第19話 『それは鵺だ』
十二月。
この日はちらほらと雪が降っていた。
「…」
愛花はカーテンの隙間から外を見る。
雪を見ている訳ではない。
この日は来客予定があるので、ビルの真下を見ているのだ。
そのそわそわしている背中を見ていると、こちらも緊張してくる。
(愛花さん…)
ケトルの湯も既に湧き、緑茶、紅茶、コーヒー、どれにでも対応できる様に構えておく。
昨日、愛花が食べようとした
(よし…)
「…あ」
愛花の小さな声に、すぐに悟る。
「…来ました」
直人は黙って首肯く。
愛花が扉の前に立つと同時に、ノックの音が響いた。
「はい、どうぞ」
入って来たのは晴喜、そして浅葱だ。
「よ」
「お待ちしておりました」
軽くお辞儀をする愛花を睨む浅葱。
その目には、混乱、戸惑いも混じっていた。
「何だぁ、このガキ?」
「探偵さんだ」
「探偵ぃ!?サツもこんなガキに頼る時代なのかよ…世も末だな…」
「しかし、今回の件を解決してくれたのは、この娘なんだぞ?」
「…それ、ちゃんと納得出来る内容なんだろうな?こっちは身体中あちこちを調べられて、気持ち悪い思いをしたんだぞ」
「大丈夫だ。なぁ?」
「はい」
間髪入れずに、自信満々に笑顔で答える。
愛花に案内され、二人は二人掛けソファーに座る。
「どうぞ」
愛花と晴喜に、熱々の緑茶が差し出される。
「西森さんは何にしますか?紅茶もコーヒーもありますが…」
「酒」
「おい、警察を前にして堂々と未成年が飲酒宣言するな」
「ちっ…ブラックだ」
「はい。メキシコ、ブルーマウンテン、クリスタルマウンテン、コスタリカ、キリマンジャロ、モカ、ロブスタ、マンデリン、ベネズエラ、コロンビア、グァテマラとありますが…どれにします?」
「直人君はバリスタでも目指してるのか?」
「分かんねぇから、適当でいい」
「はい、少々お待ちを」
「で、さっさと本題に入ってくんねぇか?」
その言葉を具現化するかの様に、浅葱は貧乏揺すりをする。
「はい。今回の事件は、二つの偶然から起こったものでした」
「…二つだぁ?」
「一つ目はご存じ、三ヶ月前に西森さんと諸星さんが出会った事。二つ目は諸星さんの『体質』です」
「体質?アレルギーの事か?」
「それも関係あるのですが…実はもう一つ、諸星さんには本人も知らなかった事実が隠されていたのです」
「前置きが長ぇ」
「西森さんは、諸星に何て言い寄られたんでしたっけ?」
「…俺のお袋だって言われたんだよ」
「そしてDNA鑑定をした…」
「…それが何だっつーんだよ?」
「西森さんは、何故諸星さんは母親だと言ったんだと思います?」
「知らねぇよ。ただの人違いだろが」
「でも、西森さんのプロフィールを言い当てたんですよね?」
「偶然だろ、偶然。有り得ねぇ事じゃねぇだろ」
「いえ、もっと簡単な理由があります」
「…あ?」
「諸星さんは西森さんの母親と言い、プロフィールも言い当てた…これだけ聞けば、自ずと答えが出て来ると思いますが?」
愛花が何を言いたいのかを悟ったのか、浅葱の顔が険しくなっていった。
「おい…変な事言うんじゃねぇぞ…!?」
しかし、愛花はその口を開いてしまった。
「…本当に母娘だったんです。貴女と、諸星さんは」
「…っ!」
ガタンッと大きな音を立て、勢いよく立ち上がる。
それに反応してか、直人と晴喜は反射的に身構えた。
対して、愛花は臆する事無く浅葱の顔を真っ直ぐ見る。
「ふざけんな!俺とあの女が母娘だと!?だったらDNA鑑定の内容はどうなる!?」
「それが、諸星さんの『隠された体質』なんです」
「何…!?」
「西森さんは、『キメラ』という怪物をご存じですか?」
キメラ。
テューポーンとエキドナの娘で、獅子の頭、山羊の胴体、毒蛇の尻尾を持つギリシャ神話の怪物。
「キメラって…あれか?頭が猿で、胴体が狸で、足が虎で、尻尾が蛇のバケモンだろ?」
((それは
でも、口には出さない。
どうせ愛花がツッコむだろうと思ったからだ。
「はい、そうです」
((否定しないんかい!))
もう、放っておこう。
「実は…このキメラの要素を持った人がいるんです」
「何だ?猿の腕でも持って産まれんのか?」
「いえ、外見的にではなく、内面がですね」
愛花は立ち上がり、部屋の隅に置いていた紙袋からある物を取り出す。
「こんな物を用意しました」
それは赤と青の粘土だった。
そして、その二色の粘土で、それぞれ球を作る。
「この二つの粘土のボールを、二卵性双生児の受精卵と思って下さい」
「?」
「二卵性の場合、DNAはどうなるかご存じですか?」
「全く違うんだろ?」
その通り。
「はい。そしてこの二つの受精卵は細胞分裂を繰り返し、胎児までに成長した後に双子として産まれます」
それぞれの粘土を半分程千切り、二体の人形を作る。
「…で?」
「しかし…時にこの二つの受精卵が一つになる事があるんです」
「あ?」
愛花は残った粘土を一つに固める。
完全には混ぜず、赤と青がハッキリと分かれたマーブル模様の球だ。
「そしてこの受精卵は一つの受精卵としてそのまま細胞分裂を繰り返し、胎児まで成長…そして大人になっていくのです」
そしてその粘土で人形作る。
「つまりこの人(人形)は、『DNAを二つ持って産まれた存在』なんです」
「…はっ」
浅葱は馬鹿にした様に鼻で笑う。
「んな話、信じるかよ。俺は知ってんだぜ?確かに双子が腹の中で一つになる事はあるが、そうなったらお互いが拒絶反応を起こしちまうってな」
浅葱の言う通りだ。
その拒絶反応を起こしてしまった場合、赤ん坊は頭が二つだったり、手や足が四本だったりと、異形な姿で産まれてしまう。
「よくご存じですね」
「残念だったな。出任せで俺を騙せないで」
「出任せではありませんよ」
「あ?今、俺の話を肯定したじゃねぇか!?」
「確かに、西森さんのお話は事実です。しかし、受精したばかりの時にそれが起こった場合、お互いがお互いを取り込んでしまうのです」
その場合、拒絶反応が起こらない。
産まれてきた赤ん坊は、見た目は何ら変わらない人間として生きていく。
「こんなお話があります。二〇〇二年、アメリカのワシントン州に住む、とあるシングルマザーの女性のお話です」
当時二十五歳。
彼女は四歳の息子と三歳の娘、そして三人目を妊娠していた。
しかし、三人目の妊娠中に恋人と別れ、シングルマザーとして子供達を育てていく事となった。
その為、彼女は生活保護を受ける事にした。
ワシントン州では、生活保護を受ける為に血縁関係を証明しなくてはならず、家族全員がDNA鑑定をしなければならなかった。
「元恋人である男性の協力もあり、DNA鑑定は滞りなく進みました…が、彼女のDNAとお子さん達のDNAが一致しなかったんです」
「…あ?」
「更に産まれた三人目の赤ちゃんも、DNAは一致しなかった…なので生活保護を受ける為に、体外受精したと判断されてしまったんです」
その場合、生活能力があると判断され保護を受ける事は出来ない。
それどころか不正受給で告訴、子供達も施設に引き取られてしまう。
「しかし、一人の弁護士が二つのDNAを持つ人の存在を知り、彼女もそうではないかと再度DNA鑑定をしたのです」
「…で、どうなったんだ…?」
「彼女の全身五十ヶ所からDNAを採集したところ、子宮から検出されたDNAだけが見事一致しました」
「それって…!?」
「そうです。今回、西森さんがやられた方法と一緒です。その結果…猪熊さん」
「ん」
晴喜が出した一枚の資料。
「諸星節子の扁桃腺と右太腿から検出したDNAだけが、お前のと一致したよ。間違い無く、お前と諸星節子は母娘だ」
「こういった特殊な遺伝子を持った人を、『DNAキメラ』と言うそうです」
「う…そだ…」
やっとの思いで出た、反論の声。
「嘘だ!あんな奴、俺のお袋じゃ…!」
「いい加減にして下さい!」
滅多に聞かない、愛花の怒声。
「本当は西森さんだって気付いてるんでしょう!?諸星さんがお母様だって!」
「何を根拠に…!?」
「…ピーナッツバター」
「っ!」
浅葱が動揺したのが分かる。
「ピーナッツバターって…やっぱり意味があったんですか?」
「…先月、直人君はこう言ったのを覚えてますか?」
「え?」
「『何故アレルギー食品なんて、身内しか知らない様な方法で亡くなったのか』って」
「あー…」
言った覚えが幽かにある。
「西森さん。貴女の記憶の中のお母様も、ピーナッツアレルギーだったんじゃないんですか?」
「…!」
「…まさか…!?」
「直人君も気付いたみたいですね。そうです。諸星さんは西森さんのお母様と同じアレルギーを持っている事を証明し、西森さんのお母様だと訴えたかったんですよ。それに、もしかしたら死んでしまったのは、あくまで事故だったのかもしれません」
「成程な…それならあの時、西森浅葱の顔色が変わったのも納得出来る」
「…」
沈黙を通す浅葱。
追い詰める愛花。
「お願いです、西森さん…もう、認めてあげて下さい…」
「俺のお袋は…」
小さく動く、浅葱の口。
「詐欺に遭って…勝手に蒸発しちまったんだ…」
「家族に迷惑がかからない様に…ですか…?」
直人にも覚えがある。
もっとも、直人の場合はもっと深刻なものだが。
「間抜けな奴だよ…テメェで自滅しまくった挙げ句、最期には死んでよ…」
一筋の、涙。
「馬鹿野郎…母親だって認めさせたいなら、最期までみっともなく足掻けよ…!ピーナッツバターなんて食って、死んでんじゃねぇよ…!」
「西森さん…」
浅葱の頭を、胸に埋めさせる。
母性とは違う、優しい温もりを感じた。
「すまねぇ…お袋…!」
「もう、大丈夫です。そう呼んでもらえて、諸星さんも喜んでますよ」
「うっ…うっ…」
暫く続いた、浅葱の嗚咽。
「一件落着…だな…」
「ですね…」
緑茶もコーヒーも冷めてしまったので、入れ直してやろう。
そう言えば、最中も出し忘れてた。
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