第5話 2017年に読んだ本から。

 本当は旧年中にやりたかったものの間に合わなかった2017年振り返り企画など。


 2017年中に読んだ本の中から印象的だったものを上げてみました。

 ランキングではありません。簡単な感想も添えてます(ものによってはネタバレに抵触したものもあります)。

 それではどうぞ。


 ・『シャクルトンの大漂流』ウィリアム・グリル、千葉六樹訳

 南極大陸横断を目指して航海に出たものの、船が流氷につかまって大破したり、数か月耐え続け、乗組員から一人の死亡者も出さなかったシャクルトンの航海を描いた絵本。大判で見ごたえがあります。一家に一冊あるとよいです。


 ・『おばちゃんたちのいるところ』松田青子

 怪談に民話、伝説に登場する女の幽霊やおばけたちをモデルにしたらしいおばちゃんたちが不思議な会社に再就職して現世の人たちとかかわりあうという連作短編。陰気でしめっぽい伝説が塗り替えられるさまが面白い。


 ・『ツタよ、ツタ』大島真須美

 雑誌に載せられた小説が差別的だと批判され、それきり書くことなく表舞台から去った幻の作家が自分の越し方を振り返るという小説。実話をもとにしているらしい。沖縄出身者への偏見が根強い時代背景に、書かざるを得ない業を背負った女性の生き方が印象的だった。頭の中でうごめく物語を捕まえる時の心理に引き寄せっれる。


 ・『狂う人 「死の棘」の妻島尾ミホ』 梯久美子

 島尾ミホの文章に魅せられた著者が、ミホを中心に『死の棘』に関係する人々の人生を丹念に探っていてゆくノンフィクション。

 様々な要素があってとにかく面白いのだけれど、島尾敏夫の浮気相手だった「あいつ」と呼ばれる人の名誉回復的な要素があるのに少しほっとするような、「そこまで調査しにいくんだ!」と驚かされたような……。ていうか、小説の種に色んな女の人に声をかけていたらしいトシオにドン引きというか。単純に「バーカバーカ!」っていうか……。

 そんなトシオと結婚した妻・ミホも一筋縄ではいかない人ではあるよなあ……と圧倒される一冊。本当に面白いです。


 ・『あたしたちの未来はきっと』長谷川町蔵

 2010年の九月、町田の中学に通う生え抜きの女の子で構成された「Aグループ」のメンバーが少女時代のGneeのダンスの練習をしていた。しかしある不幸な事故でダンスは発表される機会はなく七年の月日が経つ。その期間の時事ネタを織り込みながら「Aグループ」のメンバーにスポットをあてる小説。後半でマジカルな仕掛けがあることが判明して驚く。

 第一話をたまたまwebで読んでいて、続きがどうなるのかな~……と時々ぼんやり思い返していたら完結して一冊にまとまった(しかも戦う女子ものという好みの形式で)。それが嬉しい。


 ・『少女は花の肌をむく』朝比奈あすか

 一人になるのがいやで空気を読むのが得意な子、興味の対象がうつろいやすくて集団にはなじまないけれど華やかな外見のおかげで人目を引く子、すぐに自分の世界に入ってしまう感性豊かな子。三人の女子を中心とした人間模様を小学生時代から大学生時代までを俯瞰して語る小説。

 お互いに無いものを求めあい、補い合うような三すくみ状の関係が描かれている。自分の小説を書くにあたり、多分かなり影響を受けたなあ……と思う小説。


 ・『ジニのパズル』賽実

 オレゴンのハイスクールに籍をおいてはいるが学校になじめない少女ジニが、自分の過去をノートに書いていゆくという型の青春小説。

 ホームステイ先の女性に支えられながら心の強張りがとけるまでの様子は舞台もあって海外小説のようなのだけど物語が進むとテポドン発射時期の在日朝鮮人として酷い差別を受けたジニの半生を語る内容になる。オレゴンでも日本でもマイノリティーだったジニの苦しさが胸に迫るが、構成が見事な小説としても印象的。


 ・『マーヤの自分改造計画 1950年代のマニュアル本で人気者になれるか?』

  マーヤ・ヴァークネン、代田亜香子訳

 スクールカースト最底辺自認のあるアメリカ人の女の子が、1950年代のティーンモデルが出版した人気者になるためのマニュアルを実践して果たして本当に人気者になれるかどうかチャレンジしたというノンフィクション。

 ノンフィクションらしいけれどちょっと物語が形式通りに整いすぎているので大人の手がはいってるのじゃないかと疑っているが、自分に自信のない子が無理めなチャレンジをして段々自信を得てゆき、スクールカーストの実態を知る……という主なストーリーにはやっぱり人を引き込むものがある。 

 マーヤの通っている地域はメキシコ国境付近でかなり治安がわるいらしく急に麻薬戦争がおきて学校が封鎖されたりする。そんな一帯のティーンの日常生活も書かれていて、これがまた面白い。


 ・『スウィングしなけりゃ意味がない』佐藤亜紀

 ナチズム吹き荒れる戦時中とはいえ余裕のあったハンブルグのお坊ちゃんたちが禁制の音楽だったジャズやスウィングに溺れ、大人や官憲の目を盗んでパーティーに明け暮れる、海賊版のレコードで荒稼ぎをする。ハンブルグの街が爆撃されても工場を兵器を作って金を吸い上げる。

 戦争や偏狭な思想が蔓延すると失われるものは何かということが語られた小説でもある気がするけれど、それよりも社会的にも経済的にも恵まれた不良のぼっちゃんがときどき辛酸をなめたりするものの基本的にへこたれることなくしぶとく荒稼ぎして生き抜くという、「頑張ればむくわれる」「正直者が勝つ」「のらくら遊びくらしているキリギリスみたいな者はあとで痛い目を見る」といったSNSで他人を叩く根拠にされがちな諸要素が全然ないところがわりととんでもなくて、そこがカッコよい小説。貧乏くささがないのがいい。

 ある点で映画「この世界の片隅で」と共通するところもある気がする(戦争がはじまると市民から失われるものは何かという所等)が、日本の銃後ものは「いたいけで無辜な女子供がどうしてこんなかわいそうな目に遭うのか」という形になりがちだよな、若い男が軒並み兵隊にとられてるからとはいえ……ということについてふと考えたくなるなど。


 ・『最愛の子ども』松浦理恵子

 中途半端な男女共学校の女子クラスの「わたしたち」に、パパ・ママ・王子の疑似家族と見なされている女子生徒が三人。「わたしたち」は三人の様子をみては物語をこしらえては三人を見守っている。一見完璧に見えた三人の関係は、クラスの内外の出来事の影響を受けて次第に変化してゆく……。

 家族や世間がよいとする価値観に馴染めない少女、恋愛事件を起こしたために学校を放逐される少女が出てくる所などに少女小説の定番の型をおさえつつも、家族の問題など現代的な諸問題やユーモアを加えて最新式にアップデートしたようなところが面白い小説だった。

 同じクラスの特別な三人をクラスメイトたちがあれこれ語りながら見守っている所も面白かった。


 ・『ピンポン』パクミンギュ

 いじめられっこの中学生・釘とモアイは原っぱに放置された卓球台を見つけたことから卓球を始める。原っぱで珠を打ち合っているうちに、卓球を通して世界をみているというセクラテンという妙な老人やハレー彗星の到来を待ち望む人々などに出会い、釘とモアイは様々なやりとりをする。そしてある日、卓球界がやってきて二人は人類を地球からインストールするかアンインストールするかの決断をせまられることになるのだった。

 『カステラ』が面白かったパクミンギュさんの小説。これもさえない中学生の日常とすっとんきょうなイメージが結び合っていてとにかく面白い。中学生と卓球だからというのもあるっちゃあるけれど、古谷実の絵がしっくり馴染む気がする。


 ・『あたしのクオレ(上・下)』ビアンカ・ピッツォルノ 関口英子訳

 1949~1950のサルディニア、想像力豊かで作家志望の女の子プリスカと親友のエリザとロベルザの新しい担任になったのは、偽善的で裕福な生徒を贔屓し貧しい家庭の子供を平然と差別するスフォルツァ先生だった。スフォルツァ先生が教室内で平然と貧しい子たちいじめを行う様子をみてプリスカたちは憤る。三人はなんとかプリスカ先生をコテンパンにするための計略を練るのだが……。

 キャラクターも個性豊かだし、プリスカたちが毎日のように起こす騒動も楽しい。それにスフォルツァ先生というのが、今日に生きる者なら蒼白になるレベルの人権意識皆無なクソババアなので物語の悪役として申し分がなく、とにかく普通に読んでいても十分に面白い児童文学。

 物語の内容から戦争の傷跡もまだ言えないイタリアの世相も分かるし、子供がしょせん酷い大人を一時的にコテンパンにしたとしても大元の社会構造がどうにもならない限りはちょっと留飲が下がっただけに過ぎない……という、ただ楽しいだけではないものを残すところもよい。


 ・『リラとわたし ナポリの物語1』エレナ・フェッランテ 飯田亮介訳

 1950年代のナポリの下町で育ったエレナとリラ。激しい気性の持ち主であるリラは一種の天才で進学を勧められるが家庭の事情でそれがかなわず家業の手伝いを始める。進学がかなったエレナの勉強をみることや本を読むことで貧しい状況から逃れようとするが、家族との間に摩擦をうむだけでかなわない。美しく成長しても、外見に惹かれてやってくる男たちがトラブルをおこす。

 語り手であるエレナはエレナで優等生にありたいことや、思春期にともなう体や顔の変化に関する悩み、勉強においても恋愛においても何もかも親友に先を越されてしまうとあせる自分に翻弄される。

 とにかく頭の良さも鋭い感受性も周囲から抜きんでた美貌も、幸福にはなんら寄与しないどころか時にはマイナスに作用するというリラの境遇が痛ましい。

 二人の物語を通して語られるナポリの下町の様子やそこで暮らす人々も善人悪人問わずいきいきと描かれていて読みごたえがある。


 ・『さらさら流る』柚木麻子

 ネットで自分の裸が公開されているのを知った菫。それはかつて付き合っていた男に請われて一度だけ撮らせた写真だった。激しくショックを受けながら家族や友人の手を借りて立ち直ろうとする菫の姿と、なぜ写真が流出することになったのかの経緯を菫の元恋人だった光晴の物語と交互に描くリベンジポルノがテーマの小説。

 2017年にでた柚木麻子さんの本では『BUTTER』が代表作になるのかもしれないけれど、自分にはこちらに抉られるものがあったので……。とにかく光晴という登場人物のイヤさが自分のイヤさとよく似ていて、もう近親憎悪というかなんというか。被害者意識がつよくて自分の暗部ばっかり見つめて暮らすとか、少しでも幸せそうにしている人をみると引きずり落とそうとするとか……お前は俺かという感じで辛かった。

 柚木さん小説に出てくるダメな人には己を見てしまいがちですね。


 ・『九時の月』デボラ・エリス、もりうちすみこ訳

 イラン革命が起き、イラン・イラク戦争中のテヘラン、革命で亡命した国王派の高官の娘・ファリンはアメリカのドラマに夢中になる脚本家志望の十五歳の少女。密告屋が大手を振るう学校にも、戦争のさなかでも豪華なパーティーに明け暮れる両親のいる家にも居場所はない。そんなある日学校で聡明な転校生サディーラと運命的な出会いを果たす。二人の仲は急速に深まり恋愛関係になるが、二人の階級は社会通念に加えて革命後の密告社会が二人に立ちはだかるのだった……。

 孤高の少女が美しい少女と音楽室で出会うという、少女漫画か少女小説風の百合物らしく始まったら中盤で現代イランの人権問題をあぶり告発するという社会派児童文学になるという小説。

 ファリンの父親は建築業界で財を成したということになっているが、そこで不当に酷使されているのがアフガン難民であるという、当時の社会事情も織り込まれている。はあ~そういうこともあったのか……と、勉強したつもりで読んでいたら終盤でそれが辛すぎる展開に発展する布石になっている。


 ・『わたしのいどんだ戦い1939年』

 キンバリー・ブルーベイカーブラッドリー、大作道子訳

 内反足の足を母親から忌み嫌われ、アパートで監禁・虐待されて育ったエイダ。弟のジェイミーにロンドンの爆撃から逃れるための集団疎開がもちかけられ、ひそかに歩く練習をしていたエイダはその機に乗じて外の世界へ逃げ出す。疎開先のケント州で一人暮らしをしている風変わりな女性・スーザンの世話になることになった。子供嫌いだというスーザンだが二人の酷い様子をみて世話を焼くようになる。

 身寄りのない子供が自然豊かな場所で生活して生きる力を呼び覚ますと同時に、その子供を引き取った大人にもよい影響を与えるようになる……という物語は児童文学や少女小説で昔から愛される型の一つではないかと思うけれど、本作はそれを現代的にしたような物語。エイダとジェイミーはみなしごではなくて虐待のサバイバーで、スーザンは多くは語られないけれど同性のパートナーを亡くしてから失意の底にいる知識人の女性ということになっている。

 エイダがスーザンや周りの人の親切を素直に受け取れないことも、「わたしみたいな女には居場所がない」などと言ってスーザンが主婦で構成される婦人義勇隊に参加するのをしぶる様子なんかが現代的だなと思う。エイダとなかよくなるお嬢様のマギーはいい子だし、そのお母さんで婦人義勇隊をまとめている奥様のソール婦人もいい人だったりする。そのあたりもなんとなく『赤毛のアン』っぽい雰囲気があったりするのだけど、虐待する母親や戦争のこともあってそう簡単にめでたしめでたしにたどり着かないあたりが印象深かった。


 ・『あの頃  単行本未収録エッセイ集』武田百合子著、武田花編

 武田百合子の未収録エッセイ集。結構厚い。

 生前単行本にする際には原稿をかなり手直しした著者なので、手直ししていないエッセイを本にしたがらないのでは……? という配慮から単行本に収録されてこなかったエッセイがこんなにあったらしい。とりあえず読めて嬉しい。

 後半に載っている映画評がとにかく面白い。劇場の空気や客の様子(空調にのぼせてじっとしていられない子供の実況だとか)に交えて、映画の内容がドンドン語られてゆく(ネタバレ何するものぞ)。こんな面白いものが今まで本になっていなかったのか! と本に収録された喜びを噛みしめたり、この映画評をもっと読みたかった……しみじみ惜しまれる面白さでした。



 ……本を読んだ後に簡単につけている感想ノートを参照にしてとりあげてみたけれど、読み返していると「あれも面白かった」「これもよかった」になって収集がつかなくなってきましたのでこのあたりで。

 簡単な紹介文と感想も、後半になるつれて無駄に長くなってますしね。


 『ビビビ・ビバップ』、『家族最後の日』、『嘘つき女さくらちゃんの告白』、『聖エセルドレダ女学院の殺人』、『私たちが姉妹だったころ』、『バッドフェミニスト』、『浮遊霊ブラジル』、『嘘の木』あたりも面白かったり印象深かったり……(作者名、著者名、翻訳者名、略しました。すみません)。


 2017年のTwitterで喧々諤々の意見が交わされた『JKハルは異世界で娼婦になった』もweb版で読みました。私は好きでした(あの議論に参加している方は、ポジティブな評価の人もネガティブな評価の人も「異世界」と「売春する女子高生」に過剰な意味を見出しすぎな気がするのです……)。



 こうしてみると児童文学やYAを多く読んだような一年でしたね。


 

 この中でも一冊をあげるとしたら『狂う人』になるでしょうか……。


 2018年はどれくらい読めるかな。積読もあるし、カクヨムのフォローした小説も読まなきゃいけないし、それ以前に私生活が忙しくなりそうだし……。

 

 いろいろ悩ましいのですが、今年も時間を作って何かしら読むのではないかと思います。



 追記:2018年9月13日

 おかげさまでこのエッセイ、この章がダントツで読まれております。

 8月末あたりから突然PVを伸ばし、あれよあれよという間に他の駄エッセイを引き離す結果に……ありがたいことです。


 しかし正直なぜ突然読まれるようになったのかさっぱり原因がわかりません。分からないが故に、どこかで晒されて嗤われでもしてるのかとビクビクしております。

 そこで恐る恐る「youはどこからこの章へ?」と問うてみたくなった次第です。


 これをお読みになった方、よろしければコメント欄にでもお越しになったきっかけなどを書いてやってくださいますでしょうか? 

 本当に何故どうして読まれるようになったのかわかりませんので……。

 

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