第17話 魔女と戦うプリンセスといえば(『プリンセスブートキャンプ』)※ほぼ本の話をしていない

 ついに男の子がプリキュアになった。


 そんな話題で盛り上がったり様々な意見が表明されていた2018年12月2日から3日にかけての私のSNSだった。


 そんなわけで現在放送中の「HUGっと!プリキュア 」において準レギュラーキャラであるスケーターの少年・若宮アンリ君が一時的にとはいえ初の男の子プリキュア・キュアアンフィニーに変身されたわけでシンプルに「時代は進んだなぁ」という感想を得つつも、話題になり盛り上がるポイントが「男の子がプリキュアに!」な所にどうにもこうにも歯がゆさを押えきれないのだった。

 そりゃあ確かに画期的だし、これからの女児アニメの展開を大きく広げる可能性になったと思うし、大きなおともだち層から「HUGっと!ポリコレ」と揶揄されたりすることもある本作であるが基本的にメインターゲットが子供である番組には第一に子供が大人になることを最大限祝福し肯定する物語であって欲しいという気持ちがある為、女児アニメの最先端であろうというような作り手側の心意気を感じる本作に対しては「これでいいんだよ!」と支持する気持ちが大いにある(※1)。


 それでもやっぱり、男の子がプリキュアに! ばかりが盛り上がり、場合によっては議論の対象になっていることに対して私はモノ申したい。

 この回における最大の功労者は主人公の野乃はなさんだろうに。

 あとクライマックスの華々しさが全てもっていったために、前半で語られた若宮アンリを襲う絶望の容赦のなさがすっかりかすんでしまったことも残念さを禁じ得ないのだった。

 

 未視聴の方の為に、前半の簡単にあらすじを説明してみる。

 アイドル的な人気を誇る天才フィギュアスケーター・若宮アンリだが、実は足を故障していた。何度も手術をしていたが回復の兆しは見えない。そこで数日後に出場する予定の大会で最後の演技をして引退するつもりだった。

 が、よりにもよって大会当日の朝に交通事故に遭い、リングの上でスケーター人生を終えたいという希望すら絶たれる――という、朝から見るにはヘビーすぎる展開が待ち受けていたのだった。病院のベッドの上で、もしもっと早く足の故障を伝えていれば、もしもう少し早く家を出ていたら、もし、もし、もし……と涙を流すという形で失われた未来や絶望を描いていた所、見ていて胸が潰される思いがするものであった。

 見終わった後では、「ああ、クライマックスで『なんでもなれる(男の子だってプリキュアになれる)』をやるために絶望はより深く希望なく描く必要があったんだなと冷静に分析もできるものだが、視聴時は「この子ついに悪堕ちするのか……。年末にそんな忙しくなる要素入れてくるのか」と本気で心配したものだ(※2)。


 案の定、敵組織の幹部が迎えに来たり、絶望に囚われて明日への希望も失っている彼をスケート会場に連れてきて怪物を出現させたりという流れになるわけだが、そこで主人公の野乃はな/キュアエールが、絶望により心を失っているために瞳孔が開きっぱなしになるというアニメでおなじみのあの状態になっているアンリに「なんて言ったらいいかわからないけれど」と言いながらも怯まずに声をかけ、応援し、それに応える形でアンリは覚醒して変身する……という流れになるのである。


 というわけで、初の男の子プリキュアが誕生する陰には野乃さんの応援があり、故に彼女がこの回の功労者でキモであろうと私は言いたいわけである。

 下手な「がんばれ」が命取りになるということが周知されて久しいと思われるこの昨今、思わぬ形で将来を完全に断たれてしまった天才スケーター相手だぞ、並みの人間なら応援どころか、まずどう声をかけていいのか、どう寄り添ったらいいのかで悩む。しかし野乃さんは応援する。声を届ける。怯みはしているだろうが臆せずおそれずエールを送る。

 今までのエピソードで、野乃さんの応援が却って人の負担になっていたり、心を打たなかったり、そういう描写が何度かあった。本人もそのことを自覚して少し悩んでる風な様子も見せていた。その積み重ねがあった上でのこの展開は個人的に心にクるものがあり、ちょっと精神的に落ち込みがちなところもあったので見ていてダラーっと涙を流す有様となった。


 お話の上でも、その外側でも、アンリ君の取沙汰されぷりに反して野乃さんの働きはほぼまったく言及されないわけだが、それがみんなにエールを届けるプリキュアとしてのコンセプトに則っているようで実に美しいと思う。


 ああ尊い。女児アニメのヒロインの鑑のような方だよ野乃さんは……。

 

 思えば彼女の来し方や、描かれ方も結構過酷である。

 いじめとおぼしき理由で学校を変わらざるを得なかったところから(※3)、「めっちゃイケてるお姉さん」になろうと決意できるまでにメンタルを運べる時点でまず大したものだし、そこから人を応援しようと思えるまでになるまでの心を想像すると思わず崇めたくなる。

 先に挙げた通り、応援が空回ってしまったことも描かれていたり、時に自信を喪失することもあったり、プリキュアになってからも決して平坦で順調ではなかった日々がしっかり描かれていた。

 落ち込むことはあってもそれでもなおへこたれないし、未来を夢見るのをやめないという姿勢はやはり尊く力強い。変身して戦う女の子像というのはかくありたい。


 そんなわけで昨日から、うっかり彼女のことを野乃先生と呼びたくなるような頭の湧いた状態になっている。

 

 ついでに、個人的に先生呼びしたいプリキュアのピンクはもう一人いる(※4)。

 「Go! プリンセスプリキュア」のはるはること春野はるかさんである。

 小さなころに見た絵本がきっかけでプリンセスになることを志し、周囲からバカにされても自分を曲げず、プリンセスになるために私立の全寮制名門校に入学を決めたという方である。なんかもう根性の入り方が基本的に違う。「そうしなきゃお話が始まらんだろう」という大人目線の無粋なツッコミはおいといて、プリンセスになりたいという抽象的すぎる娘の夢に協力する親御さんもすごい(※5)。

 

 そして、絶望を司る悪い魔女と戦うプリキュアの物語「Go! プリンセスプリキュア」放送中だった2015年に刊行されたのが、悪い魔女と戦うプリンセスの育成期間に集められた少女を描くという米国産YA『プリンセスブートキャンプ』なのだった。――というわけでようやく一応の本題に入れた。



 M.A. ラーソン著『プリンセスブートキャンプ』。

  

 地上を悪の世界に染め上げようとする魔女と軍勢と戦えるのはプリンセスとそれを補佐する騎士。

 物語に登場するような栄えあるプリンセスになることを夢見る少女たちが集う、プリンセス育成期間である学び舎があった。

 入学希望者の少女達の中に一人、随分毛色のことなる少女が一人紛れ込んでいた。森で育ちぼろをまとった少女は不思議な導きにより、他の少女や少年たちと一緒に寄宿制の学校に入学し、海兵隊の軍曹みたいな喋り方をするフェアリーにしごかれたり、仲のいい友達やいけすかない高慢ちき女子、なぜか主人公にたてついてくる騎士候補のイケメンと学園生活を送りながらプリンセス修行に邁進するうちに自分の出生の秘密を知ったりする――というようなエンターテインメント系YAである(※6)。

 翻訳YAは、児童文学や青春文学っぽいものも日本でならライトノベルとして売られているであろうものも、ティーン向けなら一律YAとひとくくりにして国内では販売されるようだけど、本作は明らかに日本ならラノベにあたるものだ。

 

 作者の方は「マイリトルポニー」を担当していたこともあるアニメの脚本家であり、YAというよりもライトノベルに近いような内容だった。不思議な技術を学ぶための学校に通って仲間たちを作るという筋は「ハリー・ポッター」とか「ナルト」あたりの作品との親和性も感じられた(※7)。――というか積極的に寄せに行ったか。


 いつも以上に話の筋があやふやなのは、まあ正直いうとタイトルとコンセプトの秀逸さにストーリーが追い付いていなかった所為だったりする。〝プリンセス″で〝ブートキャンプ″である。このタイトルは強すぎる。並みのストーリーでは勝てんだろう。


 めちゃくちゃつまらないということは全くないけれど、タイトルとコンセプトほど面白くないという地味な感想しか覚えていない本作ではあるのだが、そのせいか却って愛着も湧いて妙に忘れがたく、ついついいつまでも記憶の本棚に並べている一冊となっている。

 特に、プリンセスを目指す女の子が魔女と戦う物語だった姫プリ放送中に合わせたように、魔女と戦うプリンセスを目指す女の子が主人公の物語が翻訳されひっそり刊行されていたという事実に妙な縁めいたものを感じてしまい、より忘れがたい印象を強めているのだろう。


 という所で、『プリンセスブートキャンプ』について語れることはは語りつくしてしまった。

 一応本について語るエッセイなのだから冒頭のプリキュア話よりもこちらが主題であるはずなのに、ごらんのようななスカスカっぷりである。


 いくらうろ覚えで語るのがコンセプトのエッセイとはいえ、感想がスッカスカにも程ががあるタイトル出オチなYA小説のことなんてわざわざ語ったんだ! という方のために言い訳をすると、「私の中で姫プリ思い出すとこの本の記憶もセットで引っ張り出されるしくみになってるんだ! こういう本があったって言いたくなったんだから仕方ないだろ! そもそもそういう誰も知らないし名作でもないような本について語るために始めたのがこのエッセイだ!」と逆ギレしながら返させていただく。

 というわけでこういう本があったのですよ。


 でもって、この本を思い出したきっかけが姫プリであり、姫プリを思い出したきっかけが春野はるか/キュアフローラさんであり……という風に遡り、結局「昨日放送されたプリキュアの回はなんだかんだ言ってもやっぱりよい回でしたね」というまとめにおちつくのだった。

 



オマケがわりの注釈


(※1)

 はぐプリ、2016年に刊行された『女の子は本当にピンクが好きなのか?』(堀越秀美著)を読んだ上でのアンサー的な要素を随所に感じるのだが、参考にされているかどうかはわからない。


(※2)

 それまでの回で、アンリは何度か敵組織にスカウトされる描写があったため「ああついにか」となってしまうのも無理なかろう。お手本にしたいような前フリですね、今思えば。 


(※3)

 ごくごく普通の女の子がある日突然未確認生物と遭遇して魔法の力を授かる、変身して何かとたたかうことになる、というタイプの女児アニメの主人公に集団からつまはじきにされて自尊心をへし折られた経験があるという子を据えたのは本作が初めてではないだろうか(知らないだけで前例があったらすみません)。

 基本的にこのジャンルでは「明るくて時におっちょこちょいだけど、友達には恵まれている。対人関係では悩んだことがない」という子を主人公にするという傾向が見られがちだ。そういう子こそが「ごくごく普通の女の子」であると言わんばかりに。

 学校や教室を中心とした対人関係でひどく傷つき挫折した経験があり、そしてそこから生還した子が主人公。はぐプリで一番画期的なのは何気にここではないかと個人的にはそんなことを思う。


(※4)

 私のプリキュア視聴は「フレッシュプリキュア!」以降になります。初代からプリキュア5までは未視聴です。勉強不足ですみません。


(※5)

 そういや野乃さんのお家も結束力が強く、家族のサポートあって彼女が立ち直った経緯が描かれていた。

 プリキュアシリーズが続くとなったら、いずれ毒親持ちのピンクも出てくるのかなあ。


(※6)

 ちなみに「僕は騎士ではなくプリンセスになりたいんだ!」というプリンセス志望の少年も出てくる。


(※7)

 ハリーポッターもナルトも、どちらも原作は未読でたまにみる映画やアニメで接する程度のことしか知らない。そのせいか、なんだかどっちも似ているなぁ……という目で見てしまう。魔法か忍術かの違いぐらいしかなさそうだ。

 世界規模でいうとワンピースよりナルトの方が人気あるというのはこの辺の事情があったりするのだろうか。

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