二天の交わる処

非常に危うい事態だ。


最強に等しいほこが、同等の水準をつ楯を手に入れてしまったのである。


突き崩そうにも死角がない。


「………………」


あぐねた末に、ようよう腹をくくった宇彌は、ふところから無垢の扇を取り出し、これを娘の元へ放って寄越よこした。


この逸物いちぶつを難なくつかみ止めた曉は、表情をきょとんと構えて、まずは信疑の目を己の手元へ、そして母の顔へと行き来させた。


「あなたは、持ってるわね?」


そんな娘の隣を見ると、こちらは早々に事態を察したらしいもう一人の子が、何やら情けない顔をしている。


果たして血を分けた仔ではないが、母と慕われれば情も湧く。


「お姉ちゃんのこと、お願いしていい?」


「それって……」


目を見張った黄昏たそがれは、いつもの子供じみた横柄おうへいを控え気味にして、コクリと項垂うなだれた。


「任せて。 でも……、でもお母さん!」


「ちょ待って!? そういう事か!」


そこでようやく辻褄を得た様子の曉が、錯乱したように吼えた。


「ダメでしょ!? 一人じゃダメだよ!」


慌てて長剣を払い、母に加勢しようと働くも、これを妹弟きょうだいの小さな手が、心ならずも制止した。


「離せや! 離せって!」


「……巻き込まれる。 ダメ」


「あ……?」


にわかに正気を得て、母を見る。


外方そっぽを向く横顔は、もはや子らの姿など、眼中にないかのようだった。


「うぁ?」


何やら怖気おぞけを得て、ピタリと空をあおぐ。


極天に暗雲のごとく居座る猛火が、熾烈しれつな勢いで来たみちをたどり、地上へどうどうと降り注いだ。


「ぅ……、つ!」


目をつむったのは一瞬。


つぎに見た時、眼前に母の姿はなく、代わりに大きな窪地があるのみだった。


その所々に、墨色の残火がチラチラと居残っている。


「骨までけた」と、かすれ気味の笑声が、いかにも愉快げに言った。


「かの女性にょしょうは、己の身柄を手ずから断罪したのです。 なんと天晴あっぱれな事でしょう」などと。


「なに……?」


曉の心臓が嫌な跳ね方をして、眼の奥に血色ちいろの悲憤が湧いた。


もちろん、あの母上が、こうも簡単にやられるはずなど無いとは思う。


しかし、先の黒炎は、あのひとみずからが産み出したもの。


それをまともにこうむって、ただで済む者が居るとも思えない。


「──────!!!」


そこに、絹を裂くような悲鳴がした。


目をすがめて見ると、身体の彼方此方あちこちに焼け跡をこしらえた女が、這這ほうほうていでのた打ち回っている。


「どうして!? どうして!!?」


その悲痛な叫びを聞いていると、わずかながら、曉の胸中に正気が戻った。


「てめえら……」


一時は混乱したが、落ち着いて考えれば、なるほど簡単な話じゃないか。


目の前のコイツらに、母上がやられた。


ならアタシは娘として、あだを討ってやらにゃ。


たとえ心の臓を砕かれようとも、奴らの跡形を無くすのが道理だろうよ。


「あん……?」


殺伐とした意気込みを負って、大きく踏み出そうとした矢先のことである。


曉は、またぞろ自身を制止する手があることを知った。


いの一番に黄昏かと考えたが、どうにも様子がおかしい。


当方の手を握り止める手腕は、異様にゴツゴツとしていて、武骨極まりないものだった。


「ご案じ召さるるな。 お母上はご無事に御座る」


「御座……?」


勢いよく振り返ったところ、何とも頼もしい威容があった。


浅黒い肌に猛禽のような眼。 肩先ににじむ求道者の底意地。


それは、単に数々の修羅場に通じているというだけではなく、一道を極めに極めた者の、烈火のごとき気胆であろうか。


「何者か?」と問う姫君に、彼は「外道に名乗る名など無し」と、鰾膠にべもなく応じた。


それがしは経国の兵法家。 万里の波濤はとうを越えて、この地に行き着いたのみ」と、敢然かんぜんたる調子で述べる。


そんな男性のそばにもう一名、見慣れぬ麗容があった。


着物を鯔背いなせな片肌脱ぎにあしらい、透けるような眼で曉を、黄昏を見つめている。


「母上は大丈夫。 内にいるよ? すこし焦げちゃったけど」


その唇が静かに物語り、鈴のような声音こわねをりんりんと転がした。


「あなた、誰?」


ようやく一語を絞り出した曉は、ともかく身構えることに専念したが、彼女が敵でないことは一目で知れた。


覚えはないが、ひどく懐かしく、したわしい。


この思いを証拠づけるように、目先の姫君にまとを据えた女性は、力強い口調で言った。


「ど外道めが。 わが身内に無礼を働いたこと、死ぬほど後悔させてやろうさ」

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