第12話鐘の音の昨日、今日


「なにか言うことはありますか?」と、先方が柔らかな表情でいた。


“慈母のごとく”とはよく言ったもので、その満面のみならず、雰囲気の逐一ちくいちに至るまで、女性にょしょうの情愛がうららかにもっている。


「特には……」


考えた末に当方が応じると、彼女は満足げにうなずいた。


続けて目元を細め、晴れやかな口調で言う。


「“お久しう御座います”」


「あ……? あぁ、久しぶり?」


言われるままに応じてはみたものの、よくよく考えれば妙である。


彼女と顔を合わせたのは、御中みなかそびえる鐘楼しょうろうが、たしか六つ目の鐘を鳴らす頃。


その名残なごりの音色が、いまだ片耳のそばにしゃんしゃんと居残っている。


しばらく振りの挨拶など、元来がんらいから必要ない。


「どうした惟久いく?」と、親しみを籠めて呼びかけたところ、彼女は不服そうに唇をとがらせた。


「本日もまた、宇彌嬢のもとへおもむかれるおつもり? 今日はなにを持って行かれるの?」


「今日はかんざし……。 あ、一緒に行くかね?」


「行かない」


鰾膠にべもない口振りを得て、勁雪けいせつの如き女心の深妙しんみょうを知る。


もとい。 つい女心それを理解しなかったからこそ、宇彌は俺のもとを去った。


自分もまた、手ずからその背中を押した。


「それはびの品?」


「まさか。 こんな物でゆるしてもらおうなんて」


「思ってない? それなら良いのです」


いつしか面皮めんぴかたくした友が、こちらを睨むように見据みすえていた。


気持ちはわかる。


彼女は宇彌のことを、まるで実妹のように可愛がり、宇彌もまた、彼女によくなついていた。


そうすると、彼女にとって当方は、何よりも憎むべき仇敵きゅうてきということか。


仕様がない。


いつか、この友の手で、我が身を討たれる日が参ろうとも、自分はそれに甘んじるのみ。


抵抗など断じて出来ようはずがなく、また、そうする気もない。

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