風の謡*第一章 // 「別れの唄」
その日。俺を閉じこめ護っていた檻は、いとも簡単に瓦解した。
The Overture
「……こっちだ。気をつけて、すぐ上に太い枝がある」
暗闇の中、押し殺した声でアルトが言った。
深い森の中である。足がつきにくいだろうと思ってのことだったが、ここには獣道といえるほどの場所もない。好き放題に伸びた枝葉で傷を作りながら、アルトは何度も振り返る。
「頑張れ。もう少し、もう少しの筈だから」
「ばかやろう、俺のことなんかより、自分のことを心配しろ」
アルトの後へ続くもう一つの影が、低い声でそう唸った。アルトはその威勢の良さに苦笑しながら、手負いの連れが少しでも歩きやすいようにと、辺りの茂みを踏み固めながら歩く。
「俺なら、大丈夫」
「少し前まで宮殿から出たこともなかった奴が、よく言ったもんだ」
弓のように細い、月夜のことだ。雲はない。夜空には小さな星々が、なんの規則性もなくそれぞれに輝いている。
突然前方の茂みが揺れて、アルトは小さく身震いした。なんということはない。鳥が飛び立っただけの話だということに気づいてからは、両手の拳を握りしめ、再び歩き始める。胸につけたペンダントが、軽くはねる。落としては大変だと考えて、アルトはそれを、服の内側へとしまった。
「アルト、腹は減らないか」
「大丈夫。でも何か食べたいなら、探してくる」
「いや、いい。お前が平気なら」
「怪我、まだ痛むか?」
「たいしたことはないさ。怪我をしていようが、箱入り育ちのお前さんよりは歩けるぜ」
しっかりとした声だ。だが平常の彼を知っているアルトには、その声の裏側に隠された疲労がうかがい知れた。
急がなければ。少しでもはやく、安全な所へ。清潔な場所で手当を。
「――アルト。町に着いたら、頼みがあるんだ」
「あんたが俺に頼みなんて、珍しい。今じゃ駄目なのか?」
「駄目だ。今は逃げ延びることだけ考えろ」
「わかってる」
連れに聞こえるよう、アルトは笑った。昨日までのように、何事もなかった時のように、明るく笑ったつもりだった。
「大丈夫さ。大丈夫。俺にはあんたが、あんたには俺がいる」
例えこの先に、闇の道しか見えなくても。
例えもう、二度と戻れはしない道だとしても。
「大丈夫」
アルトはもう一度、呟いた。
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