第66話 目覚めの時
「そんなに慌てて、一体どうしたというのだ」
「騒がしい……何があったのだ」
ソファーに転がっていた猫の紳士と大臣は、博士の慌ただしい声で起こされ少しばかりか不機嫌そうだ。
この世界に来てから僕は、いくつもの出来事や物を見て驚かされてきた。
見たことの建物、驚くべき事実、ましてや人の言葉を話す猫までいる始末。
この世界にはまだまだ知らないことでありふれている。
もちろんこの世界だけではない。
そもそも現世ですら僕が知りうることは、ほんの一握りの興味のある知識や出来事だけだ。
僕はそんなことを思いながら、博士が慌てふためく様子にまるで動じることもなく、コーヒーを淹れる手を止めなかった。
「災害で無傷で残った唯一の幸福バランサー2基が……黒き者に破壊された……」
博士はうなだれて、か細い声で言った。
「な、なんだって!?」
博士の言葉に大臣は声を上げて立ち上がった。
猫の紳士は、その出来事の重大さが分からずオドオドとしていた。
博士の話だと幸福バランサーは全部で12基。その内の10基は2年前の災害によって破損して今は稼働していないそうだ。
そして無事だったその2基の幸福バランサーが、黒き者によって破壊されたと先ほどプラントを管理している猫から報告が入ったそうだ。
幸福バランサーが無いと、これから現世へと転生する人間は、
僕にもその被害の大きさは、容易に想像できるものではなかった。
もちろん死者の国の転生希望者の列は、より一層詰まることになるだろう。
それどころか、もしかすると転生すら出来なくなってしまうんじゃないだろうか。
「万一のため幸福バランサー建設時に立てた、この状況がいつか起こると想定したシミュレーション予測がある。一応想定はしていた。だがその予測が示す未来は……」
博士が言う現世の未来。
それはみんな、どこか胸の内にある微かな危機感。
ある学者や運動家が危惧していた破滅の未来。
誤解から始まる人同士の争い。そして戦争。
環境破壊、温暖化、異常気象。
天変地異による巨大地震や大津波。
核による事故、そして汚染。
隕石の落下による滅亡。
その全てが理不尽な不運による、不幸の連鎖。
そんな現実味の無い現実の未来の可能性を、つらつらと博士は挙げていく。
それは幸福バランサーがあってもなくても、きっと可能性はゼロではないものだと僕は悟っていた。
でも僕にとってはどこか遠い世界や遠い未来の事だと決めつけて、まるで現実感がなかった。
新聞やテレビが言っていたその事柄は、僕はまるで他人事のように聞き流していた。
しかし、博士は言う。
因果律により、その可能性は劇的に増加してしまうのだと。
「人の幸福度は、これからの未来に起こる不幸な出来事とその可能性に密接に関連している――」
僕はその博士の言葉を深く理解は出来ないし、同意も出来なかった。
でも何となくではあるが、人々が不幸になればなるほど、その不幸はやがて記憶になり、恨みや妬みや遺恨になり、それはやがて周りを巻き込み、新たな不幸がやってくる――そんな漠然とした悪い結果が予想できた。
不幸は、更なる不幸を呼び起こす。
次の世代の人々には、皮肉にも『不幸があった分だけ、幸せがやってくる』なんて夢も、ましてや希望もないのだ。
「博士。幸福バランサー、どうにか直せないですか? 僕、力になりたい」
僕はあれだけの不幸な目に遭った。
そしてこの先の未来には、約束された幸福が待っている。
消費しきった不幸のチケット。そして有り余るほどの幸福のチケット。
今の僕にはきっと、出来ないことはない――はず。
「ありがとう。きっとキミならそう言ってくれると思っていた」
ふふっと笑いながら博士は言った。
まるで僕の発言を、まるで予想していたかのようだった。
「作戦会議をしよう――」
博士はそう言うと、助手が持ってきた人数分のコーヒーカップを、ソファーの前のテーブルに並べ始めた。
ちょうど僕が淹れていたサイフォンのコーヒーが、コポコポと音を立てて下のフラスコに落ちきるところだった。
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