第10話 野営地
鹿族はかなこ達を迎え入れてくれた。
敵意はない旨を明かすため、護衛の2人も装備を鹿族の者に預けている。
川沿いにはあまりスペースがないように見受けられたが、近くまで行くと案外開けたスペースになっていた。
鹿族の野営の地である。
テントのようなものが複数建てられていた。平らなスペースに設けられた一番大きなものに案内された。よく見ると、少し崖になっているところや木々の間にも幾つかのテントが見られたので、かなり大きい野営地なのであろう。ざっと50人以上は生活できるのではなかろうか。
テントの中は薄明るかった。明かりが外に漏れなように二重幕で工夫されている。そしてこのテントも獣の皮を活用して作られているようで、10人ほどが中に入れるくらいの大きさで効率的な仕様になっている。
しかし中に入って獣臭さが鼻をついて、思わず顔をしかめて鼻を覆ってしまう。
「匂うであろう。これが生きものの匂いじゃ。」
重みのある声で真ん中に座っていた老人が話した。
「ここまで光の道を辿ってきたのであろう。今日の昼に注文の遣いをやった鹿里(かり)はまだ慣れておらなんだ。光の道が出来ていることに気づかず情けないことよ。だからそなたがここへ辿り着くことは分かっておった。」
おそらく彼が鹿族の長であろう。
緊張と警戒の心持ちで中に入ったので呼吸というものを忘れていたが、思いもよらず老人の声音が優しくかなこの心の琴線に触れて落ち着きを取り戻した。ここまできたらなるようにしかならないだろう。
ようやくテントの中をゆっくりと見回すことができた。
テントは木の枝々でうまく骨子を組み上げており、要の所にはうまく獣の骨を使っているようである。どうやら組み立てし式なようだ。鹿族は場所を悟られないように生活を送っているので、有事の際にはテントをばらして移動する。移動先も山の中なので木々は手に入る、要としている獣の骨のみを持っていけば、2、3人の大人で組み上げられる。
テントの中には藁や蔦で作られたカゴや、束になった獣の皮がある。石や木から作られた武具、というより狩猟のための道具も立てかけられている。干された食材や肉がカゴの中に山積みされており、脂だけ分けて置かれているのは明かりをとるにに獣の脂を使っているからだろう。天井からはよく分からない薬草らしき葉が束にしてぶら下がっている。
しかし生活感の溢れるものは整理されているので、いつぞの呪術師の小屋のように座る場所には困るようなことはない。
人里離れた山の中で自然と共に生きるということはこういうことかと感じいる。
かなことおちよが長老の老人の前に座り、その後ろに護衛の2人も座る。長老の周りに立って構えていた男たち3人も私たちを囲むように座った。男たちの冷たい探るような視線はそのままで警戒態勢は変わらず、いつでも攻撃できるということを鋭い目が語っていた。
鹿族は獣の生き死にに関わることを生業としていると聞いていた。そのためその風貌もこの時代に来てから見たことのないものである。
かなこの周りにいるような滑るような滑らかな黒髪、色白でぼてっとした眉毛と目の4点セットにおちょぼ口、そして雅な着物を着た者たちとは対照的であった。
まず髪の毛はゴワゴワとして藁のような紐で緩く縛っている。アフロパーマを当てたような髪質に成っている。
顔色は浅黒くヒゲが濃い。山の中に生きると様々な外的要素から身を守ろうと、自然とヒゲも濃くなるのであろう。もみあげと顎髭はつながって顔を丸く見せている。
そして外的要素から身を守るという遺伝子は眉毛にまで行き届いている。左右の眉毛はくっついていることはもちろん、もみあげにもつきそうな勢いである。薄暗い明かりの中で見るとギラリと光る目がはっきりと浮かび上がり、クマのように見える。髪の毛、もみあげ、口ひげ顎ひげの三重サークルの中に、目と鼻と口が生存している。肌の部分はほとんど覆われているのでその所在はしれない。
そのヒゲジャングルの中で唯一飛び出しているのが耳である。動物のそれを思わせる耳は様々な方向にピクピクとせわしなく動いている。かなこたちの動向も聞き分けつつ、森の声に耐えず耳を傾けているのであろう。
森の中では五感のすべてに神経を集中させなくてはならないのだろう。時には第六感も使っているのかもしれない。
身に纏っているものは一見粗末に見えるが自然の中で調達してきたnatural 100%のものだと分かる。
麻のような簡易な半纏の上に獣の皮でできている毛皮を羽織り、麻ヒモのようなもので簡単に縛っている。いかにも鹿族という響きで想像していた通りのいでたちである。
それにしても獣の皮はかなり綺麗に処理をされているからか、かなり着込んでいるからか、ビンテージ感が出ていてとても美しい。カットはあくまで自然な形で、切りっ放し。色も自然に溶けこ込むようなキャメル色。マントのように腕まですっぽりと隠れるように着ても良し、ベストのように腕を出しつつもパンツの上に合わせて上からラフにベルトを合わせてもオシャレ上級者。
ちょうど長老の右手に座っている男性がそのようなスタイルである。
薄ミント色の麻ヒモがなんとも絶妙なゆるさで巻かれている。キャメルに薄ミントとは喧嘩をしそうな色合わせであるが、共に自然が生み出したものであるからかシナジー効果を発揮している。
ジレのようにコートの上からアクセントに持ってきてもハイセンスなオシャレマダムが出来上がるだろう。これは丸の内で購入しようと思うと10万円は超えてくる。
何といっても本革の滑らかな肌触り、脱色処理をしていない清らかな自然の風合い。この時代、この場所の特産品だ。
と、こんなおしゃれ解説をしている場合ではなかった。
何としてもこの毛皮を携えて平成の世へ戻らなくては。かなこは意を決して身の上を話し出した。
「訳あってこのように夜分の訪れとなってしいましたこと、また勝手に後をつけられるようにしてしまいましたことをまずはお詫び申し上げます。」
テントの中で正座をして丁重に頭を下げる。
「かなこさま、このように身分の卑しいものに頭を下げるなどあってはならぬことでごじゃりまする。」
おちよは小さな声ではあったが、言ってしまってからしまったとばかりに周りの目を見て気まづく小さくなる。
「おちよ、身分関係なくこちらが悪い時には謝罪をするものです。」
凛としたかなこの態度に長老他、周りに3人いた鹿族も態度を改め、警戒を解いて話しを聞く姿勢を取ってくれたことを感じた。
「私はかなこと申します。今は大和の平野に住んでおりますが、本当は遠い遠い先の世から、雄鹿に導かれてこの地にやってまいりました。元の遠い遠い先の世へ戻りたいのですが、戻る術が分かりませぬ。何とかその時にいた雄鹿、いえ鹿神さまに会えなないでしょうか。そうすれば戻る術が見つかるのではないかと考えてまいりました。鹿族の皆さま、お力をお貸しいただけませんでしょうか。」
長老は目を見張り、周りの鹿族たちとともに驚きを隠せない様子である。
「それは大変なことでじゃったな。」
そして少し思案気に俯きながら、横にいた鹿族にあれをと言ってお弁当箱サイズの蔦で綺麗に編まれた箱を持ってこさせる。
その箱を開けると中には何やら古い木片のようなものが出てくる。それを恭しく取り出して呪いのようなことをぶつぶつと呟き始める。そして木片を両手の指の腹で優しく下から上へとこすり出す。その木片を擦りながら、平安訛りでゆっくりと語り出す。
「なぜだか分からぬが、ここのところこの山が騒がしかった。常とは異なることだった故に胸騒ぎがしておったのじゃがこれで得心がいった。」
やはり森の中で生きる人々は第六感までも身につけているのだ。
そしてこの長老は知っているのだ。かなこが未来からやってきたことも、それを導いたのが雄鹿であることも。
そこへ左隣にいた鹿族が問いただす。
「権現さま、どういうことでございましょうか。山が騒がしかったのは我々も感じておりました。」
この長老は権現さまと呼ばれている、見た目には80歳は超えているので、神の化身と崇められているからこの呼び名がついたのではなかろうか。
右隣に控えていたオシャレ上級者が口を挟む。
「権現さまはその話しをした時に、大和の地を守っていた大和人がこぞって京へ移って春日の鹿神さまを敬い奉る心を失ったからではないかと言っておりました。それとこのかなことやらが何か繋がっているのですか。」
こちらを睨む目が胡散臭いと語っている。
しかし権現さまはゆったりとした所作でオシャレ上級者を抑える。
「そのようにまくし立ててはならぬ。このかなこ殿は鹿神さまがお選びになったものなのだ。」
「選ばれたとはどういうことなのでしょうか。私は元の平成の世に戻れるのでしょうか。」
思わず身を乗り出して尋ねる。
「この話しは長くなる。そなたも夜通しこの山の中を歩いてこられたのだから疲れておろう。今宵は少し休んでから改めて話しをするというのはどうじゃ。といってももうすぐ夜明けじゃが。」
今すぐにでも話しを聞きたかった。やっとかなこがこの時代に来た応えに辿りつくのだ。
しかし夜にアポなしで訪問したのだから、話しをせびるのも気が引ける。
おちよはかなこの方に顔を向けて、とんでも無いと目が飛び出んばかりに顔で訴えてくる。こっそりと屋敷を抜けてきているのだ、無理も無い。このテントへ入った時から一刻も早く立ち去りたいと顔に書いてあった。
権現さまはそんなおちよの姿をちらりと見てこちらの事情を察する。
「そなたが屋敷を抜けてきているのは分かっておる。屋敷の者も心配であろうから、遣いをやって急な方違えをしなければならなくなったから1日屋敷には戻れぬと伝言することとしてはどうか。」
さすがは権現さま、おちよの懸念もすぐに見抜いてナイス計らいである。おちよがどう言おうが、かなこの心は決まっている。ここで権現さまの言う通りにしなければ平成の世へ戻る道は断たれてしまうのだから。
「では、何卒よろしくお願い申し上げます。」
権現さまはひとつ頷き、早速「鹿里」とテントの外に向かって呼びかける。
すると、すぐにテントの外から鹿のように細くすらりとした若者が入ってきた。まだ若いからかもみあげも濃くなく、眉毛もつながっていない。顔もどことなく鹿を思わせる涼しい目元に口は真一文字に結ばれている。麻の服を身にまとい、どちらかというと街で見かけた商人風の格好をしている。しかし肩からは狐の尻尾のようなフサフサとした毛を垂らしており、やはり鹿族の一員だとわかる。
鹿族にもこのような者がいたのか。
権現さまは的確に鹿里へ指示を出す。
「今度こそ誰にも正体を気づかれぬようにうまく里へ出るのだぞ。」
かなこ達が鹿族までたどり着けたのはこの鹿里のおかげであるのだが、今度はかなこの別邸へうまく方違いの話を伝える伝令に成るかと思うと、少々不安である。その表情に出てしまったのか、やはり気配に敏い権現さまは安心しなさいと優しい声で落ち着かせてくれる。
「鹿里は若く、そなた達の仕掛けた光の道については気づかなんだ。しかしこの容姿、鹿族の誰よりも里に馴染むのじゃ。」
そりゃそうだ、濃い髭につながった眉の鹿族の面々を見て大きく頷く。
かなこ、おちよの大きな頷きに、後ろに控えていた護衛の2人までもがウムと答えている。
横に控えていたオシャレ上級者の鹿族が心外だという様子ですかさず口を挟む。
「もちろん我らも里に忍んで行けるのだ。里に行っても正体を明かさずに任務を遂行できる。今までも一度も正体がばれたことはない。我らでも容易くできる任務である。しかしながら今回の失態はこの鹿里の責任であるのだから、自ら落とし前をつけねばならぬ。それが鹿族の大人たるものの責任の取り方。」
くどい。
どっからどう見ても鹿族とバレバレのそなたが申すか。
どう変装しようが、その髭と眉では大和平野で暮らす者ではないと一目で分かる。わざわざ街の人々も、
「これ、そなたは鹿族の者ではないか。」
などと言わぬであろう。
平成の世であっても街中で見た人を
「これ、あなたは力士ではありませぬか。」
「これ、あなたは僧侶ではありませぬか。」
「これ、あなたはヤクザではありませぬか。」
などと聞く人がいるであろうか。
一目でその職業と分かるのだからいちいち聞く必要もなかろう。
それほどまでに明確に分かる。それに気づいていない鹿族もすごい。オシャレ上級者の一言に権現さま以外の鹿族は皆、我が意を得たりと首を縦に動かしている。
それを疑いの目で見つめるかなこ達4人。
市中に溶け込めているかどうかは市中の者の感覚なのだから、こちらが判断基準である。やはり鹿里に任せるしかあるまいと決心する。
「鹿里さま、どうぞよしなにお願いいたします。」
鹿里に続いて、権現さまは急ぎ調べねばならぬことが山ほどあると言ってテントを先に出て行ってしまった。
その後かなこ達はテントの外に控えていた鹿族に導かれて大きな木の間に器用に組み込まれたテントへ誘導される。護衛の2人もすぐ隣のテントを充てがわれる。
「今宵はこちらでまずはお休みくだいませ。鹿神さまもこの時間はお休みになられておりまする。権現さまはこれから調べものがあるとおっしゃっておられましたので、お休みは遅くなられると思われまする。そのため明日は少し遅いお目覚めになるのではと。」
先ほどの大きなテントに比べるとだいぶ小さく、2人が寝るのにちょうどのサイズである。何だか中学生の家族旅行以来のテントに少しテンションが上がってしまう。
「街の方々からしたら不便な場所かと思いまするが、何かご入用のことがあれば何なりとお知らせくださりませ。」
朝日が出てくるまで仮眠を取るくらいなのだから問題ない。
「夜は獣が襲ってくることもございます。くれぐれもお静かに、自然と共に過ごすということを心にお留めいただき、ごゆるりとお過ごしくださいませ。」
「獣が襲ってくるとな。」
すかさず案内役がシッとたしなめる。おちよも思わず口を両手で押さえて小さな声で問いただす。
「それはどのような獣でごじゃりまするか。そんな危険なところにかなこさまをおらしゃることなどできませぬ。」
おちよの必死の形相が逆に恐ろしい。
「山犬も」
「ヒャッ。」
「山猫も」
「ビャッ。」
いちいちおちよは派手なリアクションでるある。
「山猿も」
「ドヒャ。」
「毒ヘビも」
「ブヒャ。」
何だか面白くなってきたと、かなこも案内役の発言の間に挟んでみる。
「猪も」
「象も」
「ギャッ。」
「熊も」
「キリンも」
「ドギャッ。」
「山狐も」
「吸血鬼も」
「ドドギャッ。」
「ん、かなこさま、それらはどのような獣にごじゃりまするか。」
ようやく気付いたか。案内役がオホンとひとつ咳払いをする。
「と様々な獣がおりまする。あくまで静かに自然と共に生きておれば危害を与えませぬ。獣も我らの存在を知っておりまする。あくまで我らは山に住み、山と生きておるのです。そのことをご理解いただき、この山は春日の山、神宿る山でございます。自然に敬意をおはらいくださいませ。」
案内役は丁寧にお辞儀をして出て行く。
こちらのテントには明かりがないので入り口の革少し開けておかなければ中はほとんど真っ暗になる。入り口から空を見上げると星々が広がる。満月の月明かりにも負けないほどの星々がこんなにもあるとは。
寝床には木の葉が敷かれ、その上に筵を敷いている。そして布団代わりに革がたたまれていた。
鹿族の暮らす環境は過酷な森の中ではあるが、比較的裕福に生活をしているようだ。街中の人々の暮らしぶりに比べると、包まれる布団があり、風を遮る獣の革もある。
丸の内でかなりの高額で売れそうな毛皮を取り扱っているのだから、銭も相当なものであろう。
「鹿族はやはり噂に聞いていた通り裕福なのですね。でもこんな山の中で野性の動物に日々命を狙われつつ、この匂いに耐えていくなんてわたくしにはとてもとても。」
おちよの話は最後の方は聞き取れず、すぐに盛大な鼾が聞こえてくる。
夜な夜な丸1日、山の中を歩い通してきたのだから疲れが溜まったのであろう。
普段は牛車に乗っての移動がメイン、それ以外は屋内でちょこちょこと動くだけなのだから、致し方ない。それにしても平和な寝顔である。
「ガーガーゴゴゴガー。」
先ほどあれだけ命を狙う獣達の話をしてプレッシャーをかけてみたというのに、堪えていないではないか。
「おちよ、静かに。」
少し揺すぶってみたが全く起きる気配がない。これほどまでに疲れさせてしまってふがいない。
「おちよ、おちよ、静かに。」
音が漏れないように懐紙を取り出して口を押さえる。
「グフェッ、かなこさま獣にやられてしまいました。息が息ができず苦しゅうごじゃります。かなこさまもぅぅぅぅ、怒られますぅぅぅ。」
夢の中でもなお、かなこのことを心配してくれているのか。かたじけない。
が、この鼾を獣が聞きつけてきたらどうしてくれるのか。仕方なく入り口の布も閉じて音が漏れるのを少しでも軽減させる。
そしてかなこも少し横になるとすぐに睡魔に取り付かれ、瞼が閉まり、常闇の森へ引き込まれていった。
いざります つちこ @hanabira12
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