第10話 不確実を確実にする不確実

「犯人が分かりました」


 書庫を出て、ホールに五人全員が揃っているのを確認出来たと同時に、愛花は単刀直入に言った。


 その言葉で、場の空気は驚きで満たされた。


「それは本当かい…!?」


「はい」


「しかし…全員にどちらかの殺人でアリバイがあると聞きましたが…」


「そうですねぇ…まず、松原さんのその疑問からお答えしましょう」


 泰造以外の全員がゴクリと喉を鳴らす。


「皆さんは今回のアリバイ作りとして、どんな事を考えますか?」


 愛花の質問に、全員が首を傾げる。


 口には出さなかったが、この時全員が『森の中を最短距離で走り抜ける』を真っ先に考えた。


 しかし、先にも言った通り、それはあり得ない事にもすぐに気が付いた。


「恐らく、皆さんはを何とかしようと考えたのでしょうが、違います」


「じゃあ、一体…」


「もう一個あるじゃないですか。ちょっとした事で、アリバイを作れる物がに」


「中って…まさか…死亡推定時刻…!?」


「希美ちゃん、大正解」


「そうです。ご存知の方も多いかもしれませんが、遺体を温めたり冷やしたりすると、死亡推定時刻をズラす事が出来るんです」


 確かに、それは全員が聞いた事があった。


 しかし、正解と言われても正直信用出来ない。


「でも…今はそんな事をしてもすぐにバレるって聞いた事がありますけど…?」


 直人の言う通りだ。


 医学や科学が発展したこの現代、死後硬直だけでなく、直腸温度や直腸菌の働き、その日の気温等から、かなり正確な死亡推定時刻が分かる。


「確かにな…しかし、こんなろくに医療系の器具が無い島で、死亡推定時刻を割り出す方法なんざ限られてくるだろ?」


「あ…そっか…」


 しかし、ここで新な疑問が。


「でもなぁ、それやったら何で両方共にやらんかったんや?」


 確かに、アリバイ作りとしてはかなりお粗末。


「それはあくまで私の予想でしかないのですが…恐らく、『自身が持つアリバイの信憑性を高める』為だと思います」


「信憑性?」


 お粗末な内容なのに、信憑性が高まる。


 意味が分からない。


「元空巣の方から、こんなお話を聞いた事があります。その方はお財布から現金を盗む際、『ある事』をするだけで、持ち主に『家族の誰かが盗んだ』と思わせる事が出来ると言ってました」


(((あ…)))


 これは各探偵事務所の助手である三人は知っていた。


 だから、愛花の言っている意味にすぐ気付いた。


「それは、『中身を残す』です」


 中身を残す。


 つまり、現金を全て盗まない。


「そうする事で、『家族に盗まれた』と勘違いするそうなんです」


「で?それが何や言うんや?」


「空巣として、あり得ない行動をする。そうする事で、犯人である自分の存在を、他者の意識から外す事が出来る」


 容疑者リストから外れる事が出来る。


「二つの殺人で、真っ先に疑われるのは『二つ共にアリバイの無い人間』だというのは分かりますよね?」


「ああ」


「その次に疑われてしまうのは、『二つ共にアリバイのある人間』なんです」


「へ?」


「『偶然にしては出来過ぎている』とか、『逆に怪しい』とか、そんな感じですね」


 特に推理物の小説や漫画、ドラマやアニメが多い昨今、その様に思い易い。


「だからワンクッション。あえて『アリバイを一つだけにする』といった『犯人としてあり得ない行動』をする事で、その疑われる両方の要素から逃れ様としたんです」


「な…成程な…」


「しかし、今回はそうはいかなかった…私達と萬屋探偵事務所のお二人以外、全員『どちらかのアリバイだけがある』という、奇妙な状況になってしまった」


 犯人にとっては、かなりの痛手だっただろう。


「犯人が分かり難くなると同時に、全員が容疑者となってしまったんです」


「それじゃ…蒼也と千鍵を殺した犯人をどうやって…?」


「ダイイングメッセージがあったんです」


 ポケットから取り出したのは、先程自分が書いた米の紙。


「それって…先程萬屋さんが見せた紙…?」


「そうですよ。勿論、墨田さんだけじゃなく、全員に見せましたけど」


「これは本来、氷室さんが残した血文字なんです」


「それ…解けたの…!?」


「はい」


 と、愛花は歩き出した。


 止まった先は、地図の前。


「このダイイングメッセージを解くヒントは、昨日の夜、氷室さんが出したクイズでした」


「クイズ…十年前にも言ってた、あの共通点云々ってやつか…」


「はい。そして、その共通点は皆さんの名前にありました」


 そう言われ、全員が地図を見る。


 天宮愛花、白石直人、西森浅葱、萬屋泰造、金元希美、中井拓真、松原日向、柏木英里、墨田零士、伊藤友和、氷室蒼也、米倉千鍵。


 一通り全員の名前を確認したが、やはり分からない。


「では、ヒントを一つ。この中で分かり易い方だけを挙げましょう」


 愛花はキッチンにあった台を運び、地図を指差しながら名前を挙げていく。


「まず…中井拓真さん」


「!」


「松原日向さん」


「え…?」


「柏木英里さん」


「…」


「伊藤友和さん」


「自分も?」


「そして殺された米倉千鍵さんと…西森浅葱ちゃん」


「俺もか!?」


「今挙げた六人の名前だけで、考えてみて下さい」


 全員が再度地図で名前を確認する。


(うーん…)


 何か、何か分かりそうな気がする。


 直人は更に考える。


 他に何かないかと。


「…あ」


 ふと思い出した、蒼也の職業。


「分かりました?」


「まさか…国名…!?」


「直人君大正解!百点満点です!」


 ピョンと台から飛び降り、拍手。


「そうです。皆さんの名前に『国名を表す漢字一字』が入っているんです。因みに…」


 そして右手で自身の胸を叩いた。


「私、天宮愛花は『愛』で『アイルランド』」


 次に、その手で分かり難くい六人を次々と差していく。


「白石直人君は『白』で『ベルギー』」


「ベルギー…」


「萬屋泰造探偵は『泰』で『タイ』」


「へぇ」


「金元希美さんは『希』で『ギリシャ』」


「知らなかった…」


「墨田零士さんは『墨』で『メキシコ』」


「む…」


「殺された氷室蒼也さんは『氷』で『アイスランド』。最後に、中井さんの昔の御友人である一宮衣鈴さんは『衣』で『イエメン』」


「ちょ…ちょっと待って下さい!」


 と、更にもう一つ気付く。


「全員の名前に国名が入っているって事は…まさかあのダイイングメッセージって…!?」


「そうです。あれは米の字ではなく、その国々を表すシンボルマーク的存在…ズバリ国旗です」


 再び動き出す、愛花の足。


「つまりあれはユニオンジャック…」


 そして、ある人物の前で止まった。


「貴方の名前にも含まれている漢字の国の国旗ですよ?」


 最後に、笑顔。


「柏木英里さん」


「っ!」


「イギリスの漢字表記である『英』の字を持つ貴女こそ、米倉さんと氷室さんを殺した犯人です!」




「なっ…!?」


「英里さんが…蒼也と千鍵を…!?」


「…いやいや」


 いつも無表情の筈の英里の顔に、笑み。


 しかし、眼は笑っていない。


「松原さんも中井さんも、真に受けないでください」


「と、言いますと?」


「そんなこじつけなんかで、人を犯人扱いしないでほしい…という事ですよ」


「つまり、犯人だと言うなら、何か他に根拠を見せろと?」


「話が分かるじゃないですか。他に根拠があるなら、言ってくださいよ!」


「…だ、そうですよ?タイ兄ちゃん」


「ん、根拠ならあるぜぃ?」


「え…?」


「さっき俺が一人一人に尋問した時、アンタこれ見て、何て言ったか覚えてるか?」


 泰造がヒラヒラと見せたのは、愛花から奪ったダイイングメッセージが書かれた紙。


「『ちょっと分からない』って言ったんだが…」


「…それが何だと?分からないから分からないって言ったんじゃないですか!」


「おいおい、『米』は小二で習う漢字だぜ?いくら雑に書かれてるからって、こんな超絶ウルトラスーパー馬鹿が頭に付く程簡単な漢字が分からねぇ訳ねぇだろ?」


「っ!」


「あ!」


 思い返してみれば、そうだ。


 全員がこのダイイングメッセージを『米』と言った。


 友和も『米』とは言わなかったが、『簡単な漢字』と表現していたので、米だと思っていたに違い無い。


「なのに、分からない…それは何故か?」


「それは…!」


 そこまで言って、黙る。


 しかし、その沈黙は無意味だ。


「ホントはこれ…尋問する前に、あのコテージで一回見てんだろ?」


「くっ…」


「で、迷った挙げ句、その時はそのままにしたが、後になってこれを見せられて、変な事を言わない様にした結果、『分からない』と言った…迂闊だったな」


「でも、今日あのコテージに行ったのって…」


「そ、直人君達だけ。だからこの人がコテージでダイイングメッセージを見たとすれば、それは氷室を殺害した時しかない」


「…そんなの…」


 キッと泰造を睨み付ける、威圧感のある眼光。


「そんなの言い方一つじゃないですか!根拠なんて言った私が間違っていました!証拠を見せてください!目に見える物証を!」


「…残念ながら」


(((え!?)))


 愛花のその発言に、三人は焦る。


 まさか無いのか。


 英里が犯人だという証拠が。


「それも氷室さんのコテージに、ダイイングメッセージと共に残っていました」


「なんですって…!?」


(((ほっ…)))


 良かった、ちゃんとある様だ。


 と、ここで疑問。


 愛花達三人があのコテージに入ったのは、ほんの数分。


 愛花が突然走りだした為、陸に見ていないはずだ。


(何かあったっけ?)


 浅葱の方を見る。


 向こうも直人の視線に気付いた。


 が、浅葱からの返事は『首を横に振る』だった。


(あそこで見つけた物って言ったら、せいぜい…)


「指紋です。血で出来た指紋が、破壊された扉の鍵のツマミに付いていたんです」


「そう、指紋…え?」


 そう、あのコテージで見つけた物と言えば、血で出来た指紋と掌紋。


「いや…あの指紋って、氷室さんのじゃ…?」


「はい。向こうでも言った通り、あれは氷室さんの指紋でまず間違い無いでしょう」


「ちょっと待ってくださいよ…どうして氷室さんの指紋で、私が犯人になるんですか!?」


「氷室さんの指紋だから…いえ、と言うべきでしょうか」


 英里と直人だけでなく、泰造以外の皆が疑問符を浮かべる。


「実際に目で見ながら説明した方が分かり易いですかね…タイ兄ちゃん、お手伝いをお願いします」


「あいよ」


 探偵二人が向かい合う。


「では、私が氷室さん役、タイ兄ちゃんが犯人役、二人の間にはコテージの扉があると思ってください」


 各々が脳内で風景を造る。


「まず、氷室さん(愛花)はコテージの玄関で犯人(泰造)に頭をやられてしまいます」


 愛花が自分の頭を指差すと、泰造は指をボキボキと鳴らした。


「あの…タイ兄ちゃん?お芝居なので、手加減を…」


「手加減?何それ?美味いのか?」


「わーん!人でなしー!」


「「萬屋さん?」」


 直人と希美の声で、すぐに悪い笑顔が消える。


「大事な場面なんですから、真面目にやりましょう?」


「はい…」


「愛花さんは、貴方の恩師のお孫さんなんですよ?分かっているんですか?」


「仰る通りです…」


 気を取り直し、推理再開。


「んでは…」


 愛花の頭に手刀。


 勿論、痛くない。


「氷室さんは致命傷を負いながらも、犯人を外へと突き飛ばし、扉を閉め、鍵を掛けます」


 軽く泰造を突き飛ばし、それらしいジェスチャーをする。


「血の指紋はその時に付いたんですね」


「はい。氷室さんの手には怪我が無かったので、間違いありません」


 あの時死体の手を見ていたのは、傷の有無を調べる為だったのか。


「犯人を何とか追い出すものの、大量出血と脳へのダメージで死を悟り、それでも何とかダイイングメッセージを残し、力尽きてしまいます」


 パタリと床に倒れる。


「そして、犯人は持っていた鉈で扉を破るものの、中では氷室さんは既に絶命していた」


 今度は泰造がそれらしいジェスチャーをする。


「多少の違いはあるかもしれませんが、こんなところでしょう」


 その一連の流れに、誰からも異論は出てこない。


「…で?それが何だって言うんですか!?証拠らしき物は結局出てきてないじゃないですか!」


 皆も思った。


 だから何だ、と。


「今の流れで、何か気付いた事は無いですか?」


 ぶっちゃけ、特に無い。


「では、ヒントを一つ…今の話のではなく、の事を考えてみてください」


「…そう言えば…」


 気付いたのは日向だった。


「今の話だと、扉が壊されたのは、氷室さんが襲われたって事ですよね?」


「はい」


「じゃあは、犯人はどうやってコテージの扉を開けたんですか?」


「っ!」


「「「「「「あっ!」」」」」」


「そこなんです。氷室さんはハッキリと『籠城する』と言った以上、あのコテージは最初だった筈なんです」


 そうだ。


 何故気付かなかったのだろう。


 理由は簡単。


 扉が破壊されていたからだ。


「では、ここでクエスチョン。氷室さんが起きている筈の白昼に、どうやって犯人はあのコテージに侵入したのでしょうか?」


「あー…実は最初っから扉をブチ破ったとか…」


「それだと、血の指紋が付く理由が無いじゃないですか」


「く…」


 浅葱、撃沈。


「実は三本目の合い鍵をこっそり作っておいたとか…」


「だったら扉を破らず、その鍵で開けた方が楽じゃないですか」


「う…」


 直人、轟沈。


 天宮探偵事務所所員、全滅。


「もー…二人共ダメダメですねぇ」


「…実は鍵を閉め忘れてましたー…なんて…」


 と、とりあえず言ってみたものの、後悔。


 希美だけではなく、全員思っただろう。


 それは一番あり得ない、と。


「希美ちゃん…」


「希美さん…」


 心なしか、希美を見る探偵二人の視線が冷たい様に感じる。


「な…何も言わないでください!自分でも間抜けな事を言ったなぁ、って思ってるんですから!」


「「惜しい」」


「だから言わなくていいって…!…え?」


 探偵二人から言われた、予想外の答え。


「惜しいなぁ、希美ちゃん」


「惜しいって…鍵の閉め忘れがですか…!?」


「その時、鍵がではなく、と考えてみてください」


「開いたって…まさか…!」


「そのまさかです。氷室さん自身が開けてしまったんですよ。インターホンを使わず、アポ無しで突然来たにも関わらず」


 更なる予想外の答え。


「御覧の通り、インターホンは玄関にありますよね。それを使うとなると、必ず誰かに見られてしまいます」


 確かに、インターホンの周りには死角が無い。


「墨田さんに伊藤さん。将棋をしている時に、誰かインターホンに触りましたか?」


「いえ…」


「社長さんと、探偵のにーちゃんが触っただけや」


 それは恐らく、浅葱が蒼也のコテージからインターホンを鳴らした時だろう。


「でも…何で蒼也はいきなりの訪問に、あっさり鍵を開けたんだ…!?」


「それは…ここからは消去法で考えた方がいいかもしれませんね」


「だな」


「まず前置きとして、これが出来るのは人です」


「成程…犯人じゃないなら、問題無いと蒼也は思ったのか…」


「はい。なので、松原さん、墨田さん、伊藤さんの三人はアリバイが無い為、犯人の可能性がある…なので除外です」


「…ふっ」


 英里の短い笑い。


 それは、付き合いが長いであろう、拓真、日向、零士の三人も聞いた事が無かった。


「で?何故それで私だけが犯人になるんですか?雇い主をあまりこんな風には言いたくないですが、中井さんだってアリバイがあるじゃないですか!?」


「いえ、中井さんは一番あり得ないですよ」


「何故ですか!?」


「忘れたんですか?中井さん、アリバイがあるにも関わらず、氷室さんから犯人扱いされてたじゃないですか」


「あ…!」


 そうだ。


 それに、殺される動機もあるみたいな事も言っていた。


「なので、残るは柏木さんだけなんですよ」


「ぐっ…!」


「他にも、氷室さんが柏木さんを警戒していなかった証拠もあります」


「証拠って…?」


「サンドイッチですよ。自分が殺されるかもしれないって言うのに、料理が出来る筈の氷室さん自らが作らず、柏木さんに頼んでいたじゃないですか。毒を仕込まれるかもしれないのに」


「だからあの時、蒼也が料理が出来るかを訊いたのか…!」


「はい。多分、『インターホンが壊れていたから』とか、『サンドイッチを一つ、入れ忘れていた』とか言ったんでしょう。まぁ、それでも開けてもらえるかどうかは、賭けではありますが」


「…違う…」


「はい?」


「私じゃない…!」


「おいおい…往生際が悪いぜ~?」


「往生際が悪いって何ですか!?その指紋だって、犯人が氷室さんを殺した後で、その死体を使って残したかもしれないじゃないですか!?」


「何の意味があるんだよ…ま、いいや。一個だけいい事を教えてやる」


「いい事…?」


「警察が調べる指紋ってのはな、人間が常日頃皮膚から出し続けている分泌物が、指先の凹凸に沿って形作られた物なんだ。分かり易く言えば、スタンプとインクだな」


「…?」


「で、その分泌物ってのは、死んだらピタッと止まっちまうんだ」


「ま…まさか…!?」


「そ、調べりゃ出てくると思うぜ?血の指紋にぴったり寸分狂いなく重なった、氷室のがな」


「あ…う…」


「さぁ…まだ何か言い分はありますか?」


 英里は何も言わず、その場にへたり込む。


 そして、うつむいたまま首を横に振った。


「何故…何故英里さんがあの二人を…?」


「…あとは貴方だけだったのに…」


「え…」


「私の本当の名前は…一宮英里…」


「一宮って…まさか…!?」


「そうよ…!」


 キッと拓真を睨み付ける、英里の鋭い眼光。


「貴方達三人に騙され、自殺した一宮衣鈴は私の姉よ!」

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