名付けられたとも言われています」

「どこの一説だよ」

「恐らく後付けでしょう。走る人、走らない人の割合は半々のように思えます」

「まあ、そんなもんだろうな」

走る人という基準が曖昧すぎる。

「まあ、すべて私が聞いた話なのですが、1人で抱えるには少々重い事情になってきました。ですから、話を聞いていただけませんか?」

いつにない彼女の真剣な表情に、俺は息を呑んだ。こんな話を話せるような人間は、俺しかいないのだろう。今日、逃げるように図書室へ来ていたように見えたのは見間違いじゃなかったのかもしれない。俺は時間が空いていることを脳内のスケジュール帳で確認し、開いていた本の栞を挟んだ。彼女は、先ほどよりも安心したのか。深いため息をついた。

「良かったです。私の話は、ネットに書き込んでも誰も相手にしてくれないので」

本当に弱り切っているらしい。

「ええ。一応騒がしいのには慣れていますが、聞こえる内容に対しての慣れはありませんから」

「その事件に、お前は関わってるのか?」

「いえ、私は事件に関わってしまうほど、人と関わっていませんから」

「分かった。つらいだろうが、事件の話をしよう。事件と言うからには、被害者と加害者がいるんだろ?」

「はい。被害者は町井夕日、加害者は高野皐月、他多数です」

「多数?」

「再三繰り返しますが、これは雑多な人間から聞いた話ですし、私の観点からお話しをします。ですから、事実と違う点があるかもしれません」

「そりゃそうか。多数な、分かった」

言いながら、町井と高野という名前に心当たりがあった。最近、なんらかで聞いたような気がする。しかも、セットで。彼女が閉口しているので、しばらく考えて思い出した。

「あっ」

「気付きましたか」

「その2人って、最近付き合ったばかりじゃないか?」

なんでも、高野が町井に一目惚れ。以後事あるごとに告白行為を行い、最終的に付き合うようになったとか。

「知っているのなら、話は早いです。そうなんですよ」

「デートDVってやつか?」

「それ以前の話です。例えば北斗さん、あなたはなんとも思っていなかった相手に告白された場合、お受けしますか?」

「時と場合による」

彼女は、不服そうな顔をした。素直に答えただけマシだと思ってほしい。咳払いをし、彼女は続ける。

「町井さんは、お受けしませんでした」

「らしいな」

「町井さんの好みは、高野さんとは正反対だったのです」

「そりゃまた、災難だな」

「災難は、そこで終わりません。高野さんは、いわゆる『好青年』の代表とも言える方です。彼を支持する人間は、私を忌避している人間以上にいるでしょう」

「なにが言いたい?」

「彼からの告白を断ったことにより、彼女には敵意が向くようになりました」

「なるほど。お前と同じパターンだな」

「ええ。未だに理解出来ませんが、そういうことをする人間は一定数いるようですね」

「だから、告白を受けたと」

「そういうことになります。付き合ってからは彼からの牽制が起こり、敵意を向けられる回数は減ったようですが、彼女としては非常に不本意でしょう」

彼女の苦々しい顔は、初めて見る。よほど悩ませているのだろう。優しい人間だ。優しすぎると言ってもいい。

「それで、どうしてお前がそこまで苦しんでいるんだ?」

「私は、事件の顛末を知っていながら、彼女が苦痛であることを知っていながら、手を出すことが出来ません」

彼女は、自分の意思など関係なく雑多な人間が垂れ流している思考を読み取れてしまう。もしも町井さんへ手を差し伸べたところで、どうして嫌悪を抱いていることを知っているのか疑問に思われるだろう。それに、そんな状況なのだ。余計なお世話だと言われるかもしれない。

「知らなければ、良かったでしょう?」

彼女は、力なく笑った。きっと、俺に話したことにも罪悪感を抱いているのだろう。難儀な人間だ。俺は、つらいなと脳内で同情するしかなかった。

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