第5話
奥多摩地方、多摩川の水源となる山々が連なり、週末には都会の喧騒を離れ、豊かな自然と触れ合える風光明媚な場所だ。そのなかの山の一つで、ある異変が生じていた。その兆候は少し前から現れていた、局所的に立ち枯れている木々が散見された、始めはごく数本、突発的なものだろうと楽観視されていたが、その勢いは止まることを知らず、本格的な調査が組まれた。
調査隊が発見したのは大量発生したオオゾウムシやコウモリガなどの杉を好む害虫だった。他にもアリやススメバチも大量発生しており第一回の調査隊は這う這うの体で逃げ出した。
人工林であるスギ林に何らかの病気が先か、害虫が先か様々な意見が出たが、応急処置として、立ち入り制限とヘリでの薬剤散布が行われた。
季節は梅雨に差し掛かっていた、昨今の急増するゲリラ豪雨の影響を危険視した自治体は、土砂災害に関するロードマップの刷新をとり急いだ。木々は山の表土を押さえつける杭でもある。それが腐っていれば、外部からの刺激で一気に表層崩壊する恐れがある。
山の傷みは広がっていく、その原因究明よりも、その為に発生する恐れがある表層崩壊・土石流等の対策が急がされた。梅雨は直ぐそこまで迫っていた。
豪雨が襲った。事前の努力により人的被害は最小限に抑えられた。だが、物的被害は甚大だった。枯れ木に表面土壌を保持する力はなく、多量の倒木と土砂が崩れ落ち住宅街にも大きな被害が出た。
「ふーん、東京で土石流ってか―――って崩れたのあの洞窟があった山じゃねぇのか!?」
「はっ!?ちょっと見せてください!」
慌てた速水が急いで俺のパソコンをのぞき込んできた、その途中プレートを入れ立ての右手をぶつけて悶絶している。
「遊んでないで、これ見ろ!」
「くぁ…………って…………」
速水が食い入るように画面を見る。
「社長、これもっとわかりやすい地図ありませんか」
「ちょっとまって――」
「社長、速水さんありました!これ見てください!」
騒ぎを聞いていた若いのが目当ての地図を探し出す。
「……ああ、確かにこの山っすね、けど場所が違います。俺らが行ったのはこっち側で、崩れたのは山の反対側です」
「……じゃぁあの洞窟がどうこうって話じゃねぇんだな?」
「……そうですね」
はぁ、とそこらから安堵のため息が漏れる。
「よーし、そんじゃ引っ越しの準備始めるぞー」
あの日より1週間、かつて蓬屋だった何かの亡骸を回収し、地下室のクリーニング及び事後処理を済ませた後、この工場はたたみ本土の新工場へ移動することになった。アレについては現在調査中。なぜああなっちまったかはさっぱり分からないが、アレがどういう状態だったかは判明した。
きれいに火葬されたアレの残骸を分析した結果、アレは体の内と外に草が絡みついて出来ていたということが分かった。何がなんだかよく分からんが……まぁ分かることは無いのかもしれない。それが分かるようになるということは、同じような化け物がポンポン出て来て、その法則なりなんなりが判明するということだ。特殊な奴が特殊な状況で特殊なことになっちまった特殊なケースと考えるほうがいい。じゃなけりゃ……この世は地獄になっちまう。
土砂災害が発生してより数か月、多摩川流域に広い範囲でヨモギに似た野草の繁茂が見られるようになった。その外見はヨモギに酷似していたが、ヨモギ特有の爽やかな香りはなく甘く粘りつくような香りだった。そのことを不快に思う住人から、自治体に苦情が寄せられ、市町村は対応に迫られた。
その情報は、PX研究チームにも届いた。結果はクロ、検査不能パターンがPXのと一致し、研究チームはついに念願だった生体サンプルを採取することが出来た。
宝は希少価値があるからこそ光を増す。なので、PXの駆除は速やかに行われることとなった。
ヨモギは地下茎が発達し、上部を失っても直ぐに地下茎から再生することが出来る。PXも同一の植生を所有しており、除草剤の散布による駆除が執行された。
だが、それは失敗に終わった。市販の除草剤ではまったく効果が見られなかった。まぁPX研究チーム内では、それは想定内の結果だった。何しろ細胞構造が既存の植物とは全く異なるのだ、今ある除草剤が効く可能性は低い。
そうなると物理的に土壌ごと清浄化するしかないのだが、繁茂している範囲はあまりにも広い。予算編成に手間取っている間にPXは驚異的な速度で広がっていく、応急処置として地上部の伐採が試みられたが、そこに問題が立ちはだかった。
虫、鳥、猫などの野生動物が狂暴化しPXの群生地に立ち寄る人間に襲い掛かってきた。…………もはや一般職員での対応は不可能だった。
「自衛隊への出動要請?」
「ええそうです、PXに我々の常識は通じません。戦力の出し惜しみはせず、最初から最大限の火力で対応すべきです」
臨時議会に招集されたPX対策チームの代表者はそう言った。
「常識が通用しないか、それが多大な予算と時間をかけた結論かね」
「ええ、そうです。我々プロジェクトチームが昼夜を問わず研究に邁進した結果たどり着いた答えは『分からないということが、分かった』と言うことだけです」
議員の嫌味まじりの質問に、彼は決意を込めた目でそう答えた。
「研究結果の中間報告はこれまで提出してきたとおりです。現代の科学技術では分析不明。先日手に入った生体サンプルについての研究も進めていますが、おそらくは同等の結論が出るでしょう」
「しかし、毒性試験については安全だったのだろう?」
「それは、加工済みサンプル、つまりPXの死体についての試験結果です。我々はPXの生態についても何も分からない、何を栄養源とし、何を排泄し、どう繁殖し、どのような攻撃手段を持つか、我々は何も分かっていない」
都は自衛隊に出動要請を行った
多摩川沿いに走る道路をA-MB-3および起動戦闘車からなる編隊が疾走していた。その上空ではヘリが警戒・援護にあたっている。
「しかし、雑草駆除に俺たちが出動ですか」
「気を抜いているんじゃない、ミーティング寝てやがったのか」
「寝てませんよ、世も末だって意味ですよ」
「あれは酷かった、虎か狼に襲われたって言われた方が納得できますよ」
ミーティングで見せられた資料の中に1つの動画があった、それはドライブレコーダーの映像で、前の車両から人が下りようとドアを開けた瞬間、草むらに隠れていた何か(のちに猫と判明)数匹が車内に侵入。その後、悲鳴と血飛沫が車の中を染めていき、決死の覚悟で飛び出した後続車両の職員達が自身も傷を負いながら何とか救出した映像だった。
現在PX生息地域より1km以内は立ち入り制限が行われている、今はまだ多摩川上流にとどまっているが、このまま手をこまねいていては23区内に浸食されるのも時間の問題だろう。
カンカカンと、密閉された車内に反響音が鳴り響く。その音は時間とともに増加し、やがて会話すら困難になる。
「あーうるせぇ!カラスの分際で、国民の血税に傷つけてんじゃねぇ!」
「やかましい!カラス如きにいくらたかられようが問題はない!」
作戦は単純だ、A-MB-3には消火剤の代わりに航空燃料が満載されている。それを目標に放射した後、起動戦闘車が焼夷弾を砲撃着火する。地下部分の完全な焼却処理が完了できるかはその後の調査次第だが、少なくとも地上部のPXとそこに巣食う野生生物は焼き払える。
ヘリの視点ではカラスに集られ黒い塊となった各班は、所定の位置に到達しようとしていた。
『待て!人だ!人がいる!』
「なんだって!ちょっと待て、くそ!カラスども邪魔なんだよ!」
土手の影から、よろめきながら立つ人影が現れる。
「くそ!攻撃中止!攻撃中止!要救助者を発見!」
『こちら司令部、了解した。要救助者の収容は可能か』
「ちっ!救助ったってこのカラスの中じゃ…………」
「…………ねぇ、車長、あいつはなんで攻撃されてないんですか」
運転手のつぶやきは、騒音に包まれた車内で不思議に響いた。
助手席の車長がその言葉に振り向いた瞬間、それまでとはケタの違う衝撃と轟音がA-MB-3を襲う。
「がっ!!」
『3号車!3号車!応答しろ!!今―――』
「――ちくしょう!なんだこいつ!ばけも―――」
『司令部!こちらホーク1!3号車が襲われている!違う!アレは要救助者じゃない!』
『3号車!応答しろ!』
手酷い損害を得た政府は米国に協力を要請、多数の反対を押し切りサーモバリック爆弾の使用を決定。立ち入り禁止区域を5kmに拡大、B-1Bが東京上空を横断した後、従来の立ち入り禁止区域全は火の海と化した。
「ふーん、解散総選挙だってよ。まぁ東京を火の海にしちまったんじゃ、何らかのけじめをつけなきゃならんからねぇ」
セルフ東京大空襲などと揶揄された爆撃作戦から一月、事態が取りあえず一息入れられるタイミングで、総理は衆議院解散を宣言した、野党・マスコミの壮絶なパッシングによく一月耐えたと言った感もある。
「まぁ俺はあの対応はありだと思いますがね、あんなくそヤバいモノ叩けるうちに全力で叩いちまわねぇと」
速水は訳知り顔でそううなずく。まぁ俺も同意見だが、算盤掛はたまったものじゃないだろう。安全宣言はいまだ出ず、避難民帰宅の目途はたっちゃいないし、地価や株価は大下り。ついでに焼け跡から出た多数の焼死体の身元は判明している方が少ない。
「……けじめと言えば、郷田さんはどうなったんですか?」
「ああ、10億で手打ちだったってよ」
この騒動で薬草、世間的にはPXは周知のものとなった。これだけ危険性がアピールされたんだ、これからの締め付けは今までの比じゃなくなるだろう。とは言え出資した分はもう回収しているし、今回の騒ぎには郷田の非はない。
だが、奴は今度のことでけじめを取ってヤクザを引退した。まぁ何か思うことがあったのだろう。親分の沙汰が出た次の日に現金で10億揃えて盃を返したそうだ。まぁ奴ほどのやり手ならどこへ行こうがうまくやっていくだろう。
「それにしてもこれで終わったんですかね?」
「はっ馬鹿言うな、終わったわけがねぇ」
薬草の危険性は十分にアピールできた。だがそれを補って余りうる有用性を持っている。それを知った人間がそうやすやすと手放せるわけがない。おそらく今回の騒動で相当数の薬草が世界にばらまかれたろう。そしてバカってのは自分たちならそれを管理できるなど思い上がる。まぁそのバカの中には当然俺達も含まれちゃいるが……。
ともかく今後、国内外のどこかで必ずあの草は猛威を振るうだろう。その時、今回の様に運よく初期に処理できればいいが、もし後手後手になった場合……。
人類、いや地球に転機ってやつが訪れるだろう。
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