第17話 『勿論、薩摩芋です』
「「…」」
考え始めて、どれ位の時間が経ったのだろう。
ふと時計を見ると、既に一時間以上が経っていた。
(ご飯炊かなきゃ…)
ザルに米を二合取り、研ぐ。
「あの…愛花さん…」
「はい、何でしょう?」
右手を口に当てた姿勢を取ったまま、愛花は返事だけする。
何となく、気まずい。
「えと…今夜は里芋の煮っ転がしですが…」
「…そうですか」
またもや、素っ気ない返事だけが返ってくる。
余程頭を悩ませているのだろう。
(ああ…余計な事を言うんじゃなかった…)
それは、考え始めてすぐの事だった。
『それでも、母娘と名乗る理由はあるんでしょうか?』
この直人の一声で、振出しに戻ってしまったのだ。
DNA鑑定が目的だとしても、何故それで母娘だと分かり易い嘘を言ったのか。
他にもやり方がある筈だ、と。
そこで出た仮説は、『浅葱が何かの犯罪者で、節子がその証拠を持っている』。
もし浅葱が犯罪者ならば、DNA鑑定に応じない可能性が高い。
だが、母娘がどうか調べるという口実ならば、幾分かはそれに応じ易いだろうと。
が、これでも矛盾が生じる。
一つは、『何故すぐにその証拠を、警察に持って行かなかったか』という事。
昔の事件にしろ、最近の事件にしろ、その証拠を持ったままなのはおかしい。
もう一つは、『八重が簡単に許可を出した』事。
何かしら事件に関係するのならば、小学生である愛花に任せるのは無責任だ。
「はぁ~…」
漸く姿勢を崩し、溜め息をつきながらテーブルに突っ伏す。
「分からないですねぇ~…」
思った以上に難解な謎だ。
どの仮説も、何かしら矛盾が生じてしまう。
「…『推理に行き詰まったら』」
「はい?」
「『疑う事より、信じる事をしてみなさい。そうすれば、新しい発見があるかもしれないよ』」
「…それは?」
「今回のヒントとして貰った、おばあちゃんの探偵の心得の一つです。今回みたいにどの仮説も矛盾だらけの謎の場合、逆に何が本当なのかと考えるんです」
「何が本当なのか…」
「そうすると、今度は別の何かを疑う事になるんです」
「はぁ…」
「でも…正直それがどういう意味なのか、いまいち分からないんですよねぇ…」
「意味無いですね…」
「結局、疑う対象が増えるか変わるかだけですし…」
確かにそうだ。
しかし、あの八重の事だ。
意味の無い事など、言う筈がない。
研いだ米を炊飯器にセットし、また同じ場所に座る。
「…あれ?煮っ転がしを作るんじゃないんですか?」
「煮っ転がしは一晩置くと味が染みて美味しくなるんです。だから昨日寝る前に作って、冷蔵庫に置いてあるんですよ」
成程。
先程冷蔵庫で発見した鍋の中身は、煮っ転がしだったのか。
「あと、今日は少し贅沢に…味噌汁ではなく、豚汁です」
「本当ですか!?」
「はい」
直人の作る豚汁は美味しい。
味噌汁も美味しいのだが、愛花は豚汁の方が好きだ。
野菜は人参と大根と白葱。
そこに豚肉の旨味も加わり、格段に美味しくなる。
「因みに…お芋は…?」
「勿論、薩摩芋です」
直人の豚汁には、いつもじゃが芋が入っている。
それが秋季限定で薩摩芋になるのだ。
これがまたホクホクで甘い。
「薩摩芋…!早く食べましょう!」
「いやいや、まだご飯炊き始めたばかりですから…」
「あぅ~…」
あからさまに愛花のテンションが落ちた時、事務所の電話が鳴った。
「はい、こちら旧天宮探偵事務所…」
『おー、直人君か』
「猪熊警部?」
「へ?猪熊さん?」
思わず愛花も駆け寄る。
それを確認した直人は、スピーカーに切り替えた。
「どうしたんですか?」
『お、愛花ちゃんも居るのか。こりゃ、都合がいい』
「「?」」
『昨日話していた諸星節子なんだがな』
「ああ、その事なら今考え中で…」
『自宅のアパートで、死亡しているのが発見された』
「「…え?」」
一瞬だけ、本当に一瞬だけ言っている意味が理解出来なかった。
「死亡…殺されたんですか!?」
『いや、状況から見るに自殺だ』
「自殺…?」
『とりあえず、詳しい事を話したい。明日の昼過ぎ、時間を取れるか?』
「はい…日曜なので、私も直人君も居ます…」
『よし。なら明日、宜しく頼む』
「はい…」
スピーカーから電話を切る音が聞こえ、それを境に事務所内が静寂に包まれる。
「…」
「愛花さん…」
直人の呼掛けも、すぐに消える。
「…紅茶…」
「え?」
「紅茶のおかわりを…いただけますか…?」
「は…はい…」
それだけを言い、愛花は再びソファーに座る。
(ショック…なんだろうな…)
まだ子供の愛花にとって、『死』はなかなかに堪える。
愛花が初めて『死』、しかも『人の死』を目の当たりにしたのは、四歳の時だった。
死んだのは、愛花の両親。
交通事故だった。
物心が付いたばかりの愛花にとって、一番安心したのは両親の側だ。
抱っこやおんぶをしてくれる、父親の大きな身体。
料理や添い寝をしてくれた、母親の温かな身体。
それが一瞬の出来事で冷たくなり、骨と灰になり、あの小さな骨壷に入ってしまった。
その後は八重が引き取ったものの、愛花はその現実を暫く受け入れる事が出来なかった。
「…どうぞ」
「…ありがとうございます」
直人もソファーに座り、愛花を見る。
動揺しているんじゃないかと思って手を見るが、震えている様子は無い。
次に顔色を伺うが、先程と特に変わり無い様だ。
「大丈夫ですよ」
「あ…」
愛花の声に、逆にこっちが動揺してしまう。
「ショックが無いと言えば嘘になりますが…だからと言って、この謎を放棄する事はしません」
そこを心配していた訳ではないが、否定はしない。
「今までおばあちゃんの仕事を何度か見てきて、多少は『死』について考える様になりました」
「…」
やはりこの娘は探偵向きだと、直人は思った。
好奇心旺盛なだけではない。
知識を吸収するだけでもない。
人の心までも考えるのだ。
生死は問わない。
何を考えて行動したのか。
何を思って言ったのか。
目に見える現実だけじゃ分からない事を、常に考えるのだ。
「まぁ、一応この事はおばあちゃんに言わないといけませんが」
「ですね」
と、丁度米が炊けた。
「っと…ご飯にしましょうか」
「あ…その前に、二つ程お願いがあるのですが…」
「はい?」
「黙祷を…一緒にやってもらえませんか?」
「黙祷?」
後で思えば、直人がこの事務所に来てから黙祷したのは、この時が初めてだったのかもしれない。
「いいですよ」
「では…」
手を合わせ、目を瞑る。
黙祷。
「…ありがとうございます」
「いえ…で、もう一つのお願いとは?」
「えと…」
愛花は暫くもじもじした後、恥ずかしそうに切り出した。
「今夜…お泊りしても…一緒に寝てもいいですか…?」
「へ?」
「その…やっぱり色々考えちゃって…」
なんだ、そんな事か。
「構いませんよ。八重さんには僕から言っておきますね」
「ありがとうございます。でも、おばあちゃんには私から言わせて下さい。報告と、この後の事も相談しなくてはいけないので」
二人で微笑み合い、漸く夕食へ。
冷蔵庫の煮っ転がしを器に入れ替え、それを両側から挟む様にご飯と豚汁をそれぞれ置いた。
「では…」
箸を持ち、合掌
「「いただきます」」
ねっとりとした食感の煮っ転がし。
出汁がよく染みていて、噛めば噛む程に味が出てくる。
そこで空かさずご飯を。
「ん~♪」
これが合わない訳がない。
口の中が無くなったら、豚汁を。
少しだけ口を大きく開け、具と汁を一緒に。
柔らかくなった大根と人参、シャキシャキの白葱。
むっちりとした食感の豚肉に、一番楽しみにしていた薩摩芋。
昨日とは打って変わって、ぐんぐん箸が進んでいく。
「…」
その食べっぷりに、つい凝視してしまう。
「?何ですか?」
「いえ、何も」
「?」
適当に誤魔化し、直人も煮っ転がしを口にする。
「…直人君」
煮っ転がしをしっかり呑み込んでから、返事をする。
「はい?」
「諸星さんの自殺について…どう思いますか?」
「んぐっ!?」
呑み込んだ筈の煮っ転がしを、思わず吹き出しそうになった。
なんとかそれを
「ごほっ!ごほっ!」
「大丈夫ですか!?」
「ええ…なんとか…」
漸く咳が落ち着き、話を再開する。
「急にすみません…薮からスティックでしたね…」
(何故ルー語…?)
話が進まなくなるので、ツッコまないでおく。
「自殺についてですよね?愛花さんは何か思う事でもあるんですか?」
「…自殺って、何故するのか理解出来ますか?」
「何故するのか…?」
直人は少しだけ考えるが、答えなんて決まっていた。
「生きていくのが辛くなったり…何もかも失ったり…ですかね…?」
「ですよね…」
「?」
十秒程の間。
「私は…これはただの自殺ではないのではと考えています」
「!」
ただの自殺ではない。
と、なると。
「まさか…西森さんが殺し…!?」
「いえ、そうではなくて…」
間髪入れずの否定。
「今回、諸星さんが自殺した理由…動機と言うべきでしょうか?それって、何だと思います?」
「うーん…やっぱり『西森さんに否定されたから』…でしょうか…?」
自身が執着していた浅葱からの否定。
現時点で分かっている情報からだと、そうとしか考えられない。
「西森さんに否定されただけで、何故自殺する事になるんですか?」
「それは…諸星さんは西森さんの事を本気で娘だと信じていたとか…?」
「その娘さんから否定され、自殺…だと?」
「はい」
「しかし、今回DNA鑑定で血縁関係が無いと分かった以上、普通なら『人違いだった』で済む話ですよね?」
「まぁ…」
「人にもよるでしょうが…たかだか人違いで、自殺するとは思えません」
「あ…」
確かにそうだ。
自殺の動機としては、小さ過ぎる。
いや、むしろ自殺の動機にもならないだろう。
「なら、西森さん関連以外の動機があると…?」
「かもしれません…もしくは…」
「もしくは…?」
「諸星さんか西森さんのどちらかに、まだ明らかになっていない『何か』があるか…」
二人の身に隠された『何か』。
それは節子の正体と目的に繋がる物なのか。
もしそうならば、一刻も早く晴喜の話を訊かなければならない。
「「…ごちそうさまでした」」
食事を終え、二人は着替える。
事務所には風呂が無いので、近くの銭湯へ行くのだ。
(自殺…か…)
ふと、蒸発した両親を思い出す。
あの二人も、自殺してもおかしくない情況だ。
もしかしたら今頃、と考えてしまう。
「直人君?」
ひょこりと愛花が顔を覗き込む。
瞬間、直人の妄想は強制終了した。
「あ…ああ、すみません。行きましょうか」
「?はい」
ビルを出ると、秋の冷たい風が二人を襲う。
「めっきり寒くなりましたね~…」
「今日の風呂上がりは何にしますか?またいちご牛乳ですか?」
「ん~…いえ、今日はフルーツ牛乳の気分ですね」
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