第8話 託された想い
「行きましょうか」
午前十一時。
書庫を出ると既に英里が戻っており、早速食事を頼んだ。
遅めの朝食と言うより、早めの昼食と言った感じだ。
昼食の用意もあるので、食事はサンドイッチとフルーツと軽め。
今はこれで十分だ。
三人がコテージに着く頃には、太陽は既に天高く昇っていた。
「あっち~…」
「昨日より暑いかもですね…」
「じゃ、開けますよ」
拓真から預かった鍵を回し、扉を開ける。
「うっ…」
「あーあ…」
コテージの中はかなり涼しい。
いや、かなり寒い。
死体の腐敗防止の為に着けておいたエアコンのせいだろう。
しかし、鼻に入って来る死臭は誤魔化しきれなかった。
「直人君。浅葱ちゃん」
「はい…」
「へいへい…」
遺体の横に立ち、手を合わせ、目を瞑る。
これはこれから調査をするにあたって、天宮探偵事務所の面々にとっては何よりも優先するものだった。
死者を
これは先代の教えだ。
「では、失礼します…」
たっぷり十秒程した後、直人が遺体に被せられた毛布を捲る。
「「…」」
死体となった千鍵を見るのは初めてだが、死体を見る事自体は初めてではない。
むしろ今回はまだマシな方だ。
頭をカチ割られたのは勿論、過去にはバラバラ死体、皮膚を剥がされた死体、臓物が
「うーん…」
首から上だけを少し左に向け、頭の後ろを見る。
「愛花さん」
「はい?」
「犯人…左利きじゃないですかね?」
「!」
直人の推理に、一瞬だけ愛花の笑顔が消える。
その後はいつもの笑顔に戻った。
「…何故ですか?」
「最初に萬屋さんの検死の内容を聞いていた時から思っていたんですが、米倉さんは頭の右側をやられたって言ってましたよね」
「はい」
「後頭部側に傷が全く無いのを考えると、犯人は米倉さんと向かい合うようにして、鉈を振った事になる…なので、左利きなんじゃないかと…」
「ふむふむ」
腕組みをし、大袈裟に頭を縦に振る。
「二十点ですね」
「え?」
「確かに直人君の推理は正しいですが…今回、もう一つ見るポイントがあります」
愛花が指を差したのは、コテージの扉。
「ちょっと扉の前に立って、コテージの中を見渡してみて下さい」
愛花に言われるまま、扉の前に立つ。
向かって左の奥にベッド、そのすぐ手前には遺体、右には手前にトイレ、奥には冷蔵庫がある。
「このベッド、扉に足を向ける形で設置されてますよね?」
「はい…」
「そして右側と枕元は壁にほぼ接触しています」
「…それが?」
「実際、そこからベッドに近付き、寝ている米倉さんを殺害するまでをしてみて下さい。勿論、狙いは頭、右利きの設定で」
「?」
扉から真っ直ぐに向かい、ベッドの脇に立つ。
立ち位置は大体腰の辺りだ。
そして鉈を持っている設定で、右手で拳を作り、振り上げる。
「…あ」
そこで漸く気が付いた。
「どうしたんですか?早く殺さないと」
サラッと残酷な事を言われたが、その顔を見てすぐに分かった。
この娘は気付いている。
気付いた事に、気付いている。
「…僕の負けです」
その言葉に、愛花の笑顔が二割程増した。
「そうです。直人の推理は立った状態で、向かい合っている事が前提です」
愛花が直人の隣に立つ。
「人にもよりますが、寝ている人の頭を長物で狙おうとする場合、寝ている人の横に立つ事になります」
「ベッドで寝ているなら、尚更そうなりますね」
「はい。となると、寝ている人の頭を横、または斜めから狙う形になるんですね」
「…納得です」
別に悔しい訳ではない。
ただ、自身の観察力の浅さに、歯痒さを感じてしまう。
「で、浅葱さんは何をしてるんですか?」
全く推理に参加していない事に気付き、探すと、浅葱はテラスから別のコテージを見ていた。
「いや…あれってあの男のコテージだよな?」
「でしょうね。米倉さんと氷室さんのコテージは隣同士なのを、地図で確認してるでしょう?」
「今、あの男って籠城してるんだよな…?」
「それが?」
「玄関…開いてねぇか?」
「「え?」」
二人は急いでテラスに出て確認する。
距離はそこそこ離れているものの、肉眼でも分かった。
確かに開いていた。
と言うより、内開きの扉の存在が確認出来ない。
「本当だ…行ってみましょう!」
「はい!」
「おぅ!」
愛花のその指示を合図にしたかの様に、二人はテラスの手すりに手を掛け、飛び越える。
「…え?」
地面とコテージの床下は離れており、高さは約一メートル。
手すりを合わせると、約二メートル。
高さこそそんなに無い様に思えるが、運動が少々苦手な愛花にとっては、かなりの高さだ。
とてもじゃないが、二人の真似など出来ない。
「ちょ…ちょっと待って下さいよ~!」
二人の背中を追い掛けるのは早々に諦め、素直にテラスの反対側にある扉から出た。
「氷室さ…!」
一足先に到着した直人が見たのは、コテージの扉が破られ、頭から血を流してこちらに足を向けながらうつ伏せで倒れている蒼也だった。
「ちっ…」
短く舌打ちしたかと思うと、浅葱はコテージの奥にあるインターホンのボタンを押した。
『もしもし?』
出たのは拓真だった。
「俺だ!浅葱だ!」
『西森さん?何故蒼也のコテージのインターホンを…?』
「その氷室が殺されている!」
『なっ…!?』
インターホンの向こうが騒がしくなったのが分かる。
「浅葱ちゃん!代わって下さい!」
遅れてやって来た愛花が、浅葱とインターホンの間に割る様に入る。
「中井さん!」
『天宮さん!』
「タイ兄…萬屋探偵に代わっていただけませんか!?」
『ああ!待ってくれ…』
すぐに声が泰造のものへと変わる。
『ほいほい、こちら萬屋』
「タイ兄ちゃん!あの…」
『大丈夫』
思いもよらぬ、泰造の優しい声。
「え?」
その声に、少しパニックになっていた頭が冷え始める。
『言いたい事は分かる。全員、このロッジから出さないさ』
「…お願いします」
『でだ…俺達はこのロッジで全員を見張るから…』
「はい。検死はお任せを」
『そいつは重畳…ロッジを出る時に渡した手袋の予備はあるか?』
「はい!予備はまだ使っていません!」
『よし!んじゃ検死と現場の状況、後で詳しくな!』
「はい!」
最後に元気良く返事をし、インターホンを切る。
振り返ると、二人は既に黙祷を初めていた。
愛花もすぐに駆け寄り、黙祷する。
「では、二人とも現場の検証をお願いします」
「はい」
「了解」
(さて…)
顔色一つ変えずに、死体に触れる。
手袋越しに伝わる、ヒヤリとした感触。
(顎が硬直しきっていない…死後二時間も経っていないですね)
次に頭を調べようとした時、ある物が目に入る。
「ん?」
右手に少し隠れる様に、それはあった。
「これは…」
血文字だった。
「…米?」
かなり雑に書かれてはいたが、紛れもなく漢字の米。
「愛花さん!」
不意に呼ばれて振り向くと、直人が破られた扉を調べていた。
「何か見つかりました?」
「指紋です」
「指紋?」
確認すると、鍵のツマミ部分に血で出来た指紋が、ドアノブにも掌紋がべっとりと付いていた。
「犯人の…な訳無いですよね?」
「ええ。犯人がこんな分かり易い証拠を残すとは考え難いですし、そもそも手袋位するでしょう」
「じゃあ氷室さんの…」
「そう考えて、間違い無…」
と、何かに気付く。
「どうしました?」
直人の質問にも答えず、愛花は死体を再度調べ始めた。
特に血だらけの両手を。
「…無い」
「何がですか?」
「無いです!やったぁ!」
「?」
突然の喜びに、疑問符を浮かべるしかない。
「早くロッジへ戻りましょう!タイ兄ちゃんに知らせないと!」
「はぁ…」
「…何だぁ?」
「さぁ…浅葱さんは何か見つけました?」
「うんにゃ、窓もテラスも鍵が閉まってたって位だな」
状況が飲み込めない二人を尻目に、愛花はロッジへと走る。
「…追い掛けるか」
「ですね」
すぐ追い付くだろうが。
直人はベッドから毛布を取り、遺体に被せる。
「あ、こけた」
「ええ~…」
「お帰…どうしたのよ…?」
出迎えた希美が、愛花の姿に少し驚く。
顔から足まで、全身土まみれだった。
「あはは…少し転んでしまいまして…」
「…現場検証は?」
「あ!そうだ、タイ兄ちゃんは!?」
「皆からアリバイを訊いてるけど…何?」
「犯人の手掛かりをみつけたんです!」
「…マジ?」
希美は愛花の後ろにいる二人に視線を移す。
「いや…実は僕達も何が何だか…」
つまり、分かっているのはまだ愛花だけ。
「んで、早く知らせようって勝手に突っ走って、顔面ヘッドスライディングしたんだよ」
「愛花ちゃん…」
「てへへ…」
恥ずかしがりながら頭を掻く仕草も可愛らしい。
「おろ?」
その時、泰造が姿を現す。
「あらら、土だらけじゃんか」
「タイ兄ちゃん!」
「何?犯人の手掛かりを見つけたから俺に早く知らせようと勝手に突っ走って、顔面ヘッドスライディングでもしたのか?」
エスパーか、この男は。
「その通りです…」
「ん、そいつは良かった。こっちは少し、妙な事になってな」
「「「「妙?」」」」
「とにかく、五人でまた話そう」
再び、あの書庫へ。
「妙って、何があったんだ?」
「アリバイだ」
「アリバイが全員にあったんですか?」
「違うよ直人君。いや…正確には半分正解で、半分外れかな」
「はぁ…?」
「その前に…死亡推定時刻は?」
「恐らく、今から一時間半から二時間程前ですかね」
「一時間半から二時間つーと…物置き部屋で鍵を確認した後位かな」
「そうですね…アリバイは?」
「…」
愛花の質問にも答えず、黙ってしまった。
ふぅ、と短く溜め息をつき、漸く口を開いた。
「アリバイが無かったのは、中井拓真と柏木英里の二人だ」
「「「え…?」」」
各々が、混乱していくのがはっきりと感じた。
中井拓真と柏木英里。
この二人は、第一の千鍵殺しのアリバイがある人間だ。
「どういう…事なの…!?」
「分からん。だから現場の状況をもっと…」
「それ…本当ですか…?」
「あ?」
「アリバイが無いの、中井さんと柏木さんだけなんですか?」
「ああ。他の三人も含め、全員から確認取ったんだ。間違い無ぇよ」
それを聞いて、愛花は黙る。
よく見ると、少し震えている。
「…や…」
「「「「や?」」」」
「やったぁっ!」
「「「「…はい!?」」」」
ジャンプしながら喜ぶ愛花に、また混乱していく。
ジャンプする度に、二本の三つ編みが縦横無尽に踊っていた。
「おーい…?愛花嬢ちゃ~ん…?」
「犯人の目星が付きました!」
「なっ…!?」
「マジか…!?」
「嘘ぉ…!?」
三人が驚く中、泰造は至って冷静。
「コテージで何か見つけたな?」
「ええ、実は…」
愛花は、コテージで見つけた『ある物』の説明をする。
しかし、それを聞いても、特に怪しい事は無い様にしか思えない。
「それが何だって言うのよ?」
「…成程な」
「分かりましたか?」
「もち」
グッと親指を立てる。
「だから昨日の殺人が雑だったのか」
「犯人にとってはどうでも良かったんでしょうが、今回のアリバイは予想外だったんでしょうね」
「どうでも良かった?それに予想外って?」
「いや、その前にどうやってアリバイを作ったんですか?」
二人だけで話を進められても、正直困る。
「推理小説でよく使われてるトリックですよ」
「「「?」」」
「アリバイを作るってのは、言い換えれば時間を誤魔化すって事だ」
「あ、おばあちゃんの探偵の心得の一つですね」
「誤魔化す…騙すって事?」
「いや…この場合は操るって言い方が正しいな」
ますます分からなくなってきた。
「今回、二つの殺人のアリバイの基準って何だ?」
「ロッジから現場までの道のり…か?」
つまり、何かしらの方法で、コテージまでの道のりを短縮した。
しかし、獣道以外にコテージへ行こうとなると、森を突っ切って行くしかない。
道無き道を進むとなると、下手すれば逆に時間がかかってしまう。
「そ。それともう一つある」
「もう一つ…?」
頭を抱え、悩む三人。
しかし、答えが出てこない。
そんな三人を余所に、二人の推理はどんどん進んでいく。
「でも…それでももう少し犯人を追い詰める何かが欲しいですね…」
「だな…何か他になかったのか?」
「他…あ」
思い出した、あの血文字。
「確証はありませんが…ダイイングメッセージらしき物がありました」
「「「ダイイングメッセージ…!?」」」
「へぇ…そいつは興味深い。どんなメッセージだ?」
「えっと…」
愛花は紙にそれを書く。
「「「「…米?」」」」
やはり皆もそう見えるらしい。
「はい。血で書かれていました」
「でも…これって本当にダイイングメッセージなの?」
「…と言いますと?」
「だって、こんなあからさまに怪しい血文字、犯人が見逃すとは思えないわ」
確かにそうだ。
血で書かれたダイイングメッセージなど、消されてしまう可能性が高い。
「もしかしたら、犯人が書いた偽物じゃないの?」
「…それは無いと思います」
「え…?」
しかし、愛花からの否定。
犯人が消さずに残した、血のダイイングメッセージ。
推理小説の中では矛盾しているこれも、愛花は色んな可能性を導き出している。
「考えてみて下さい。もし希美さんが犯人だとして、偽のダイイングメッセージを残す理由って何ですか?」
「それは…別の人に罪を擦り付ける為かしら…?」
それ以外に何があると言うのか。
「ですよね?で、今回のこの米の字から考えるなら、単純に米倉さんが犯人って事になりますよね?」
「ええ」
「他人に罪を擦り付けるなら、生きている人の名前を書くのが普通じゃないですか?」
「あ!」
そうだ。
今回この島に来ているメンバーで、唯一名前に米の字を持つのは、最初に殺された米倉千鍵だけ。
自身が殺した人物の名前を書くのは矛盾している。
「じゃあ…本物のダイイングメッセージ…!?」
「んー…それもしっくりこないんですよねぇ…」
偽物という事はあり得ないと言った直後に、この発言。
「しっくりこないって…一体どっちなんですか!?」
「落ち着けって。今に始まった事じゃねぇだろが」
浅葱の言う通りだ。
本物か偽物かだけではなく、どっちなんだろうと悩む事は、過去何度もある。
「何て言うか…ダイイングメッセージの特徴を抑えてないんですよね」
「「「特徴?」」」
「ダイイングメッセージって、どんな時に残すか分かるか?」
「そりゃ…死ぬかもしれない時ですよね?」
「ん。んじゃ、もし希美ちゃんが死ぬかもしれない…そんな時、犯人の名前を血文字でダイレクトに残すなら、どんな風に書く?」
「?えっと…」
あまり想像したくない内容だが、想像する。
もし、一つか二つでも被る文字があってはいけないので、より多くの文字を残す。
と、なると。
「…あ」
「気付きましたか?そうです。小説みたいに暗号化したダイイングメッセージを考える位なら、いっそ名前そのものを残すべきなんです」
死にかけているならば、尚そうするべきだ。
「その際、画数の多い漢字ではなく、画数が少なく、尚且直線が多い片仮名で残っている事が多いんです」
これも経験則。
例外もあるが、圧倒的に多いのは片仮名だ。
「じゃあ…それはどっちだって言うのよ…!?」
偽物の可能性はほぼ無い。
かと言って本物かどうかも怪しい。
「私は…氷室さんが残した物だと思います」
愛花の結論は、本物。
勿論、そう考える理由もある。
「米は漢字ではありますが、乱暴に書けば直線四本で済みます」
つまり、片仮名とそう大差が無いという事。
「氷室さんが残した物なら、絶対に解き明かしてみせます」
それが、本人への
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