第15話 彼女の第一印象(『悲劇の少女アンネ』)

 このエッセイで、『あの年の春は早くきた』という私が好きな児童文学をとりあげた回がある。その中でも少し触れていたが、小学校の三から四年の時はやたら戦争ネタの児童文学を読んでいた。

 この時期はクラス内で仲間外れになっていたり等、まああるある過ぎていちいち語るに値しない人生第二の暗黒期だったりもしたのだが(ちなみに第一の暗黒期は幼稚園の年少・年中さん時代になる。私は幼稚園というものと致命的に相性の悪い子供だった)、戦争ものの本ばかり読んでいたせいでただでさえ暗かったこの時期のことを思い出そうとするとより一層どん底のドドメ色に彩られた風景が脳内に浮かび上がる始末。

 せめてもうちょっと明るく楽しい本を読めよ! と、大人になってから過去の私に声をかけたくなる(※1)。


 第二次大戦末期のウィーン郊外で侵攻してきたロシア軍と一時期生活を共にしていた幼い頃の思い出を語った『あの年の春は早くきた』を手に取ったのはきっかけは当該の章で述べた通り小学三年時の学級文庫に入っていた為だが、どうにもこうにも渋すぎる装丁と可愛げの全くない中身の本を読んでみようという気になったのは、開いた本のページのそこかしこににヒトラーやユダヤ人という単語が散見されたからである。


 ヒトラーやユダヤ人という知識があるからには小三の時にはすでにホロコーストに関する基礎的な知識があったわけで、じゃあそれらをどこから仕入れたのかというと少し前に読んでいた『悲劇の少女アンネ』からだったというわけである。――というわけでようやく今回取り上げたい本にたどり着いた。


 『悲劇の少女アンネ』とは、アンネ・フランクの生涯を元にした子供向けの評伝である。著者はシュナーベル、訳は久米穣。

 フランクフルトで生まれた明るくちょっとおませな女の子が、ナチズムの台頭によりアムステルダムへ亡命。そこで幸せな時代を過ごすもナチスドイツの猛威は留まることをしらず欧州各地に吹き荒れる。フランク一家の逃れたアムステルダムでもユダヤ人隔離政策が実施されることとなり、姉のマーゴットに強制労働収容所への召集令状が届いたことからかねてから計画されていた隠れ家生活を実行することになった。

 二家族と一人の男性という隠れ家の生活は密告によって終わりをつげ、逮捕された隠れ家住人はヴェステルボルク→アウシュビッツ=ビルケナウと収容所を移送されそしてベルゼン・ベルゲンでチフスに罹って死亡するまでの生涯が、子供でも分かりやすい物語仕立てで語られる。比較的すらすらと読めた印象があるので訳文の質も高かったのだろう。

 タイトルに「悲劇」とあるのだからまあ明るい終わり方ではないのだろう……と予想はつくも、明るく利発で人気者だった女の子がガス室のある絶滅収容所に移送されて髪の毛を刈られて刺青を入れられまともな食事も寝床も衣類も与えられない生活を送り、さらにまた別の収容所に送られて劣悪な環境でチフスにかかって衰弱死を遂げるという救いのない内容、しかもそれが本当にあった話であるという重みは小三女児の胸に消えない痕跡を残ことになる。その結果、アンネ・フランクの足跡を追う写真集などを図書館で借りてアウシュビッツの展示品の写真をみては凹むというそんな暗い読書生活を送る様になったのだった。その傾向は今でも続いていて新潮社のクレストブックスから出がちなホロコースト小説はついつい読んでしまう。

 ちなみに同著者による子供向けドキュメンタリー本の『少女アンネ ――その足跡』も読んだ。内容が被ってるせいかこっちも印象深い(※2)。


 

 そんなわけで一種トラウマともいえる『悲劇の少女アンネ』だが、この本の印象が強かったせいか原典の『アンネの日記』を読んだのはかなり後ですっかり大人になってからである。

 『悲劇……』の印象が強すぎたせいか、すっかり日記の方も読んだ気になっていたこともあるが、物語化されたアンネが非常に良い子に脚色されていたこともあって起きた事実には興味はあるがアンネその人には興味が湧かなかったせいもある。

 

 どの程度脚色されていたか――。

 確か、隠れ家の追加メンバーである歯科医のデュッセル氏は誰と部屋を共有するべきかが話し合われた際に、アンネ自ら相部屋になっても構わないと自分から名乗り出たような所があった覚えがある。「私は小さいから、部屋を分け合っても平気よ」みたいな理由で。


 ――うーん、これっていかにも名作児童文学のヒロイン臭い。うわ~……、と鼻白んでしまったのだ。

 ほかにもシュナーベル氏の本にはアンネが優れた文才の持ち主で、学校では人気者で、収容所でも囚人たちに気遣いができて……という優れた美質を強調する点が多かった印象が強い。正直、立派すぎて友達にはなれないだろうしなりたくない女の子だな、というイメージばかり残っている。



 そんな状態で大人になり、ふとした折に『アンネの日記』をちゃんと読んでみたんだのだけれど、驚いたのがアンネがわりとしょうもない女子だったことである。

 

 しょうもないというと語弊があるが、わりとその辺にいる女の子と大差ない子だったんだなということが日記を読むととよくわかるのだ。

 もちろん同世代より頭一つ抜けた文才や利発さは感じられるのだけれど、それ以前に少々自惚れ屋だったり、反抗期真っただ中故に母親に対して舌鋒鋭く批判して「パパは本当は他に好きな女の人がいたはずなんだから」みたいなことを断定的に書き連ねていたりして、ああこれ大人になって読み返したら枕に顔をうずめて「わああああっ!」ってやるの不可避だなっていう黒歴史じみたことがフルオープンで書かれていたのだった。

 隠れ家メンバーのファンダーン一家とか同質のデュッセル氏に対する不満や独断と偏見まじりな辛辣な意見も率直に書かれているし、そこから判断すると絶対に「私は小さいから部屋をわけあっても平気」なんて殊勝なセリフなんて口にしてないはずだろお前! って勝手に断言もしたくなる(大体、十三くらいの女の子が見ず知らずのおっさんと部屋を進んでシェアする気にはならんだろうよ……)。


 その辺がリアル思春期というか、瑞々しく青く、そしてこっぱずかしいリアル女子感が炸裂しており、読めば読むほど「ああこういう本だったんだ」驚かされたのだった。戦争の貴重な証言でもあるが、全然綺麗でも匂いたつようでもなくみっともなく、格好悪くて恥ずかしい女子の有様を全部さらけだされた本でもあったのだ。


 そりゃ小川洋子さん他『アンネの日記』を少女期に読んでアンネに友情を感じる人が多い筈だわ、読んだ気にならずに実際読んでみなければわからないこともあるものだな……としみじみ考えを改めながら、隠れ家時代のアンネと同じ年齢にこの本を読まなかったことが多少悔やまれた。

 大人になってから読むと、「ああ~この年代の女子ってこうだな、自分はなんでも知ってる気がして調子づいてるよな」と「お母さんのことをそんなにボロカスに言うてあげるな」と、どうしても年長者目線で読んでしまうのだ。

 それはそれで悪くはない体験だが、やっぱり同世代の時によんで友情を感じるのか、それとも「いままで友達やボーイフレンドを切らせたことがないくせに、キティ(日記)が唯一の友達とか、何コイツ」と反発を感じたのかはぜひとも試してみたかった。



 しかしまあ、アンネはきっと生きて帰って自分の手でこの日記をしかるべき形に整えて出版したかったことだろうな……と、どうしても思いを馳せてしまう。ごく平均的な女子の感覚があれば、この形で本にするのは絶対イヤだっただろう。


 少し前にアンネの日記の未発表の部分だか原稿だかが翻訳されるというニュースをみかけたけれど、正直もうそっとしておいてあげて欲しい気持ちが強い。現行発表されてる完訳版だって自分の性器の観察記録だとか「そこまで全世界に公開したげなくてもいいだろう」という個所が多いんだから、享年十五の少女の尊厳の方を護ってあげてほしい。


 歴史の証言も大切だけど、アンネはできることならそういう形で名前を遺す人にはなりたくなかったんじゃないかな……と後世を生きる者としてはどうしてもそう思わざるを得ない。

 

 そしてまた、利発で闊達でおませでちょっと自惚れ屋な女の子が「悲劇の少女」になったりせずそのまま素敵な大人の女の人になれる、世界とはそういうとこであってほしいなと、とってつけたようなことを想うのだった。




おまけがわりの注釈

(※1)

 本当は明るく楽しい本もそれなりに読んでいたんですけどね……。しかし、楽しい出来事より辛く悲しい出来事の方が印象に残りやすいという脳のクセに従って戦争ものの本のイメージが強く焼き付いているのだった。 

 なお、この当時は今の児童文庫的なライトな児童文学がまだまだ少なく、あっても幼稚すぎるか、図書館当で借りてくると「また漫画みたいな本借りてきて!」と親から渋い顔をされたりする事情があったので縁が薄かった。

 また、『あの年の春は……』の回でも語ったけど悲惨で辛いことばかり起きる戦争ものの児童文学はある意味リーダビリティーに富んでいることもあり、読みやすかったこともあった。

 本が好きだが読むのが得意ではないという子供だったこともあり、本好きの児童が通過するような岩波・福音館・偕成社あたりの格調高い児童文学はよほど相性がよいものでない限り読み通せなかったという事情もある。私の場合はリンドグレーンぐらいだったような。あとは完訳版のグリム童話と各国の民話の本、すごくきれいな挿絵のついていたギリシャ神話の本が好きだった覚えがある。


(※2)

 物語化された評伝が苦手な方にはこちらの方が面白いのではないかな、と思う。



さらにおまけのブックガイド的なもの


 個人的に印象深いホロコーストがらみの児童文学などをあげてみます。


『ステフィとネッリの物語 全四巻』アニカ・トール、菱木晃子訳

 ウィーンの裕福なユダヤ人家庭でそだったステフィとネッリの姉妹が両親と離れ、ユダヤ人狩りからのがれるために言葉も生活習慣も何もかも違うスウェーデンで暮らすことになる物語。

 何不自由なく暮らしていた女の子が突然それまでの境遇から一変したところから生活のリスタートを着ることになるという、伝統的な少女小説の型でよめる現代のYA。『赤毛のアン』などを下敷きにしている所がありつつも、当時のスウェーデンにおけるユダヤ人のおかれた状況や、言語や信仰に生活習慣も何もかも違う所で子供たちだけで暮らすことになった苦労や困難、いじめや性交渉ふくむ恋愛模様など現代の十代向けにやらないといけないテーマなどもきっちり抑えられていて読み物として面白かった覚えがある。名作劇場が今でもつづいていたら是非アニメにしてほしかったシリーズでした。


『きれいな絵なんかなかった  子供の日々、戦争の日々』

 アニタ・ローベル、小島希里訳


 裕福なユダヤ系ポーランド人として生まれ育った少女とその弟が、やがて迫害されるようになり、アウシュビッツに送られるも辛うじて生きて戦後を生き抜いた。その時のことを後に絵本作家となる著者が回想したもの。

 非ユダヤ人でカトリック教徒のばあや(この人の存在が面白い)との逃避行や、下痢で衣類が常に汚れていたアウシュビッツ時代、無事生還してスウェーデンの病院で体調を整えていた期間の思い出(入院していた他の少女達とちがって自分のやせ衰えっぷりや、食べ物などに対する余裕のなさに強烈な羞恥心を感じていたということの強烈な実感)、スウェーデンで無事再会するもそれまでの裕福な生活習慣とは違って不自由なことが多い新生活に不満タラタラな両親の様子などが書かれていて、「ああ戦争が終わってよかった、生き延びてよかったよかった。悪夢はこれでおしまい」で済むワケがない戦後の身もふたもない様子が語られいてる。

 『あの年の春は早くきた』にもいえるが、大人になっても子供時代の感覚を再現できる人の書いたものはとにもかくにも面白い。

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