第16話 『次はアイスを乗せたいたです!』

 翌日、土曜日。


 今日は学校が休みの為、朝から愛花が来る日。


「…遅いな」


 しかし、いつもなら八時頃に来る筈が、もう十一時になる。


 過去にも遅れる事はあったが、ここまで遅いのは珍しい。


 せっかく用意した朝食も冷めてしまった。


(風邪でもひいたのかな…?)


 と、思い始めたその時、事務所の扉が開く音がした。


「おはようございます…」


「おはようございます。遅かったです…っ!?」


 その顔を見て、ギョッとする。


 まるでアイシャドウをしているかの様な、立派なくまが出来ていた。


「どうしたんですか!?その隈!」


「いや…昨日の事を色々考えてたら、朝になっちゃってて…」


 フラフラと頼り無い足取りでソファーに向い、倒れ込む。


「これは…ご飯どころじゃないですね…」


「はいぃ…眠いです…」


「寝るなら、奥の仮眠室に行って下さい。ベット使っていいですから」


「…」


「愛花さん?」


 限界を迎えたのか、既に寝息を立てている。


「もう…眼鏡掛けたままだと、歪んでしまいますよ」


 直人は眼鏡を外してやり、愛花を抱える。


 軽い。


 驚く程軽い。


 重さを感じても、負担は感じない。


「よいしょ…」


 愛花をベットに運び、箪笥を開ける。


「えーと…」


 愛花が事務所に泊まる事もあるので、箪笥には直人だけでなく、愛花の着替えも入っている。


 適当にパジャマを見繕みつくろった後、愛花のワンピースのボタンを上から外していく。


 最初の頃は戸惑いを隠せなかったが、今となっては躊躇ためらいすら無い。


 ワンピースの下は、白のキャミソールに下着。


 そして、白く、細い身体。


 簡単に折れてしまいそうだ。


「…よし」


 慣れた手つきで愛花にパジャマを着せ、三つ編みを解き、布団を掛けてやる。


 仮眠室を出て、真っ先に目に入った、愛花の為に用意していた朝食。


(…昼に食べよう)


 ラップをし、冷蔵庫にしまった。




 午後三時。


「ふぁ…」


 目覚めたばかりの目に映るは、ぼやけた景色。


 身体を包んでいる温かくて柔らかい物から、事務所のベットの上だと推理するには、そう時間は掛からなかった。


「ん…眼鏡…」


 ベットの横にあるチェストの上に手を伸ばし、置いてあった眼鏡を取る。


「う~ん…」


 ベットから降り、思いっきり背伸び。


 いつもの睡眠時間よりは短いが、それなりにすっきりした感じがする。


「ワンピース…」


 洋服スタンドに掛けられているワンピースも早々に発見し、着替え始める。


 勿論、いつの間にかパジャマに着替えさせられていた事については、特に何も思わない。


「おはようございま…あれ…?」


 本日二度目となる目覚めの挨拶をしながら、仮眠室の扉を開ける。


 しかし、事務所に直人の姿は無かった。


「直人君…?」


 トイレの扉を確認すると、鍵は掛かっていない。


 次に玄関の扉を確認すると、今度は鍵が掛かっていた。


「お買い物でしょうか…?」


 まだ若干ぼーっとする頭を覚醒させる為、何かないかと冷蔵庫を開ける。


「むぅ…」


 冷蔵庫には、ペットボトルのアイスコーヒーと作ったばかりの麦茶と謎の鍋。


 奥にはピーマンとセロリもあったが、見なかった事にする。


 目覚めにはコーヒーと相場は決まっているが、愛花はコーヒーが飲めなかった。


(せめて紅茶があれば…)


 とは言うものの、紅茶もミルクと砂糖を入れないと飲めない。


 諦めて麦茶をグラスに注ぎ、こくこくと喉を鳴らしながら飲み干す。


「…」


 前所長の八重が座っていた椅子に座る。


 大きい。


 椅子の脚が高い為、座るにも一苦労。


 座って室内を見渡そうにも、目の前の所長机が景色の下半分を塞いでいる。


「やっぱり…まだ無理ですか…」


 祖母が見ていた事務所の風景を見てみたい。


 背が低い愛花には、まだまだ未来の話なのかもしれない。


「ただいまー」


 その時、直人が帰ってきた。


「おかえりなさいー」


 愛花が手を振る。


 直人から見たら、机から腕が生えている様だった。


「起きてたんですね」


「つい先程」


「お腹空きませんか?おやつにパンケーキ作ろうかと思うんですが…」


「パンケーキ!?食べます!」


「では」


 キッチンに立ち、次々と出てくる材料達。


 ホットケーキミックス、牛乳、バター、卵。


 そして、ヨーグルト。


「…ヨーグルト?」


 トッピングにでも使うのだろうか。


「ハワイアンパンケーキですよ。本来は重曹を使うんですが、ヨーグルトの方が色々栄養取れるらしいので」


 ハワイアンパンケーキ。


 口当たりが軽く、しっとりふわふわの食感が特徴のパンケーキ。


「さてと…」


 夕食用に買った材料を冷蔵庫に詰め込み、ボウル、泡立て器、フライパン、フライ返しを取り出す。


 牛乳、溶かしたバター、卵、ヨーグルトをボウルに入れて混ぜ、ホットケーキミックスをふるいながら入れて混ぜる。


「愛花さん、これを混ぜて下さい」


「これは?」


 直人に渡された、白い液体が入ったボウル。


「練乳を入れた生クリームです。これでミルククリームになるんですよ」


「ミルククリーム…?」


 聞き慣れない名前だ。


 しかし、名前だけでどんな物なのかは簡単に想像出来る。


「…」


 言われるまま混ぜたものの、見た目は特に変わっていない。


 チラリと直人の方を見ると、既に一枚目を焼き始めていた。


(ちょっとだけ…)


 その隙に、人指し指でミルククリームを少し掬い、ぱくり。


「!」


 美味しい。


 思ったよりしつこくない甘さだ。


(も…もうちょっとだけ…!)


「出来ましたか?」


「ひゃい!」


 不意に声を掛けられ、危うくボウルを落としそうになる。


 そーっと振り返って見ると、直人は愛花に背を向けたまま、パンケーキを焼き続けていた。


(バ…バレてませんよね…?)


「味見程度ならまだ許しますが、それ以上は摘み食いと判断しますからね?」


「…はい…」


 バレてた。


 昨日の事といい、本当に後ろに目があるのではないか。


 思わず直人の後頭部を凝視してしまう。


「…」


 いや、後頭部とは限らない。


 背中にあるのではないか。


(でも、服を着てますし…)


「…よし」


「っ!」


 やましい事をした訳ではないのに、反射的に身体が強張る。


「焼けましたよ」


 テーブルに並べられる、それぞれ三枚ずつパンケーキが乗った二枚の皿。


「…結構薄いんですね」


 クレープとまではいかないが、確かに薄い。


 どら焼の生地か、それより薄い位だ。


「この薄さも特徴なんです。さ、いただきましょう」


 同時に手を合わせ、会釈えしゃく


「では…」


 フォークで端を切り、まずはそのままでぱくり。


「美味しいです!」


 表面はさっくり、中はしっとりふわふわ。


 ヨーグルトが入っている為か、ほんのり酸味も感じる。


 ミルククリームとの相性も抜群だ。


「…」


 あっという間に一枚を完食。


「…愛花さん」


「はい、何でしょうか?」


「ストロベリーソースもありますが…どうですか?」


「流石直人君、分かってますね」


 早速二枚目をストロベリーソースで食す。


 感想は、言わずもがな。


 三枚目は贅沢にミルククリームとストロベリーソース、両方で。


「ふぅ…ご馳走様でした」


「はい。まだ冷蔵庫にもありますので、また明日にでも食べましょうね」


「次はアイスを乗せたいです!」


「はいはい」


 喜んで貰えて何よりだ。


「そう言えば…」


 アールグレイで淹れたミルクティーを一緒に啜りながら、直人は切り出した。


「昨日の猪熊警部の話、八重さんは何と?」


「あー…猪熊さんと一緒の事を言ってました」


「つまり…?」


「事件ではないから、やってみなさいって」


 そんなあっさりと。


「それとですね…」


 そこまで言って、愛花が口籠くちごもる。


「どうしたんですか?」


「おばあちゃん…この謎、もう解けているみたいなんですよ」


「…は?」


 もう解けていると聞こえたのは、気のせいだろうか。


 いや、気のせいなんかじゃない。


「なら、早く猪熊警部に…!」


「いえ、しなくていいです」


 直人を制止させる、愛花の鶴の一声。


「何故…!?」


「これは私が受けた謎です。なので、私自身が解決したいんです」


 直人を真っ直ぐ見る、大きな瞳。


 いつもならチャームポイントの一つとして見るのだが、今は威圧を感じる。


「我が儘と言われても構いません…でも、やりたいんです」


「愛花さん…」


 浮かせていた腰を再びソファーに落とし、直人も決意する。


「分かりました。僕も付き合いましょう」


「…っ!」


 愛花の瞳から威圧感が消え、いつもの輝きが戻った。


「ありがとうございます!」


「では早速…愛花さんの考えを訊かせてもらえませんか?」


「はい」


 コホンと咳ばらいをし、推理を始める。


「まず最初に…昨日話した人工受精の事ですが…」


「はい」


「おばあちゃんに話したら、鼻で笑われました」


(辛っ)


 あの温厚な八重が、鼻で笑う事があるのか。


 しかも実の孫を。


「で、色々考えたんですが…どれもこれも矛盾してしまうんですよ」


「矛盾…」


 愛花の考えは、おおよそ想像がつく。


「まず一つ、『義理の母娘だった』」


「それは…」


「はい。思い付いて、すぐに違うと判断しました」


 当然だ。


「二つ、『諸星さんは、西森さんのストーカーだった』」


「ストーカーですか…」


 だから、浅葱のプロフィールを言い当てた。


 腕に自信のあるストーカーや詐欺師なら、その位調べるのは朝飯前だろう。


 それは探偵にも当てはまる事だが。


「しかし…この二つの仮定には、共通の矛盾があります」


「DNA鑑定…ですか…?」


 愛花は黙って頷く。


「はい。もしこの二つのどちらかなら、んです」


 義理の母娘、もしくはストーカーだった場合、血が繋がっていない事位分かっている筈だ。


 なら、DNAを調べる意味は無い。


「そこで私は、こう考えました」


「?」


「諸星さんの目的は調なんじゃないか、と」


「DNAを調べる為に、母娘だと言って西森さんに近づいた…」


「はい」


「DNAを調べる為…なら、その理由は何ですか?」


「そこで、寝オチしてしまったんです」


「あ…そうだったんですか…」


 それをこれから考えるのか。

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