第67話 作戦会議
「まず……幸福バランサーの設置場所だが――」
そう言って博士は少しクシャクシャになった紙を開いて、目印となる駒のようなものを置いた。
その紙には何やら城のような絵や街のような絵が描かれていて、置かれた駒の近くに木々の絵が描かれていた。どうやらその紙は地図らしい。
博士が僕に目で急かすように合図したので、僕は手早くコーヒーを人数分のカップに注ぎ入れた。
そしてそのカップを一番に博士へ手渡すと、僕はその地図に目をやった。
駒は12個。恐らく置かれた駒は、幸福バランサーの位置を指し示すのだろう。
幸福バランサーは森の西側から北側を通り東側へ等間隔に、まるで森を囲むようにして設置されていた。
「幸福バランサーの構造自体は非常に複雑なのだが、修理自体は実に単純なものだ。しかし、修理時に少しばかりの幸福のチケットが必要になる――そこでだ」
博士はそう言ってポリポリと頭を掻きながら、申し訳なさそうに僕をちらりと見る。
僕は少し考える。
そして、ハッとして言った。
「つまり――僕の幸福のチケットが必要なわけですね」
博士は僕の発言に、その通りと小さく頷いた。
僕には不幸を乗り越えた分、有り余るほどの幸福のチケットがある。
まるで仕組まれたかのように、僕に打ってつけじゃないか。
僕は心の底から沸き立つ熱い何かを感じ、拳を握り締めた。
多分これは、勇気というやつだろうか。
――やってやろうじゃないか。
「私が立てた作戦についてなんだが、まず北の森を抜け、西側から順に幸福バランサーを修理していくんだが――」
「――待ちたまえ」
博士が作戦を語り始めると、途端に猫の紳士が口を挟んだ。
「北の森といえば、黒き者が現れたのも、確かそこではなかったか?」
そう言って猫の紳士は眉間に皺を寄せ、少しばかり身震いをさせていた。
そう。猫の紳士はこの研究施設に来る前、黒き者に追いかけ回されたのだ。
僕にはその黒き者がどんな怪物なのかはわからないが、猫の紳士があの様子なのだ。それはもう、とても恐ろしい怪物なのだろう。
「ああその通り。だが黒き者はヒトを襲わないはずだ。そしてヒトには、黒き者の姿も見えないはずだよ」
博士は猫の紳士の問いかけにそう答えた。
猫の紳士は、ほんとに大丈夫なのか? と心配そうに僕の顔を見た。
そしてまた博士に向かって言った。
「その情報は確かなのか? わたしの従者はヒトである老人を案内中に、黒き者に襲われたのだぞ」
博士は不審そうに首を傾げる。
「うーん……あくまでも
博士は平然と言ってのける。
大臣は博士を見て、声を少し荒げる。
「確証が持てないのなら、危険な事は避けるべきであろう! これ以上ヒトを危険な目に遭わせるのは私は賛成できんぞ。また2年前の悲劇を繰り返すつもりかっ」
大臣の言動からは、別の想いを感じた。
弟の記憶喪失について、大臣は自分を責め、気に病んでいるのだろうか。
それとも大臣としての立場上、国とヒトを守るという重い責任と、その責務を成し遂げるという意志の表れなのだろうか。
「そうだね……それには私も同意する。しかし黒き者は……何故か我ら猫を
猫の紳士と大臣はそれを聞き、
「そもそもこの作戦は、彼が無事でいることが最重要なんだ。彼にもしものことがあった時点で失敗する。だから、キミたちには黒き者を引きつける
「囮……だと……」
猫の紳士は明らかに嫌そうな顔をする。
もちろん大臣もだ。だが、大臣は押し黙っている。
「そう。黒き者をキミたちが引き付けている間に、私は助手と共に、彼を連れて幸福バランサーを修理していく」
それが博士の立てた作戦のようだ。
目的は明確なのだが、その手段は実に正攻法。
猫の紳士も大臣も、明らかに腑に落ちない様子だ。
「わ、わたしどもは捨て駒なのか?」
猫の紳士が心配そうな顔で、博士の肩をガシッと掴んで揺さぶる。
「いやいや、もちろんそんなつもりはないよ。そして必ずしも黒き者と遭遇するとは限らない。そして遭遇さえしなければ、なんてこともない」
「だが、もし遭遇してしまったら――」
「ああ、もちろんその可能性も否定できないよ。もしそうなったら、ただひたすらキミたちは黒き者を引き連れ、逃げに徹するしかないと思う」
「うぬぬ……」
猫の紳士は唸りながら、カップに注ぎ入れられたコーヒーを
すると大臣は身を乗り出し言った。
「やらねばならぬ! これはもはやヒトの世の問題だけではない……既に喰われてしまった同胞の無念を晴らすためにも、我らは国の総力を挙げて黒き者と戦う所存だ。そしてこれは王の意思でもある」
「……わかった……」
猫の紳士は大臣に感化されたのか、少し凛々しい顔でそう言った。
「この作戦は猫の戦いでもある。でも私は、彼の幸福に勝率を見出しているんだ」
そういって博士は、僕を真っ直ぐな眼差しで見た。
「僕の……?」
「ああ、今のキミはまさに幸運の塊なのだからね……」
「なるほど……」
それにはすぐに納得が出来た。確かに幸運に勝る強さは無い気がする。
「なんとも心強いではないか!」
大臣はガハハと笑う。
「おい、貴様のとこの兵も、もちろん囮として走り回らせろよ」
猫の紳士は大臣を小突きながら言う。
僕には幸福のチケットが有り余るほどある。博士にそう言われた。
でも僕はそれをまだ自覚できずにいる。
だから少し不安なのだけど、不思議なことに何か僕には、使命感のようなものが芽生え始めていた。
この世界に来て、僕は何か変わったのだろうか。
それとも勇敢で変に生真面目な、この猫たちの影響なのだろうか。
僕が今ここに居合わせているのは、運命のいたずらなのだろうか。
現世の僕は、いまいちパッとしない普通よりちょっと不幸な人生を歩んできた。
幼い頃にテレビで見た、悪者を退治して世界を救うヒーローに僕と弟は憧れたことがある。
でもテレビの中の世界は、不幸な事が沢山あって、その不幸をもたらす悪がそこにはあった。憧れたヒーローは悪を退治して世界を不幸から救った。
そう、ヒーローは不幸から成り立っていた。
ヒーローになるためにはそもそも救うべき世界があり、救える力があり、そしてその場に居合わせなければならない。
そして今僕は、そこに居合わせている。
度重なる不運で、僕には多少の不幸への耐性はある。
だけど誰かを失ったり、誰かが悲しんだりするのはもう嫌だ。
決して僕は屈強とは言えない。
それでも僕の幸福のチケットで、救えるものがあるのなら――。
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