第4話 復刊してほしい(『あの年の春は早くきた』)

 本は好きだが本を読むのが不得意なこどもだった。集中力がなくて長編の物語が読み通せないのだ。


 なので、戦争に関する子供の本をよく読んでいた。


 ……本が読めないからって戦争に関する本を読む? 飛躍しすぎ! って呆れた方がいいそうななので説明させいただく。


 戦争に関する本は読みやすいのだ。

 ちなみにこの場合の戦争の本とはミリタリーものではなく、太平洋戦争時の銃後の生活やナチズム吹き荒れる第二次大戦中ヨーロッパの市民生活に沿ったものである。


 何故読みやすいのか?

 まず第一に怖いこと、理不尽なこと、辛いこと、嫌なことが当たり前だけどバンバン起こる。そういう辛い出来事はページをめくらせる力がある。それを読みながら「うわ〜」とか「ひえ〜」とかお化け屋敷のような感覚で追体験する。

 また子供向けの戦争の本は、実際に戦争を体験した書き手の反戦や厭戦の感情から書かれているので「戦争はいけないなあと思いました」という読書感想文のような感想が出しやすい。


 格調高い物語の格調高い文章に「? ?」とならなくていい。

 ガッと読んだらガッとイメージが湧きガッと感想が出てくるのである。戦争に関する子供の本はストロングゼロみたいなものなのだ(あんまり読みすぎると「過去にこんなことがあったなんて知らずのうのうと笑って生きていてごめんなさい」と鬱めくあたりもそれっぽい)。


 よく読めば戦争ものの物語もただ悲しくて辛いことが書いてあるわけじゃない。とくに教科書に載ってたものは大人になってから読んでも構成の上手さや文章がそのものが持つ滋味みたいなものがしみじみと伝わってきたりで、やっぱり教科書に載るだけのことはあるのだなあと気づかされることになるのだけれど、子供なので刺激の強いところしか覚えてないし読んでないのである。


 読書の苦手な層に、刺激の強いデスゲームものやいじめものがウケるのはこのストロングゼロ要素のせいではないかと思うのだけど、とりあえず今はおいといておく。



 その本とは小学校三年の時に出会った。

 学級文庫に並んでいたのだ。多分先生が入れたのだろう。箱に入った岩波の子供の本だった。薄い黄色の壁のある大きな窓から子供達がこちらを覗く絵も、どんな内容だかイメージしにくい小三が読むには渋すぎるタイトル。


 

 難しそうな本だったのに手にとったのは、戦争ものみたいだったからだ。



 手にとってパラパラめくってみる。舞台はヒトラーがどうのこうのといっていたのでドイツっぽい所みたいだ。

 のっけから空襲で建物がガラガラ崩れ、近所の頭のおかしくなったおばさんが死んだりしている。


 適当に飛ばして読むと、主人公たちは比較的安全そうなお屋敷に引っ越していて、大人たちが近所の家の地下室からたくさんの保存食を略奪して喜んでいた。


 もうちょっと飛ばして読むと、主人公である茶色い髪の幼女がソ連兵に「お前はいい子だ」というニュアンスで褒められ、お屋敷で一緒に暮らしている金髪碧眼の男のが「お前はダメ!」とばかりに一方的にジャッジされてる場面がでてくる。


 ……なんだこれ?

 三年生が読むには難しいそっけないような硬質な文章で、戦争中の様子が書かれていた本だった。内容も淡々としていてよくわからない。

 よくわからないがとりあえず手にとっては読んでいた。物語の食べ物が出てくるシーンが好きだったので、保存食略奪シーンばかり念入りに読んでいた覚えがある。



 結局きちんと読み終えられないままその本と別れ、大人になった。


 大人になっても「あの本結局なんだったの? どういう内容だったの?」という気持ちが頭の片隅に常にあり、数年前のある時図書館で借りて読んでみたのだ。



 そしてあまりに面白くてのけぞったのが今回取り上げたかった本、『あの年の春は早くきた』である。前置き長くてすみません。



 クリスティーネ・ネストリンガー作、『あの年の春は早くきた』は、ウィーン育ちの著者が子供時代にソ連軍の侵攻を間近にみていた著者の体験をもとにした自伝的な物語である。

 解説によると、どちらかというと想像力を思う存分働かせた物語が得意な作家だそうで邦訳されたものもあるけれど、私はこの方の本をこれしか読んだことが無い。


 とにかく子供の視点でみたもの、感じたことがつぶさに描かれている。

 子供と言っても物語にでてくるいい子ではなく、その辺にごろごろいる「なんでこんなアホみたいなことををやるの⁉」とあきれたことをしょっちゅうやらかす普通の子どもだ。

 そんな子供が見た戦争の一風景が描かれている。


 

 1945年の春、八歳のクリスティーネの住んでいるウィーンのヘアナルス地区にあるアパートは毎日のように空襲に脅かされている。ご近所さんは突然亡くなるし、食糧は乏しい。同じアパートには気難しくなった祖母とそんな祖母をどうにもできない祖父がいる。


 空襲でアパートが半壊状態になったそんなおり、ナチ党員のフォン・ブラウン夫人という奥様からウィーン郊外ノイワルトエッグにある夏の別荘の番をしないかと話を持ち掛けられる。ウィーン陥落も間もないと判断し、チロルの農場へ移るためだ。だが夏の別荘は惜しい。別荘の家具に傷を付けるな、花壇の世話をしろと事細かに命じながらフォン・ブラウン夫人はクリスティーネの母に別荘の鍵束を預ける。

 かくして、クリスティーネと姉、母、そして脚を負傷して戦線を離脱していたところから帰省許可証を不正に手に入れて家族と合流した脱走兵の父と一緒に別荘にむかうことになったのだった……。というところから、爆撃のはげしいウィーンの下町から一転して戦争末期でも穏やかな高級別荘地での毎日が始まる。


 ナチ高官が過ごしていた別荘地(ユダヤ人の富豪から取り上げられたものであることがさらっと知らされる)にて、しばらくするとフォン・ブラウン夫人の息子の嫁とその子供たちもやってきて、彼らとクリスティーネ一家はわりあい上手く馴染ん仲良くする(姑とは違って嫁はいい人だった)。


 隣のいけすかない女の子とケンカをしたり、逃げ去ったナチ高官の邸宅の地下室から保存食をぶんどったり、そんな毎日を過ごしているうちにここの区域からSSが去り、ついにソ連軍がやってくる。やってきたソ連兵たちは屋敷を検分し、中には銃でシャンデリアを撃つようなものもいる(先に出した、茶色い髪のクリスティーネがソ連兵から褒められて金髪碧眼の男の子はダメとジャッジされるのはここあたりに出てくる。正確には「ゲルマンスキー!」という言葉でドイツ人の子どもかどうか検分されていた)。

 別荘は大隊長の宿舎として接収されることになり、二家族はソ連軍と共同生活をおくることになる。美男子で紳士的な大隊長のお陰で比較的安全な毎日をすごせることになる。しかし一家には脱走兵の父がいるので決して気が抜けないのだった。


 

 若い女のお乳を切り落とされるという噂が飛び交うソ連兵との共存生活、しかも脱走兵を匿っている。大人だったらそれだけでストレスで胃がキリキリしそうな状況だが、子供たちはあまりよくわかっていない。とりあえずそれが日常なのである。


 敗戦間際の日常の出来事や人間模様を子供の視点でつぶさに書くという点で、1945年のウィーンを舞台にした「ちびまる子ちゃん」といった面白さがまずあるのだが、それだけでない。


 主人公になるクリスティーネという女の子を筆頭に、一緒に暮らすことになる子供たちが結構やんちゃなのだ。


 やんちゃなのでケンカもするし、悪さもする。生意気な口も叩く。大人たちが不安に思うのをよそにソ連兵と接触したり低空飛行する飛行機を間近でみようとしたりする。他の子どもと結託し、精神が不安定なせいで感じの悪いソ連兵の拳銃を隠したりもしてあやうく全員の命を危険にさらしもする。とにかく大人の言うことを簡単に聞いてくれないのだ。なんで聞かないといけないのかが分からないから。

 子を持つ身にしてみれば大人サイドへの同情やら共感でいっぱいになる場面が多々あり、子供って言うことを聞いて欲しいときに限ってとんでもないことをやらかすんだよな……。という所から生じるおかしさは「クレヨンしんちゃん」っぽい。


 子供たちが拳銃を隠したせいで危うく住民(特に脱走兵の父)が危険にさらされる件は特におかしい。

 その場にいる大人たちにしてみれば本当に生きるか死ぬかのかなりストレスフルな状況だろうに子供たちはけろっとして「あそこに隠してあるんだから渡せばいいのに」と考えていたりする。


 かなりハラハラする場面ではあるのだけど、どうしてもコメディーの一場面にしか思えなくて読んでいて笑ってしまう場面だった。本当は笑いごとじゃないのに笑える戦争ものというのはなかなかない。



 悲惨な所や大変な所も出てくるがそれはあまりクローズアップされない(視点がクリスティーネに据えられてるせいだろう)、それでも戦争がどのようにして一般市民を振り回していたのかよくわかる、なおかつ笑えるというすごい本だった。


 ああ〜、あの時学級文庫に並んでいた本はこんなに面白かったのかとすっかり満足した。

 でも小学生が読むには渋い本だよなあ……と同時に思う。子供が主役の児童文学ではあるが大人になってから読んだ方がたのしい一冊ではないだろうか。


 1945年のウィーンで「ちびまる子ちゃん」と「クレヨンしんちゃん」をやってる戦争もの……ということで、この本の面白さが伝わるかどうか自信がないが、とにかく面白いんだってば! と私は訴えて回りたい。



 私の思う面白さを重点的に紹介した結果、クセの強い人物ほどいきいきと描写される簡潔で的確な人物だとか後半のスリリングな冒険だとか他にもある魅力を取りこぼすことになってしまったけれど、そこはできれば是非よんでほしいなと思ったりもする。……今、絶版状態のようなので図書館でないと読め無さそうなのがおしいけれど。復刊して岩波少年文庫に入れてほしいものだ。


 なお、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著『戦争は女の顔をしていない』という本と一緒に読むと、ソ連兵がやってきて拳銃でシャンデリアを撃ったりする気持ちもよくわかるのでセットで読まれるとさらによいと思う。



 

 ……今回は事細かに固有名詞が出てくるのはうろおぼえではなく手元に本があるためだ。数年前の古本市でたまたま見つけてサルベージし、本棚に並べている。



 十二月某日、ドイツ語圏の児童文学を訳されていた上田真而子さんがお亡くなりになったことを知った。

 この本の魅力は上田さんの訳されていた硬質でクールな文章にもあるように思い、おもしろい本を紹介してくださりありがとうございましたという意味を込めてこの文章を書きたくなった次第である。


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