016 : At full gallop -2-

「お美しすぎて、仲間たちが本当のことを聞いたら泣きだすに違いないよ。アルト」

 笑いの止まぬままシロフォノが言うのを聞いて、アルトは不満げに息を吐いた。

 厩からいくらか離れた、木陰でのことだ。アルトはいつでもつけられるように手に持った目隠しを握り締め、ちらりと厩の方へ視線をやる。

「主の情けない姿を見て、ってことか?」

「ううん、なんで中身まで本物の姫様じゃなかったんだろう、って」

「そりゃ、申し訳ない」

 ひとまず他の近衛兵からは離れ、彼ら二人には必要最低限のことだけを簡単に話した。二人はアルトの話を黙って聞いていたのだが、開口一番、言ったのがたった今の台詞だ。一体何を聞いていたんだと問いただしたい衝動を抑えて、アルトは上の空でそう返事をした。

「気が急くのはわかるけど……」

 朗らかに苦笑して、シロフォノが言う。クロトゥラはその隣で、そっぽを向くように座り込んでいた。

「まずは落ち着いて、アルト。あまり焦ると、事を仕損じる」

「落ち着いてられるか! こうしている間にも、もしかしたらマラキアが……!」

 思わず声を荒げたアルトだったが、困ったように顔を見合わせる双子を見て、肩を落とし、溜息をつく。彼らの言わんとすることが、当人にも十分わかっていたからだ。

「よく考えてみろよ、アルト。マラキア宮が火事に遭うなんて、どうしておまえにわかるんだよ? 占い師でもあるまいし」

「君も知ってると思うけど、占い師だって次の災害がいつくるのか、星を読んでもぴたりと言い当てる確率は五分ってとこだよ。火事を予知するなんて、それこそスクートゥムの占星師にだってできるかどうか……」

 言われてアルトは押し黙る。追い打ちをかけるようにクロトゥラが、そっぽを向いたままはっきりとした口調でこう言った。

「ウラガーノを飛び出してマラキアまで行って、もしもだ。火事なんて少しも起こり得ない状態だったらどうなると思う? 本当なら、火事なんか起きないに越したことはない。けど、おまえが不利な状況に追い込まれるのは確実だぜ」

 言葉が途切れ、三人の間を静寂が支配する。アルトは何も言い返すことが出来ずに、奥歯を噛み締め、もう一度厩の方へと視線を向けた。

 赤く、炎に燃えるマラキア宮。夕日のことや不思議な窓のことまで二人に説明することはしなかったが、話したところで恐らく、更に現実味が失われるだけだろう。

 そう。言葉にしようと思えばすぐにわかることなのだ。アルトが感じているこの不安が、どれだけ空想じみたものであるのか。

――お見事だよ。こんなにはやく、帰ってくるとはねえ……

 目を閉じて真っ先に思い出されるのは、初めてあの幻影を見たときに聞いた声だ。低い笑い声、それに気怠そうな拍手の音。

――お助けしなければ。今こそ、これまでに受けてきた恩へ報いる時なのだから。

 誰の、誰に対する言葉だったのだろう。そんな疑問がわいたのは、あの時ばかりではなかったはずだ。

――あいつは約束に守られている。

 デュオは誰のことを話していた? あのペンダントで、一体何を伝えようとしたのだろう?

 何も知らない。知ろうともしなかった。けれど、今なら。

――あんたであってるよな? なんにも知らない王子さんってのは。

 十四年間、アルトの世界の全てだったマラキア宮。それが炎に包まれる姿など、想像もしたくない。宮殿の人間が傷つく姿など、考えるだけで耐えられない。何としてでも阻止しなければ。

 けれどアルトがマラキアへ帰ろうとする理由は、今やその為だけではないのだ。

(俺は、知りたいんだ)

 積もりに積もった沢山の疑問の答えは、――恐らく、マラキアにある。

 アルトはゆっくりと目を開け、視線の先にあった厩から目を逸らす。すぐにシロフォノと目があった。その真っすぐにこちらを見る目とは対照的に、クロトゥラは変わらずそっぽを向いて座り込んでいる。アルトは二人共を見て、一言一言を自ら確認するかのように、こう告げた。

「信じてもらえなくても、仕方のないことだと思う。……でも、俺は行くよ。今、行かなきゃならない。後になって、後悔したくないんだ」

 じっとアルトの目を見ていたシロフォノが、一度頷き、わずかに微笑む。その隣でクロトゥラが「わかんない奴だなあ」と溜息をつくのを聞いて、アルトは苦笑した。

「止めてくれたのに、悪いな。でもお前達と話せて、逆に決心が固まった。もしかしたら後で大捜索が起こるかもしれないけど、俺と会ったことは、秘密にしといてくれるか?」

「秘密って、誰に対して?」

 シロフォノがそう言って、悪戯っぽく笑う。その隣でクロトゥラも立ち上がり、服についた葉を払った。

「誰って、だから他の近衛とか、神官とか。俺が居なくなったら、多分探すだろ? だから……」

「シロフォノ、食料と水。軽目に三日分で足りるだろ」

「それじゃ、クロちゃんは地図と馬を頼むよ。アルトは、湖の近くで待っててくれる? 正面突破は無理だから、あの辺りから抜けた方が良さそうだ。……あ、間違っても一人で先走らないでね。ここからマラキアまで、馬一頭いればどうにかなる、なんて甘いんだから」

 立て続けにそう言われ、アルトは言葉を詰まらせた。それでも早速行動に移ろうとしている二人を見て、慌てて言った。

「待てよ、何の話をしてるんだ。俺の手伝いなんかしたら……」

「処罰は免れない、って? 馬鹿、護衛中の王子さんがいなくなったら、その時点で大問題だろうが。それでも行くなら、手伝うって言ってんだよ。厚意はありがたく受けとくべきだぜ、アルト」

「そうそう。アルト一人で行かせるんじゃ、不安だしね。僕も今回の任務の上司、あんまり好きじゃなかったからちょうどいいや」

「まさか、ついてくるつもりなのか!」

「当然。大体ね、アルト。君、地図読める? コンパスの使い方は? 夜はどうやって火をおこすの?」

 詰め寄るようにそう問われて、アルトは再び押し黙る。しかし辛うじてシロフォノから離れると、背を向けたまま既に策を考え始めているらしいクロトゥラに向かって、言った。

「クロトゥラだって、俺が行くことには反対なんだろ? だったら、無理して来なくたって」

「誰が無理してついてくって? 俺は、どうせ面倒ごとになるならお前についていった方が楽しそうだから……」

「嘘つけ! だったら、なんでさっきから俺の方を見ないんだよ!」

 アルトが言うと、今度はクロトゥラが押し黙ってしまった。その肩が、怒りのためなのか何なのか、打ち震えている。

 何か、おかしな事を言っただろうか。アルトは思わず生唾を飲み込んだが、振り返りざまに彼が言った言葉は、アルトの想像からはかけ離れていた。

「……っ、直視できるか! 変装するにしたっておまえ、なんでわざわざ女の格好なんだよ!」

 言われてアルトは、驚いて目を瞬かせた。ほんの一瞬呆気にとられてぽかんとしてから、恐る恐る言葉を返すことにする。

「なんで、って……見ただろ? ここの神官のごつさ。近衛騎士を一撃で昏倒させたりするし……。あれよりは、似合うと思って」

「自分で似合うとか言ってんじゃねえ! ああもう、こんなこと言い争ってたんじゃ馬鹿馬鹿しくなってくる! と、ともかくさっさと準備するぞ。結局、三人分で良いんだな?」

 クロトゥラが、肩を怒らせてさっさと行ってしまう。アルトが困惑顔のままでその場に立ちつくしていると、シロフォノがぽんぽんとその頭を叩いた。

「今のクロちゃんの言葉を要約するとね、つまりは『友達の一大事を、黙って見過ごせるか!』って事だよ」

「……今の、本当にそういう結論だったか?」

「僕が言うんだから、間違いないって。それじゃ、僕も準備に取りかかるから。すぐに戻ってくるよ。ちゃんと待っててね」

 手をひらひらと振りながら、シロフォノも去っていってしまう。アルトは取り残されて、一人ぽつりと呟いた。

「友達の一大事……」

 何かがじんわりと溶けていくように、頭では理解出来ない暖かみのようなものがアルトの心を伝っていく。アルトは顔がにやけるのを必死に押さえて、日中散々歩き回った湖の方へと駆けていった。

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