007 : Solitary farewell party -1-
それは、あっと言う間の二日間であった。
王との会話があった晩餐の翌日、アドラティオ四世は予告どおりにマラキアを発ち、スクートゥムへと帰ってしまった。あまりに急な事態にマラキアの人間は皆驚き、何か至らぬところがあったのではと慌てふためいたが、その理由を聞いては驚くどころの話ではなかったようだ。使用人達の忙しさは皇王を向かえる準備の比ではなく、アルトが少しでも多く良き品や立派な服を持って首都へあがれるよう、朝から晩まで休む間もなく働くこととなった。
アルトはその間、執事のナファンと共に人事を采配し、マラキア宮に住む貴族たちと別れの挨拶をし、土産にする果物や家畜を選びに回った。
双子の騎士との約束を、忘れていたわけではない。そもそもあの二人がマラキア宮に留まっているのか、父王と共にスクートゥムへ帰ったのかもわからなかったのだが、実際にアルトは闘技場を開放するよう伝えたし、隙を見て何度か向かってみようとしたことはあった。しかしその度に寸法を調節するからと呼び止められたり、荷物の確認を求められたりなどして、「また明日」を実現することはできなかった。
慌ただしくもどうにか準備が形になって来たのは、アドラティオ四世がマラキアを出た翌日の夜のことだ。大広間に置かれた立派な椅子に腰掛けて、アルトはいまだ現実味もない室内を眺めていた。
机に布かれた色鮮やかなテーブルクロスの上には様々な食べ物が置かれ、その周囲ではきらびやかな衣装をまとった貴族たちが笑い語り合っている。忙しい中で無理をして、使用人達が用意をしてくれた送別会だ。しかし自分のために開かれたパーティに、アルトはうんざりして溜め息をついた。何組目かの貴族グループが、掌を返したように媚びを売って去っていった後の事だ。
(本当に別れを言いたいのは、こいつらなんかじゃないのに)
立ち上がって、手に持っていたグラスを置く。仕方の無いこととは思いながらも、いい加減に疲れてしまった。しかし次から次へとやってくる人の波にもまれ、退出することすらかなわない。
「アーエール殿下」
今度は誰だと思いながら、疲れた顔を隠しもせずに振り返る。視界の先に同じ顔が二つ並んでいるのを見て、アルトは思わずぎょっとした。
「シロフォノ……それにクロトゥラ!」
「覚えていていただけたとは、光栄です」
「私共もご挨拶に参りました、殿下」
スクートゥム近衛騎士団の制服を身につけ、二人同時にこうべをたれる。丁寧な物言いで話されると、本当にどちらがどちらだか見分けがつかなかった。
「まずは本日、このような会に我々近衛騎士団の若輩者までご招待いただけましたこと、身の誉れにございます」
「この度の聖地、首都までの旅路には、我々も同行させていただけることとなりました。至らぬ点は多々あるかと存じますが……」
双子の騎士のどちらかが、そこまで言って言葉を切った。アルトの顔をちらと見て、他からでは見えないように一瞬、にやりと笑う。
「お疲れみたいですね」
「ああ、クロトゥラか。……助かった。やっと、そういう気遣いをしてくれる人間に会えたよ」
「もう、私共の区別がおつきですか」
「そういう喋り方をされなければ、だけどな」
驚いたように双子の騎士達が顔を見合わせて、二人で勝手ににやけている。アルトは何げないそぶりで辺りを見回して、それからそっと囁いた。
「ちょうどいい時に来てくれた。すまないが、執事のナファンを探して来てくれないか」
「執事? ……ああ、この前ぷりぷり怒ってた人のこと?」
シロフォノがきょとんとした表情でそう言うと、再び彼らは顔を見合わせ、なにやらにやにやと笑っている。
「それはいけません、殿下。もう少々お待ち下さい。この会が終わるまで、許されますならば、私共がお相手をお務めしますから」
「いけない……って、どういうことだ?」
「すぐにわかります。私共もあの馬番殿に声をかけられて、一枚咬ませていただいたんです」
馬番殿とは、デュオのことだろうか。一体いつの間にそこまで仲良くなっていたのかもわからないが、彼らは何のことを言っているのだろう。ふと入り口を見ると、いつの間にやら帰ってきていたナファンが、楽隊の指揮者と話をしている。時間的に考えれば、恐らくは会を締めくくる演奏について話しているのだろう。
「俺は絶対、『風化した物語』だと思うね」
クロトゥラが言った。
「その曲名、なんでおまえが知ってるんだ?」
「有名ですよ、殿下」
答えたのは、シロフォノだ。
「殿下自らが作曲された上、皇王陛下が大絶賛。それを奏でるアーエール殿下のお姿は、まるで音の精霊のようだったとか」
「……大袈裟な」
皇王陛下の大絶賛は、あながち嘘でも無いけれど。アルトは心の中で、こっそりとそう付け足した。
「だけど僕も、締めはその曲だと思うな。みんな噂は聞いてるから、本物がどんな曲なのか、気になって仕方ないはずだし」
そう言って二人がアルトを見るので、アルトもうん、と頷いた。
「俺もそんな気はする」
「打ち合わせなんかはしてないのか? その曲なら、殿下が弾くんだと思ってた」
「さあ……そんな話は聞いてないけど」
アルトが答えたと同時に、指揮者が腕を振り上げる。バイオリンの音がすると、会場が急に静まり返った。だがしかし、これは――
(『月に影なし』だ)
クラヴィーアに昔からある、惜別の歌。確かにこのような場所で演奏するには最適な曲だが、会の客人たちは若干、肩透かしを食らった様子だ。アルトはその様子が可笑しくて、思わず密かに苦笑した。
曲が終わるころには、自然と誰もが自分の席まで戻っていた。終わりにアルトが別れの言葉とこれまでの感謝を告げると、会は平穏に幕を閉じる。
アルトは早々に自室へ引き上げたが、貴族達が皆退出し、そろそろ片付けが始まるかという時になって、こっそりと一度会場へ戻った。部屋にいても、ただ退屈であったからである。
給仕の女達が忙しそうに、後片付けに走っている。随分数が少ないが、他の者達も恐らくどこかで働き回っているのだろう。本当にどの使用人達も、よくやってくれたものだと思う。だからこそこんなに急の出立だというのに、これ程の会ができたのだ。
アルトがぼうっと部屋を眺めていると、背後から一つ、声がした。
「アーエール殿下! どちらにいらっしゃるかと思えば……!」
振り返らずともわかる。ナファンだ。アルトは思わず吹き出して、笑いの止まないまま振り返る。何人かの給仕が音に気づいて、笑みを浮かべたのがわかった。
「何を笑っていらっしゃるのです」
「いや、俺って最後まで、ナファンに叱られるんだなあと思って」
「最後までお叱りしなければならない、私の心情もお察し下さい」
「すまない、すまない」
アルトは笑いながら顔を上げ、意外な事態に驚いた。ナファンが表情を緩ませて、一緒になって笑っている。
小うるさく、顔を見れば小言ばかりであった執事。不平や不満を口にしながらも、アルトが彼のことを本気で悪く思うことは、一度もなかった。物心ついた頃には常にアルトの隣に立ち、誰よりも先頭に立って世話を焼いてくれていた。もっとも、成長したアルトにはそれこそが疎ましく思える一番の理由であったのだが、先日の闘技場の件にしたって、彼は結局全てをあの場限りで収めてくれた。送別会での最後の曲に、あえて『風化した物語』を外したのも、意図あってのことだろう。
理解者だったのだ。今になって、改めてそう実感できる。
目頭が熱くなったのに気づいて、アルトはぷいと顔を背けた。ナファンがそれに気づいていないようにと、祈らずにはいられない。
「さあ。アーエール殿下、行きましょう」
「まだいいじゃないか。部屋へ戻ったって暇なんだ」
「一言も、そんなことは申しあげておりませんよ」
言われて思わず首を傾げる。ちょうどそこへ、使用人が何人かやってきた。庭師、門番、それに鷹匠。何故だかその誰もが胸に、白い花を挿している。白きニーフェニア。惜別の花だ。
「準備が整いました」
「殿下。ほんの少しで良いんです。私共にもお時間を下さい」
そう言って、彼らは自分達の肩越しに、廊下の向こうを見て笑う。アルトはそれを視線で追って、思わず小さく息を飲んだ。
マラキア宮中のほとんどの使用人達が、そこに立っている。その頬には笑みを浮かべ、胸には白い花を添えて。
「アーエール殿下、こちらです」
「いらしてください。私達も、殿下をお送りしたいんです」
アルトは導かれるまま廊下を歩いて、やがて中庭へ出た。美しく整えられた庭には色とりどりの花が飾られ、松明の明かりの下に照り輝いている。奥には楽隊が待機しており、設置された机の上には様々な食べ物が置かれていた。とはいえ先程の会に置かれていたような豪華な食事ばかりではなく、アルトが以前頼んで作らせた町の菓子や、味のないパン、例の具のないスープまでが、不相応に立派な皿へ盛りつけられている。
アルトはしばらく、声なくその場に佇んでいた。無言のまま中庭の中央まで歩いて行って、置かれていた自らのバイオリンを手に、とる。
(……なんて静かなんだろう)
振り返ってみて、驚いた。その場にいる誰もが皆、固唾を飲んでアルトの様子を窺っている。宮殿の主の許しなしに、これらの準備を行ったのだ。勿論、その主がそれに対して罰則を加えるような人間ではないことを、承知してこその企画ではあるのだろうけれど。
アルトは微笑んだ。しかし何も言わずにバイオリンを構え、弓をとる。撫でるように弓をひくと、皆に優しく目配せをした。
心からの、感謝を込めて。
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