第6話

「いいか、王命は絶対だ」

俺を連れに来た兵士はそう言った。

両親は泣いていた、村長は申し訳なさそうに俺を見ていた。

俺は、どんな顔をしていただろう。



この国には勇者と言う伝統がある。

国難に向かい、勇気と名誉を胸に、無双の剣と深遠なる知恵でそれを打ち破り、民衆に平和と希望をもたらすもの。

そして俺はその勇者に選ばれた。



 山間の小さな村、これと言った名物はなく、どこにでもある貧しい村だ。俺の家は農家で朝から晩まで畑仕事をして暮らす。俺は物心ついた時からずっとその手伝いをしてきた、これからも、ずっとそうして暮らすのだろうとぼんやりと思っていた。

 ある日のことだ、前触れもなく、ピカピカに輝く鎧を身にまとった兵士の一団がやってきた。村に役人がやってくるのは税の取立人ぐらいだ。

 村は色めきだった、大人連中が不安げに迎え入れたので、俺達ガキ連中もはしゃぎ回るのは、はばかられ。綺麗な鎧姿を、憧れの目で見ながら物陰から隠れるようにそれを眺めていた。

 無理難題を言ってくるかも知らないが、あくまで大人の世界の話ごと、多少のしわ寄せが回ってくるかもしれないが、頑張っていけばそのうち慣れもするだろう。そう思っていた俺の名が隊長らしき人から呼ばれた時は、あまりに予想外のことに、その名が俺のことだと気が付くまでしばらく時間が掛かった。

 猛烈な不安感が俺を襲ったが、周囲の視線が俺に集まり、それを兵士に見つけられてしまった俺は、大人しく隊長の所へ向かった。


「精霊の祝福はお前を指し示した。喜べ、お前は勇者に選ばれた」



 長い旅だった、俺は馬車に乗せられ、山を越え、町を過ぎ、川を渡り、城へ連れてこられた。俺を連れに来た兵士たちとは会話はなかった、それどころかほとんど目も合わせてくれなかった。

 城に入った俺はきれいな服に着せ替えさせられ、王様のもとへ連れられた。俺はただオドオドするばかりで、何があったのかよく覚えていない。王様の顔がよく見えるほど近づけた訳じゃないし、直接声をかけてもらうこともなかった。ただ言われた通りに隊長の後を歩き、隊長の真似をして平伏し、隊長の後をついて退出しただけだ。

 まぁここまでは普通の待遇だったのかもしれない、いや平凡な村人だった俺が馬車に乗せてもらい、王様と謁見できたのは、かなり特殊な待遇だろう、優遇されたと言っていいかもしれない。ただ何を聞いても『お前は勇者だから』の一言で済まされ続けてきた俺には不安と戸惑いしかなかった。



 王様との謁見が終わった俺は、そのまま教会へと連れてこられた。教主様とは祭壇を挟んで話が出来る程度の距離だった。まぁその祭壇の規模が、村近くの町にある小さな教会とはケタが違う出来だっただけだ。

 そこで俺はこの国に伝わる勇者の伝説と言うのを教えられる。


 初代の国王、伝説にうたわれる勇者は、世界を暗黒に包もうとした悪の大魔王を打ち滅ぼし自国へ凱旋を果たしたが、のちに生じた自分の力が原因となった政治的混乱を憂い出奔。そして、かつて魔王城であったこの城で一から始めようと決意。瘴気で汚染された城を清め、剣をクワに持ち替え大地を耕した。独りで始めた国作りはやがて魔王との戦いで住処を失った人々が集まり、豊かで実りある国が誕生した。

 今でもその勇者の精神は引き継がれ、国難の際には勇者が先陣を切ってその解決にあたっている。


 教主様の説明を受けて、俺に何を求められているのかは分かった。だが、俺はただの農家の息子だ、クワの使い方は知っているが剣など握ったこともない。

 そのことを教主様に伝えると、教主様は穏やかな声でこう言った。


「勇者の力は、君の中に眠っている。我々にはその力を引き出す術がある」


 なんでも、この国の全ての民に勇者の自愛は引き継がれており、出生時に行われる教会の洗礼で、その者に勇者の力がどの程度眠っているか調べることが出来るそうだ。

 俺の中には際立って強力な勇者の力が眠っており、逆にそのことが近々国を襲うであろう国難の兆しを示していた、と言うことだ。

 教主様の説明に力尽けられた俺は勇者となる、いや勇者であることを受け入れた。

 俺はその後、副教主様と3人の神父様の先導で兵士に挟まれたまま教会の奥へ奥へと進む。鍵のかかった部屋の中に入った俺たちは、その部屋の奥にある奇妙な壁の目の前に立つ。副教主様が錫杖をささげ何か呪文を唱えると、その壁は重い音を立て独りでに開いた。

 そこまで来て、ようやく俺は猛烈な不安感に襲われた。壁の奥は大きな真っ黒な穴が開いている、副教主様の錫杖の先端が呪文によって光を灯すがその光が届く範囲はたかが知れている。足を止めた俺を後ろに付いた兵士が先へ先へと促す。穴の周囲に頼りなく付けられた螺旋階段を、壁から手を離さないように慎重に降りる。足元はフラフラしていて、石壁の冷たく湿った感触だけがよりどころだった。『進め』『止まるな』と何度も言われながら長く暗い螺旋階段をひたすらに降りる、降りる、降りる。



 ようやく最下層に到達した、緊張と疲れで足が震える、いやこの震えはそれだけじゃない。最下層に降りた俺の目の前にある異様な扉、その扉から放たれる何とも言えない力にビビっているためだ。

「この扉を開く前に注意がある」

 今までずっと黙っていた副教主様が重い口を開いた。

「この先には魔女がいる」

「魔女……ですか」

「そうだ、肉体はとうに滅び、魂だけの存在となった魔女がこの部屋に封印されている」

「封印……」

「心臓は我ら教会が厳重に管理しており、我らに逆らうことは決してない。だが、奴はしゃべり好きで、お前に様々な甘言妄言をかけてくるだろうが――――すべて無視しろ。生前の記憶の残滓が無意味な言葉を並び立てているだけに過ぎん。お前が行うことは聖台に横たわり儀式が終わるまで耐えることだけだ」

「ちょっと、待ってください!魔女って何なんですか!耐えるって何をされるんですか!」

「質問は受け付けない、お前が行うことは、聖台に横たわり儀式を受ける、ただそれだけだ」

 俺の左右にいた兵士が両脇を抱え込む、金属鎧が腕に食い込み傷みが走る。どうにか逃げようともがくも兵士たちはびくともしない。

 ここに至って、ようやく俺は騙されたことに気が付いた。いや、村を出る時の両親の涙を見た時に、もう村には戻れないと言うことは感づいていた、そこから必死に目をそらしていただけだ。だが、もともと俺には選択しなどなかった。王様や教主様、国が作った大きな流れに、唯の農家のガキが逆らう力も術も何一つなかった。

 せめてもの抵抗にと「俺が無駄な努力を繰り返している間に、扉は怪しい光を放ち、一際重い音を立て左右に開いていった。

「やめてっ!ちょっと!なんなんで」

 俺の叫びなど全く意に返さず、兵士は部屋中央の台に俺を拘束する。室内は至るところに魔法陣が刻まれておりそれが薄暗い灯りを放射している。


「ほうほう!その子が今回の生贄!おーっと間違い!勇者様ってわけだね!」

場違いに明るい女の声が、狭い室内に木霊する。俺の頭上にはうっすらと発光する半透明の女の人が浮かんでいた。

「まっ魔女!?」

「やーやーやーやーその通り!私が噂の美少女大大大大大魔法使い!広域爆裂呪文で魔族の群れを焼き払い、呼び出したるは炎の龍で瘴気渦巻く迷いの森を更地にし、時すら凍らす氷結呪文で城ごと氷漬けにする、かつては――――ふぎゃんっ!!」

「黙れ」

 副教主様が錫杖を一振りすると、悲鳴が鳴って室内は静かになった。

「あっはっはー、いやー目覚めの一発ご苦労さん。魂が焼かれる傷みが無いと、君たちが来たって気がしなくなってきたよー。んーーー、でその子が今回の勇者様ってわけだねー。ほう、ほうほうほう、いやー近年まれにみる素質の持ち主じゃないかー。うんうん成るほどうん成るほど」

「あのっ」

 何を聞こうとしたのか、聞きたいことは幾らでもあった。けど俺が問いを発する前に猿轡を咬ませられる。

「ぐ…………」

「あっはっはー、いやー相変わらずだねー君たちは。せっかちで世知辛い、またぞろ、ろくな説明もなしに幼気な子供を無理矢理つれてきたんだねー」

 ぼんやりとしか見えない魔女の顔は、笑っているようにも悲しんでいるようにも見える。

「それでは、祝祷の儀式を始める。兵士諸君は退出を」

 それを聞き、兵士は一例をしたのち部屋を出ていく。室内には副教主様と3人の神父様、台に拘束された俺、そして宙に浮かぶ魔女が残った。俺は涙を滲ませながら、宙に浮かぶ魔女を見つめる。

「まぁ、私にも拒否権は与えられていない、今の私は唯の意思を持つ魔術装置、君が死なない程度に、死なないように力を与えてやることしか出来ないのさ」



「王命は絶対である」

 呪文とともに唱えられたその言葉は、体の一番深いところに根を張った。激痛、猛烈な不快感、魂に絡みつく呪鎖の冷たさが体の芯から熱を奪い、鎖が軋むたびに灼熱の業火となって魂に呪いを刻む、あの猿轡は魔女との会話を禁止することの他に、舌を噛み切らないようにする役割を持っていたらしい。

「その命は教会のために」

 とめどない激痛に必死にもがくが、手足と首の拘束に血がにじむだけだ。もっとも、そんなかすり傷なんかじゃ、芯に刻まれる傷みを紛らわすことなど出来ない。



 いったいどれ程の時間が経っただろうか、何度呪いを植え付けられただろうか。意識はもうろうとし視界もぼやける。取り巻きの顔ぶれは何度か変わったような気がする。よく分からない、何度も気絶と覚醒を繰り返した、俺の体の中には呪いの鎖が隅々まで充満している。

 う…あ…と声にならない声を上げる、口の中の何かが邪魔だ、吐き出す気力はないので舌で押し出す。溢れそうな力に手を握ると、甲高い音がして何かが下に落ちる。

 シャンと澄んだ音がする。

「動くな」

 その一言で、鎖の重さが万倍にもまし、指1つ動かせなくなる。

「眠れ」

 意識が……遠のく……――――。



「調子はどうだ」

 過程を調査すると、部屋から人払いをした副教主は魔女に問いかけた。

「いやー、行ける行ける!あと3倍は詰め込めるよー」

「それほどか」

「うん!それほどだよ!初代勇者には総合力では及ばないけど、白兵戦に限ればいいとこ行くと思うよー」

「ふむ」

「で、君たちはそれほどの逸材を使い捨ての道具として扱うのかい?」

「無論。否、尚更だ。一国の軍事力に匹敵する個など後腐れなく使い捨てなければならない」

「まぁねぇ、君の立場ならそう言うしかないだろうねぇ」

「私個人の考えではない、これは人類の種としての総意だ」

「はっはー、うん勿論よく知ってるよ!この身の奥底、もはや陽炎のように儚くなった魂にも、その記憶はしっかりと刻まれている。人間は弱く、脆く、強いものだ。希望にすがり、力を崇め、平和を愛する。私たちの様に逸脱してしまったものには狭く遠い世界だ」

「…………」

「この小さな小さな小さな国は、大きな大きな大きな力を持っている。そしてその力は世界中から監視され、制限され、十重二十重の鎖で雁字搦めになっている。その子だけじゃない、この国自体が有事の掃除道具だ」

「…………」

「はっはっはー、いやーーーもう、個人的にはこんな窮屈な世界、灰も残さず焼き払ってしまいたいねぇ」

「ならばなぜそうしない。貴様がここに封印され数百年、策を練る時間は十二分にあったはずだ」

「おっ!!めっずらしく話にのってくれたねー!!おねぇさん聞き分けのいい子は大好きだよー!で、気が変わらない内に答えちゃうけど――――答えは簡単!面倒くさくなったから!!!」

「ほう」

「はじめは多分義憤に燃えて色々考えてた!」

「……と思うよ、もうぼんやりとしか思い出せないけど」

「けど、いつの日か悟った、いや諦めたんだ、私が自爆覚悟でこの国を、この勇者の血肉で作られたこの国を更地にしたとしても、それはしょせん一時の空白が出来るだけ」

「この国が無くなり、世界から勇者の剣が失われ、世に暗黒が満ち溢れたとしても、いずれどこかに勇者は現れる―――そう言うシステムがこの世界を支配してるんだ」

「私は―――そこにたどり着いてしまった」

「だからもう諦めた、私の精神はその真理に触れた時壊れてしまった、本当に今の私に残っているのは魂だけだ、それが霧散せずに残っているのは皮肉なことにこの結界のおかげだね」

「私が、今こうしてぺちゃくちゃ喋ってるのも、魂に焼き付いた精神の影をリピートしているに過ぎない、私は本当にとっくの昔に終わっているんだ」


「…………」

「んーなんだい?安心したかい?それとも絶望したかい?まぁどちらにしろ、今の私は過去の残滓により言葉を紡いでいるように見えるだけの魔術装置」

「今を変えたいなら、変えようとあがくなら、自分たちで何とかするんだね、私に出来ることは力の開放ただそれだけだよ」

「……作業を続けろ」

 副教主は部屋を後にし、その代わりに部屋から出されていた監視の神父達が入れ替わる。

 今代の勇者が地下に入り7日の時が過ぎた後、儀式は完了した。



「今回はなかなか優秀なようだな。それで、稼働はいつになる?」

「通常の倍の祝祷が込められましたので、休息に7日、調整は余裕を持たせて10日となります」

「ふむ、北方のラーム、ドルガ、エクソよりの催促が連日のように届いている。だが、其方が言うのならそれが最速なのであろう」

「はっ」

「幸か不幸か、勇者を製造できるのはわが国だけだ。稼働日は三国に伝えて何処を優先するのかは当事者通しで話し合ってもらおう」

 国王はため息をつきながら執務室の机に書類を置いた。



 俺は、誰だ…、俺は…、俺は…、そう、俺は勇者だ、勇者は戦わなければならない、勇者は力持たぬ民の代わりに、破邪なる刃を持って……


 出立の儀式が謁見の間で行われた。国王からの激励の言葉を受け一人城を後にする。現地に付けば旅の友となる仲間が待っているらしい。だが彼らは、地元の貴族の息子や将来を期待された僧侶・魔術師等なので、彼を危険な目にあわせてはならない、万が一の場合は命を賭しても守ることと命を受けている。

 もちろん、そうならないように全力を尽くす。勇者は自ら先頭に立ち闇を切り裂くものだ。俺は勇者だ、悪を切り裂く剣であり、闇から皆を守る盾なのだ。


 険しい岩山で巨人と戦った。巨人の一撃は盾を砕き腕を砕いた。常人ならかすっただけで体が爆散するであろう一撃もその程度だ、傷ついた体は祝祷で即座に回復する。片腕をおとりに懐まで潜り込んだ俺は、股間から頭まで一太刀で切り裂く。

 見渡す限りの雪原で肉体を持たない冷気の悪魔と戦った。魂を蝕む呪いも祝祷によって弾かれる。剣に勇者の魂を込め命の光で悪魔を切り裂いた。

 廃城で翼をもち多数の呪文を操る巨大な狒々と戦った。巨人に匹敵する力と、巨人をはるかに上回る速度、そして練られた戦術に基づき放たれる数々の呪文。その全てを置き去りにし全力で突撃、手足を切り飛ばし、頭を落とした。

 毒の沼地に潜む多頭の大蛇と戦った。常人なら近づいただけで肺を腐らせる毒も祝祷によって俺には効果が無い。首を切り落としても再生するのであえて丸のみされ、体内から爆散させた。

 付き添いを守る必要はなかった。独りで突っ込み独りで戦い独りで倒した。一戦するたびに彼らとの距離は一歩また一歩と開いていった。


 火を噴く山の洞窟の奥に住む竜と戦った。付き添いは洞窟には入って来なかった、流れ弾を気にしなくて良くなった。分かる、自分に残された時間が分かる、この戦いが最後になるだろう。何も気にしなくて良くなった、残りの全てを燃やし尽くし敵を打ち滅ぼす、それだけだ。

 祝祷をもってしても、この身を焦がす炎の吐息、尾の一撃は先端が霞むほどの速度で放たれ当たればこの身とてちぎれ飛ぶだろう、鱗の硬さ爪の鋭さは言うまでもない。これが最後の戦いで幸いだった、もし最初の相手がこの竜だったら、先に戦った相手と戦える力は残っていなかっただろう。


 スペックは全てあちらが上、竜鱗は剣も魔法も弾き飛ばす。盾はとうに溶け、剣も折れた。

ならば、ならば!


「命を燃やす、決めに行くぞ!」


 そう言って俺はつい笑ってしまった。勇者の俺は今まで会話なんぞほとんどしなかった。したとしても『はい・いいえ』と答える程度。隣に立つ仲間もいないので、作戦会議など意味がない。そう思えば俺が最も心を通わせてきたのは、災厄として戦ってきた魔物たちだろう。


 折れた剣を片手に、ブレスを突き切り、爪を掻い潜る、炭化した体は祝祷により即座に回復されるが、その速度は徐々に落ちてくる。


「勇者の力よ!俺の命を!」


 折れた剣から光があふれ、光の剣となる。俺の力のすべてを剣に凝縮させる。体中から力が抜ける、足が抜けそうになるが気力で支える。ここで躓いてしまったら全て終わりだ、千変万化の攻撃を最小の被弾でもって突き進む


「こ、こ、だァァァァアアアアア!!!!」


 最初で最後の有効打、光の剣は竜の胸に突き刺さり、その切っ先は背中まで突き抜けた。


「これで、終わりだ」


 残りの力を竜の中心で爆発させる。七孔吻血、か細い鳴き声とともに、全身から爆炎と竜血を噴き出し最強の敵は地に付した。



『おーい、おーい、聞こえてるかーい?』

何処かから、声が、聞こえる……

『はっはっはー、まだなんとか息があるみたいだねー、いやー凄い凄い』

何処かで、聞いた覚えのある、ような……

『はーい、そうだよー、何処かで出会ったおねぇさんだよー、またの名を元凶ともいうねー』

 元、凶……

『そう!元凶にして原因にして加害者にして、そしてこの世界のシステムの一つさ!」

 何が……

『おっとごめん、話が長くなっちゃうのは私の癖でね。君の時間は残り少ないんだ、話をとっとと進めるとしよう』

 話……

『そう、君―――、そう言えば君の名はなんだっけ?』

 俺…俺は…勇、者……

『ああそうだ、君は紛れもない勇者だ。けど私が訪ねているのは、君が勇者になる前の名前、両親より授けられた、君の本当の名前だよ』

 両親、名前……

『んー、まだ呪いがきついかー、ちょっと待っててねッ!』

 暖かい力が体を包む、体の中でギチギチと音を立てる錆びた鎖が、少し緩んだような感覚がする。

『はーぁ疲れた、この力(呪い)はもう君と完全に同一化していて、解放することは出来ないけど。私が全力を出せばほんの少し緩めることは出来る。それで、思い出せたかい?』

 思い出す、思い出す、ああ誰かが泣いている、泣いて俺を送り出している。

「……ゴード」

 顔のない誰かが、俺をそう呼んでいた、誰かが、俺をそう呼んでいた。

『そうか、君の名はゴードと言うんだね。それではゴードよ君に尋ねよう、君はまだ生きていたいかい?』

 ゴード、それが俺の名なのか、靄がかかってよく分からないが、その名は胸の奥にするりと潜り込んだ。

「生きたい?」

『ああそうだ、私が君に与える最初で最後の選択肢だ』

「……分からない」

『そうかもしれないね、君は自分の意思とは無関係にこんなところまで連れてこられた。システムは君に自分の意思を持つ事を許さなかった。だけどほんの少しの勇気を出してほしい、君からゴードと言う名を奪い、こんなところまで連れてきたその原因が言うセリフじゃないのは百も承知だ。だけど私は言う、私は時間の許す限り君に問う、君はまだ生きていたいかい?』

 分からない、考える気力が残っていない、寒くて、暖かい、彼女の言葉には後悔や願いや懺悔、色々なものがこもっている。けれど俺にはもうそれを受け取るだけの魂がない。

 少し、ほんの少し、あと少しの力がほしかった。彼女の心からの声に答えるだけの力が。

「……生きたい」

『そうか、それが君の出した答えか。ありがとうゴード、私の問いに答えてくれて』

 彼女は自愛に満ちた声で、けど少し申し訳なさそうにそう言った。

『君の消え去りそうな魂は、そこにいる君の友達に分けてもらおう。あっちも消えかけの魂だが、なにせ竜の魂だほんの一欠けらでも人間の魂を補充するには十二分にある』

『だが、君にかけられた呪いは、このシステムが支配するこの世界では、もうどうしようもないものだ、このシステムの中では君の命はここで尽き果てることが決定している。このことは、システムの一部に成り下がってしまった私には、反吐が出るほどよく分かる』

『だから、君を生かすには、こことは別の世界に旅立ってもらわなくちゃならない』

 別の世界……

『そう、寂しいことに、この愛しい愛しい容姿端麗・純情可憐・温厚篤実なお姉さんとはここでおさらばだ』

 いや、そこまでは……

『あっはっはっはー、よーし少しは元気が出てきたね!いいことだ!』

『うん、じゃぁ始めるよ。君の新たな人生の門出に祝福を!ここが、此処こそが人生の転機、人生のスタート地点だ!』

 体が世界に溶けていく、光の粒子となって消えていく…………

『本当に、本当によく頑張ったねゴード、君は、君たちは私の自慢の子供だ―――』



 生臭い匂いがする、体中に痛みが走る、聞き覚えのない騒音が聞こえる。空気が薄い、あの大蛇と戦った毒の沼地に似ているが、少し違う。息は十分吸えるのに、空気に何かが足りなくて、吸っても吸っても息苦しい。

誰かが俺を見下ろしている、見たことのない服装だ。その男が俺に何かを言っている、分からない、俺の耳がおかしくなったのか、それとも聞き覚えのない言葉だからか。

「ゴード」

俺の名だ、朦朧とした頭に浮かんだ言葉、最後の最後で取り戻した俺自身の名前。あの女名前も知らないあの女が取り戻してくれた俺の名を口に出したところで俺は気を失った。





 焼野原となった立ち入り禁止区域で佇む。この世界でも異分子は排除されるのは常識だ。自分が早乙女さんに拾われてから20と少し、今までは何とか隠し通してきた。

 この世界には元の世界では当たり前のように存在した魔力とやらが存在しない。自分は竜の魂で補完されたためか、体内で魔力を生成することが出来、自己完結する分には多少は勇者の力を使用できる。今の自分でも戦車程度なら楽に戦えるだろう。流石に相手が多数となると呪文もほしいところだが、あいにく体外に力を向ける魔法などは使えない。まぁこれはもともと自分が白兵戦向けの勇者だったからだろう。

「あっ!どもどもーこんにちわー!初めましてー!」

「そうですね、初めまして」

 この場に似つかわしくない、能天気な声とともにスーツ姿の女が突如目の前に現れた。

「ありゃ、あんまり驚いてくれないんですね、残念です」

「いや、隠形の術は見事でしたよ。うっすらと視線は感じ取れましたが特定はできなかった」

「ふーむ、じゃあ今回は引き分けってことで!改めまして私は古賀ユキコ、向こうでの名前はトレットです」

「自分は郷田トシキ、向こうでの名前はゴードです」

「おやまぁ、随分シンプルな名前を選んだんですね」

「まぁ、ドタバタしてましたからね。聞き間違ってくれた名前をそのまま名乗っているだけです」

「ふーん、まぁ同郷のよしみです。変えたくなったらお手伝いしますよ、私魔術が得意なのでその程度お茶の子さいさいです」

 どうだ、とばかりに胸をはるが、向こうの世界との世界では情報の量と蓄積力が段違いだ。そう易々と行くものではないだろうが、まぁ自分の戸籍も金で買ったものだ。彼女はその辺を魔術でうまくやったのだろう。

「それで、今回の事件は結局何だったんでしょうかね?」

「まぁ、自分も間接的には関わりましたが……、いや所詮大きな流れからコップ一杯の水をすくって弄っていただけですね。本筋にはからんじゃいない。絡んだのはむしろあなたの方でしょう、貴方はあの山に隠ぺいの魔術をかけて事態の発覚を遅らせた、そのおかげでこんな大事になったんじゃないですか」

「あははー、気づかれてましたかー」

「まぁ、私が最初に関わったのはあの山でしたからね見回りの時に偶然に気が付いたのですが……そもそも貴方はこちら側の人間には隠す気はなかったでしょう」

「まぁそうですね、あの草があったのなら私の他にも誰か近所にいないかなーって自己アピールも兼ねてましたから。けど、あくまで本命はあの草を増やして大気中の魔力濃度を増すことがメインでしたよ」

 そう言って彼女はポケットから一つの小瓶を取り出す。中には薄く青みがかった結晶が入っていた。

「それは?」

「あの草が放出していた魔力を結晶化したものです。この世界には魔力が少ないですからねー。私の部屋にはあの草をいっぱい育ててるんで息苦しくはないんですが。これがあれば外出時でも安心です!」

「……随分と初対面の私に打ち明けていただけるんですね」

「いやー、それはもう!こんな世界で合えた同郷ですし、何よりあの地獄を潜ってきた仲間ですからね」

 地獄、そうだろう、客観的にみるとそう言うたぐいのものだったんだろう。自分は並外れて勇者の力を持っていたために、ほとんどの自我をなくしたシステムの一部になっていた。

痛い目にも合ったし、酷い目にもあった、酷い扱いもされた。だがそれらの経験はフィルムの掠れた映画を見ているようで、あまり実体感がない。

 自分がそう言うと、反対に彼女は並の適合率だったため、自我と勇者の力のギャップにかなり苦しんだようだ。その分敵は弱かったが、魔術師タイプだったので仲間との連携に苦労したそうだ。

 そして暫し会話を交わした後、彼女と別れることになった。

「それで、貴女は今後どうするんですか?」

「へ?何がですか?」

「あの草を世界中にばらまいて、我々が過ごしやすい環境に変えたりはしないんですか?」

「んー、しませんねぇ。今回みたいにちょっと背中を押す事ぐらいはしちゃうかもしれませんが、所詮私たちは余所者です。余所者が表だって世界のシステムとやらに介入したらきっと酷いことになっちゃいますよ」

「まぁ同感です」

 そう答え、しばし考える。私たちをこの世界に転移させた彼女。私たちを勇者とし、最後に救った彼女。彼女は世界のシステムに戦いを挑み、そして敗れ、最後にはシステムの一部として取り込まれた。

 彼女は後悔しているのだろうか、肉体・精神ともに消え去り、魂だけの存在となった。最後に自分の所までやって来れたのは、彼女の一部が世界と同化している証拠だろう。

 彼女にとっての人生の転機は敗北で終わった、けれど彼女に奪われ、彼女に救われた、彼女の息子の一人である俺は願う。

 どうか彼女の最後が安らかなものでありますように。

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薬草物語 まさひろ @masahiro2017

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