第73話 絆

 博士たちが弟を連れてあの部屋に入ってから、30分くらい経った。

 様子を見に来た大臣が、黙って僕の隣の椅子に腰を掛ける。

 僕は弟がいつ出てきてもいいように、コーヒーの準備を早々に済ませ、そこらに散らばっている本を、ぱらぱらと開いては時間を潰していた。

 内容は頭に全く入ってこなかったけど、ただ何かをしていないと落ち着かなかった。


 そして僕は随分前にも、同じようなことがあったのを思い出した。

 僕は大臣を見て、せきを切ったように話し出す。


「あの時は僕がまだ十一歳で、弟は小学校に上がったばかりの夏だったんだ――」

 木登りが得意だった僕、それについてくる弟。

 その木のてっぺんから見える景色は、とても見晴らしが良かった。

 僕のお気に入りの場所だったけど、それを弟はとても羨ましがっていた。

 案の定、あまりの高さで途中で怖くなり動けなくなる弟。

 僕は急いで弟の元へずりずりと降りて、助けようとした瞬間、その大木の枝は二人の重さに耐えられず、ぽっきりと折れてしまい二人とも地上に落下した。

 僕は無傷だった。

 でも、偶然僕の下敷きになってしまった弟は左肘を骨折。

 当たり前だけども、あの時の弟は泣いていた。

 それを終始見ていた妹も、横でわんわんと泣いていた。

 僕はそれを見て――。


「――とても怖くなった。すぐに弟を背負って、祖母の家に駆け込んだんだ。妹も泣きながら走ってた」

 大臣は黙ってうんうんと頷き、僕の話を聞いていた。


 弟の様子を見た父と母は、すぐに病院へと急いだ。

 その時も僕は待合室で、本をぱらぱらとめくっては、診察室へ両親と共に入った弟が出てくるのを待っていた。


「今とあの時では、随分と勝手が違うけど。なんか似てるんだ」



「でもね――」

 診察室から出てきた弟は、僕を責めたりなんかしなかった。

 それよりも初めて着けたギブスを、僕に見せて自慢げにしていた。

 その時診察した医者に『遊びの怪我は、男の子の勲章のようなもの』と言われたらしい。

 父も母も危険な遊びはするなと怒ったけども、後でこっそり僕に弟は『今度こそ、てっぺんまで登る』って息巻いていた。


「診察室から出てきたあいつは、僕に笑って言ったんだ」


「兄さんは悪くない――ってね」

 弟が僕との記憶を取り戻すかどうか不安で、小さく肩を震わせていた僕を見た大臣は、静かにそっと僕の肩を抱き寄せた。



 突然――部屋の扉が開く。

 中から博士が出てくる。

 助手の手を借りて、弟も出てきた。

 僕は思わず椅子から立ち上がる。

 僕を見て、一番に博士が口を開いた。


「おっ、コーヒーを淹れるのかい?」

 博士はとびきり嬉しそうな顔をした。

 そして続けた。


「成功したよ。どの程度かはわからない。断片的ではある。だが――」

 僕はその言葉で眼を見開いた。

 博士の後ろから、ひょっこりと顔を出す弟。


「兄さん――」

 弟は照れくさそうに、僕をそう呼んだ。

 大臣が僕の背中をポンっと押した。

 僕は声も無く、弟に飛びついて抱きしめた。


「おかえり――」

 僕は何度も何度も、弟におかえりと言った。

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