雪解け


「どうして? どうしてよ?」と、その旧友は、か細い声でいた。


まったく信じがたい表情で、「どうして、あの人を逃がしたの?」と、渾渾こんこんと質問を次いだ。


真意を読むのは造作ぞうさない。


“あなたにとって、あの人は憎い仇のはずでしょ?”


そういった思惑が、しきりに戦慄わななく彼女の肩先に浮かんで見えた。


「その事? その事で怒ってくれてたんだね? 惟久いくちゃんは。 今まで」


「うん……。 うん!」


当方の愚案がことほか先方の胸を打ったようで、その両目から、さめざめと涙が流れ始めた。


何かと義理に堅く、友情に篤い彼女のことだ。


当のしずくの透明度は、雪解けの水にも勝るものであろうか。


これをひとすくい舐め取れば、さぞかし心が沸くことだろうとはやったが、娘たちの手前、そんな妄動に走る訳にもいかない。


「……あのヒト、なんか怖いですね?」


珍奇な物事に触れる素振そぶりで、あかつきが声をひそめて言った。


「それが分かるのなら、あなたも中々のものね?」


手短に誉めてやると、彼女はわずかに表情を和らげた後、これをすぐに引き締め、改めて目先にのぞんだ。


地獄の川を背に、うらぶれた乙女がぽつねんとたたずんでいる。


手にした一刀は、引きも切らずに光焔こうえんを焚いていたが、かの能才が発現する気配はない。


力を使い果たしたか、それとも持ち主の雑駁ざっぱくな心情に寄り過ぎた所為せいで、これが振るわずにいるのか。


どちらせよ、この機に乗じない手はない。


足裏から地中へ細脈さいみゃくを放ち、にわか仕立ての回路と成す。


これに目一杯の号令を付し、ひとつ下の階層を、まるまる熱量に置換する。


土台を突き上げるようにして現れた黒炎が、旧友の一身を丸呑みにした。

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