第68話 大臣の演説
僕たちは作戦実行に向け、準備を進めていた。
大臣は研究施設の外の警護を任せていた甲冑の猫の一人に、緊急招集をかけるように指示を出していた。
その指示を受けていた甲冑の猫は、片目が大きな傷で閉ざされたままになっていた。
だがその猫は黒光りする特別な甲冑を身に纏い、実にキビキビとした所作から
それは僕の目から見ても、とても心強く感じたのだった。
博士は猫の紳士と大臣から色々と話を聞いて、黒き者に対して有効な手段が無いかずっと考えていたようだ。しかし結局、結論は出ずのままだった。
しばらくして僕は、博士から幸福バランサーの構造を簡単に説明を受けた。
幸福バランサーは複雑な構造のプラントで、『不幸な記憶』が数々の処理過程を経て、『幸福のチケット』へと変換されるものだと説明を受けた。
本来なら『不幸な記憶』と『幸福な記憶』を
修理箇所についての博士の説明内容は、主に再処理を行っている高圧力容器と高圧タービンとを繋ぐパイプラインがあり、そのパイプラインの逆流防止弁とバイパス系に損傷が発生している可能性が高いとのことだった。
専門用語が多くて、魔法の言葉を聞いているようだった。
僕にはまるで、ちんぷんかんぷんだった。
それを見かねた博士は、今回の修理箇所となる重要な部分だけをかいつまんでレクチャーしてくれた。
要するに『再処理に使われているパイプとバルブが壊れたので、破損部分の部品を交換し、その後不幸の素体が漏れて汚染されてしまった内部を僕の幸福のチケットで中和する』とのことだった。
それを12基全ての幸福バランサーで実施し、最終的に再起動を行うというのが今回の作戦の主たる目的だった。
あらかた説明が終わると、博士は僕の手首にリストバンドのような装置を取り付けた。
そのリストバンドには、真ん中に大きめのボタンが一つ付いていた。
「これはキミの所持している幸福のチケットを取り出すための装置だ。ボタンを押すだけで取り出すことが出来る優れものだよ。ただ、今やると荷物が増えてしまうので、押すのは現地で頼むよ」
そういって博士は、みんなが集まる研究施設の外へ駆けて行った。
幸福のチケットは、取り出したらどんな形しているんだろうか。
僕はその好奇心に駆られる想いを抑え、研究施設の外へ出た。
外には先ほどの片目の猫が、集めた猫の兵達を整列させていた。
どうやら片目の猫は、この兵達を率いる隊長のようだ。
もう既にその大半が黒き者にやられ、数がわずかであるその兵の集まりは、士気を著しく失い、一同に不安な表情を隠しきれない様子だった。
しかしこの兵達を率いる隊長である片目の猫は、研究施設から出てきた大臣の姿を見た瞬間、冷徹にも見える面持ちで歯切れよく号令をかけた。
「――傾注!」
隊長である片目の猫の号令はとても勇ましく、不安と恐怖で揺らぐ兵達を奮い立たせるが如く、その空気を切り裂くように響き渡った。
その号令で整列していた兵達一同は、ビシッと大臣の方に敬礼の格好を取った。
僕も何故だかその号令を聞いて、背筋がピンとなるようだった。
この時の大臣の表情は、僕が知っているいつもの大臣とはまるで違った雰囲気だった。
それはとても厳粛で、凛々しい表情をしていた。
そして大臣は手を挙げ、敬礼を辞めるよう合図した。
合図で兵達は『気をつけ』の姿勢で静止する。
「諸君――」
大臣が口を開いた。
兵達は大臣の方をじっと見つめたままだ。
僕も猫の紳士も博士も、その様子を黙って見ていた。
「我らはこのたった二年の間に、数え切れぬほどの友を亡くした――」
大臣は眉を下げ、悲しそうな表情をして言った。
「中には妻を持ち、子を持つ者もいただろう。そしてこの中に兄弟を亡くした者もいるはずだ――」
大臣の言葉で、ううっと悲しみの呻きを漏らす者がいた。
それを見て大臣は、空を仰ぎ見る。
そして、大臣はキッと前を見据えた。
「だからこそ――我らは勝たねばならん」
大臣は拳を振り上げ、声を振り絞る様に力強く言う。
兵達はみな自らの胸を手で打ちつけ、甲冑をガンガンと鳴らす。
僕も心の底から、熱い何かが湧き上がるようだった。
「今一度、力を貸して欲しい――我らの国を守るために!」
「うおおぉおぉおおぉおおおおおお!!!!」
兵達一同は大臣のその言葉で、自らを奮起させ高揚させるように雄叫びを挙げた。
猫の紳士は澄んだ瞳で、真っ直ぐ大臣を見つめていた。
しばらくして助手の猫がガチャガチャと、箱のようなものを研究施設から運び出してきた。
博士はそれを助手の猫から受け取ると、中の物を一つ取り上げ、掲げるようにみんなに見せた。
「これは、緊急避難用シェルターを応用したものだ。是非みんなに使って欲しい」
僕には博士の持つ
「使い方は簡単。この取っ手の中央にあるボタンを押すと、半径一メートル程度の大きさの黒き者の物理的衝撃を中和する、絶対的な障壁を展開することが出来る」
博士はそう言うと、そのドアノブの形をしたものの、カギを掛ける時に押すボタンをカチッと実際に押して見せた。
ブォン!
ドアノブのようなものを中心に、まるで傘のように青く光るシールドが展開された。
一同におおっと、ざわめきが起こる。
博士は説明を続ける。
「しかし――これの展開時間はわずか三十秒。そして、一度使ってしまうと――」
博士がそう言うと、展開されたシールドがスッと消えた。
それを確認した博士は、ポイっとそのドアノブのようなものを投げ捨てた。
「そう、ただのゴミになってしまう」
それを見た皆は、複雑な表情をした。
使い捨てのシールド。そしてその効果はわずかに三十秒。
その寿命の短さがキズだが、でも使いようによっては役には立ちそうだ。
大臣は博士に向かって聞いた。
「それは、いくつ用意できるのだ?」
「これは量産する予定ではあったんだけど、何せ材料が非常に貴重でね。シェルター建設で材料は使い切ってしまった。今用意できるのはせいぜい十個ってところかな」
「むうぅ、心許ないな。しかし……ないよりはマシだ」
博士はその数少ないドアノブが入った箱を、大臣に渡した。
「いや、一つは緊急用にお主たちが持っていてくれ」
そう言って大臣は、箱の中の一つを博士に返した。
「作戦の決行は明日明朝――皆には一度休息を取ってもらう。博士、研究施設周りで野営テントを張ってもよいか?」
「ああ、もちろんさ」
出発は明日――。
僕は緊張と不安で、妙に目が冴えていた。
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