Scape/Goat -2-


薄暗かった空にゆっくりと陽の光が差し込み、青黒い空を照らしていく。


時刻は午前6時、静まり返っていた街は少しずつ生活音を響かせ始めた。



第10地区の3番街の一角にあるアパートメントの路地裏には、古びたトラックが止まっていた。



「はいよ、今日の分」


「まいど、いつもどうもねぇ」



路地裏に止められた荷車の横で、オジーは取引相手から札束を受け取る。取引相手は、人間のように後ろ足で立ちながら、しかしその体や顔には黒い毛が生え、口には鋭く細い牙が覗いており、目玉がギョロリと動いて、おまけにふさふさで細長い尻尾まで生えている。人の体格にしては小柄なその男は、イタチのビリー、獣人だった。



「アンタのところは手早くて助かるぜ、近頃は肉食獣の食料は捌くのだって手間なんだ」


「そりゃどうも、手早いのがウチの売りでね」



札を数え終わるとそれを胸ポケットに押し込み、オジーは笑った。ビリーは頭に被ったハンチング帽の下の額をガリガリとかいてため息をつく。



「全く...一昔前はもっと仕事が楽だったってのに」


「今じゃ、堂々と肉を捌いて売ることは出来なくなったからねぇ」


「おうよ、エデン全域に掛けられた"抑止令"のせいで、俺たち"糧運び"だって...こうしてコソコソ隠れて売ったり買ったりしなきゃならねぇんだから...、迷惑なもんだ!」



そうボヤくビリーは今も六時の壁に貼り付けてある古びた紙をバシンと手で叩いた。



エデンが国として形づいたのはほんの30年前の事である。人が集まり居住区を作り、やがて富裕層と貧困層に分かれ始め、見てわかる身分の差が地区のランクによって判断されるようになった。


更に各居住区には、カニバリス(肉食獣人)、ベジタリアス(草食獣人)、そして"ノーテイル"を含むオールズ(雑食獣人)がおり、カニバリスとベジタリアスの居住区はオールズを間に挟んで分かれている。


市場は中央にあるオムニバスの居住区の中に商店街があり、ベジタリアスの食物(野菜や虫、菓子類)や、雑貨類や日用品もそこに売っている。


一年ほど前に、カニバリスによるベジタリアス捕食事件が起き、ベジタリアス側の広範囲に渡るデモにより事態の収拾のためセントレア(エデンの中枢)が出した法令が、


"捕食行為及び公の場でのカニバリスの"糧"を咀嚼する行為、"糧"の売買する行為を禁止し、"糧"は早朝5時から7時までの間に"糧運び"が配達、専門店と許可を得た店のみの取り扱いとする"


という内容だった。


無論、人口率としてはカニバリスもベジタリアスも同じ比率であるために、カニバリス側からの猛抗議が出たのは事実、結果としてこうして朝方の僅かな時間にだけ"糧運び"が各カニバリス住居へ売り出しをしているのだ。



「手間も費用も増えたってのに、儲けは減っていくんだぜ?...."糧運び"ってだけで、肩身が狭いしよぉ...」


そう言ってむず痒そうにギリッと歯を鳴らすのは、ビリーの不機嫌な時の癖だ。オジーは口にくわえた煙草に火をつけ煙を肺に吸い込みながら、まあまあとビリーを宥めた。



「そう"毛"を逆立てるなってビリー、威嚇の匂いがこっちまで届いてるぜ」


「出したくて出してんじゃねぇや!ッカー!理不尽だ、ふざけてやがる!」


「朝から怒りっぽいなぁ...低血圧なんじゃないの?」


「血圧高くて医者に注意受けてんだよオレァ!」



キィィ!とでも言うように牙を剥き出し毛を逆立てるイタチを横目に呆れたようにオジーはため息をついた。



ダメだこいつ。



そうこう言っているとドサッという重い音とともに、アパートの地下から箱を引っ張り出す大きな影が動く。


三十分ほど前にエドガーが入っていった地下へ続く扉の横に、もう一回り小さな鉄の扉があり、そこからカタカタと古い機械音を出して地下からリフト式で捌いた"糧"の部位と種類ごとに箱分けして地上へ送るのだ。



焦げ茶色の毛皮にフンッと鼻息の荒い鼻、頭部には鋭く尖った太い角、が左側が中途半端に折れている。額には×印のような傷。


2mはあるであろうその巨体にはビッシリと逞しい筋肉がついていた。腰のあたりから揺れる細長い尾がパサパサと地面の砂埃を掃く。



「もう半分か、ほんとに早いな」


「言ったろ、早いのがウチの売りなんだ」


「商売上手だな、オジーさんよ」


「さん付けするなって言ってるだろ、ジジイって呼ばれてるように聞こえる」



ムッと眉間に皺を寄せながら苦虫を噛んだような顔でジロリとイタチを睨めば、彼はケラケラと笑いながら彼の相棒である牡牛に声をかけた。



「それ荷台に積んだらこのジイ様にウサギを4羽包んでやりな、時間短縮分の礼の代わりだ」


「テメェコラ」



カッカッカとまた派手に笑う声が響く。


ウサギは"糧"の中で一番安く、一番手に入り易いものだ。

繁殖率と成長速度が最も手軽であるためである。それと、捌きやすいというのもそうだ。



「分かったよブル」


「ブルじゃねぇビルだ!いい加減覚えろこのバカ!」


「あ...悪い、また間違えた」



牡牛の野太い声が返事をするもすかさずツッコみを入れるビリー。牡牛はその厳つさが嘘のように、小さな声ですまなそうに頭を垂れる。「大体お前は!」とビリーの説教が始まったが、その様子をよそにオジーはしげしげと大きな牡牛の獣人を眺めた。


(___なんか、見たことあるなぁ、あの牛)



「どうしたよ」


「....."糧運び"に牡牛?変な組み合わせだなァと思って」


「ん?ああ、コイツは娯楽街の闘技場の元戦士(ファイター)だ。けどあの通りこっ酷く負けてな、闘技場では敗退者は即解雇だから、路頭に迷ってるとこを雇ったのさ」



言いながらビリーは牡牛の片側の角を掴んで引っ張り、その反対側を指差した。

少しボコっとした切れ目の先には、右側と同じような角が無い。



「ああ本当だ、角が折れてる」


「俺は頭は回るが、牡牛や大型連中みてぇに腕力がねぇからなぁ」


「お前チビだもんなぁ」


「うっせ!!ほっときやがれ」



イタチ獣人の中じゃ大きい方だ、とぷんすか怒るビリー。

ケラケラ笑いつつ、オジーは先程の疑問を自己解決するに至った。



「あ!あの額の傷、もしかして"豪腕のミト"か!」


「おおよく知ってんな...って、ああ、そういやアンタ賭け事好きだったか」



おお!と目を瞬かせるオジーを見ながらビリーは思い出したように呟いた。


オールズの市場の横にある通りは、賭け事に酒、女遊び、そんな欲の発散場である"娯楽街"がある。娯楽街の中では種の境界線や壁の概念は消え、男も女も、カニバリスもベジタリアスもオールズも関係なく娯楽を楽しむのだ。


その賭け事の中に、闘技場での勝敗を賭けるものがあり、闘技場で戦う者たちは"戦士"と呼ばれるのだ。



「いやぁすげぇな、まさかこんなところで会えるとは思わなかった」


「確かに、そのバカ力は褒めてやるけどよ。オツムの方は鶏以下だぜ」



未だにオレの名前覚えねぇし、とビリーがぼやくと、バツが悪そうにミトは眉を下げた。



「いいんだよ、この腕が何人の挑戦者(チャレンジャー)を凪払ったか、うわぁすげぇゴツい!」



そう興奮したようにオジーが言いながら、ミトのゴツい手を取りブンブンと握手する。ミトは、ブンブン振られていない方の手で、折れた左側の角を癖のように撫でながら、小さく肩を竦めた。どうやら照れているらしい。見かけによらず可愛らしい所があるようだ。



「おいおい、あんまり困らせんなよ」


「はは、悪い悪い」



苦笑してパッと手を離す。

解放されたミトはくん、と大きな鼻をひくつかせた。



「...アンタ、」


「オジーでいいよ、それか"ジャッジ"。さん付けはダメね」


「ジャッジ、」


「はーい?」


「ヒトの匂いがあまりしない、それより、獣の匂いの方が強い」



一瞬、パチクリと目を瞬かせたオジーは、ケロッとした顔で頷いた。



「ああ、俺、半獣(ハーフ)だから」


「...なんだ、スカーフって」


「そりゃ首に巻くやつだろ、ハーフだよ。オジー、もっと簡単に言ってやってくれ」



首を傾げるミト。突っこむビリー。

オジーはふーと煙草の煙を吐きながら、「そうねぇ」と呟いた。



「俺とエドは、ちょっと訳アリって奴でさ。ガキの頃の記憶がほとんど無いし...他の"ノーテイル"みたいな人間臭さもない」



トントンと指で煙草の長くなった灰を地面に落とし、それがうっすらとある風で転がる。



「ただ、記憶のない俺たちがココで生きてこれたのは.....」




彼の右の黒目がスーッと褐色に染まっていく。それは、ミトがよく見た事のある目だった。




___獣になれるからなんだよねぇ





彼の赤い目が、悪戯っぽく細められた。ニヤリとつり上がった口角の隙間から、鋭い犬歯が見える。漂う雰囲気と感じる獣臭い匂いから、どうやら嘘を言っているわけではないらしい。


ミトは、オジーと、恐らく前から知っていたので自分の相棒とを交互に見つめた。





---





最後の箱を荷台に乗せて、トラックへと乗り込む。

ビリーは窓を開け、見送りのため立っていたオジーに声をかける。



「そういやよ、聞いたか?」


「ん?何を?」


「"パンドラ"から脱走者が出たってよ」



そう聞いてオジーは隠れていない方の目を僅かに見開いた。





ブロロロ、と灰色の排気ガスを蒸かしながら路地を後にし、陽が昇り始めた第10地区のカニバリス域へ向かうトラックを見送りながら、オジーは短くなった煙草を深く吸い込んで紫煙を朝焼けの空に吐き、煙草を踏み捨てた。



「"パンドラ"ねぇ...」



ズキリ、と前髪に隠れた左目が疼く。

それを軽く手で摩ると、店に戻ろうと踵を返した瞬間オジーの叫び声が3番街に響き渡った。



「ぎぃゃあああああ!!??」



ギョッと目を見開き大声を出すオジーの視線の先にいたのは、返り血に染まったエプロンを引っ提げたままぼーっと煙草を吸っていたエドガーだった。



「....んぁ?」


「んぁ?、じゃねぇよお前ホラー映画かと思ったわ!!!」


「気づかなかったお前が悪い、と言うかうるさい」


「ふざけんなお前今ので半分寿命縮んだわ!!」


「もともと半分無いようなものだろ、ニコチン中毒」


「うるせぇこの陰気野郎!!!」



ぎゃいぎゃい、と怒鳴り散らす(主にオジーが)喧騒で、徐々に目を覚ます周辺の住人達。窓を開け、顔を出し、朝日の匂いや温かさを感じて、第10地区の朝が始まる。



向かいのアパートメントの窓があき、中から年老いた猿の獣人が顔を出し、互いの頬を引っ張り合ってギリギリと睨みあう二人の男を見降ろし笑った。



「兄ちゃんたち、今日も仲良いなぁ!」



「「良くねぇ(ない)!!!!!」」









to be continue....

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Scape/Goat 梵天 @Bonten

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