第3話  変なものを読んだという体験(『幻魔大戦』)

 通っていた高校はやる気のない公立校だった。


 正確に言うと、やる気のない公立校からちょっとはやる気のある公立校へ変わろうとしている端境期にある高校というか。


 そんな学校の図書室によく通っていた。


 やる気のない学校の図書室なので蔵書の質などもおして知るべしなレベルだったが、司書教諭もいたし卒業した公立中学校よりは図書室としての体面を保っていたこともあって放課後はよく利用していた。ひと昔ふた昔前のベストセラー小説が目立つしょぼい図書室だけどしょぼいなりに楽しい時間を過ごした思い出深い場所である。


 文庫の棚には角川映画が華やかだったころの角川文庫がたくさんあったように記憶している。



 そんな図書室に通っていた頃、何をどう魔がさしたのか、何故か『幻魔大戦』という長編SF小説を読み始めていた。作者は平井和正という方である。多分わたしよりひと世代ふた世代上の方にとっては馴染み深い、有名な方であると思う。


 魔がさした、という己に責任がないような書き方をしたけれど、一応の動機は覚えている。

 酒見賢一、若木未生といったその時よく読んでいた作家に影響を受けた作家として平井和正の名を上げておられたので興味を持ったのと、その当時異能力バトル漫画や退魔モノ小説が好きだったので「こういうジャンルの祖先にあたるであろう超能力戦士モノを読んで勉強したいものだ」という気持ちが合流した結果手に取ったと思われる。



 貸し出しシステムは「耳をすませば」でお馴染みの図書カードに記名する方式だった。わたしの名前の一つ上の欄に書かれた名前は十年以上前に在籍した卒業生のものである。なんのロマンスも予感させない。



 はてさて、一世を風靡した超能力戦士小説を読ませていただくかのう……という気持ちで読み始めた。


 一巻はなんだか不思議な力をもつプリンセスが不吉なビジョンを見せられたり、主人公になるらしい高校生が超能力戦士に覚醒するまでが重々しくハードなエンターテイメントととして描かれていた気がする。世界の命運をかけて闘う超能力戦士なんてわたしの十代だったころでも既にネタだった気がするが、この時はまだネタではなかったんだな……と感心したような。


 二巻、三巻はなんかアクションパートが少ないのが気になるものの、キャラクターの立った超能力戦士小説だったように思う。



 四巻あたりからなんだかおかしくなった。

 主人公が何故か突然、カジュアルな宗教団体みたいなものを作り出した。

 次の巻あたりからその団体にいた小生意気な美少女を超能力で治療したり、その美少女がカジュアル宗教団体の指導者になったり、なんだか不思議な展開になっていったのだ。



 え? 超能力戦士は? サイキックアクションしないの?


 気になるので巻を進める。でもカジュアル宗教団体の内紛話が勃発している。

 気がつけば主人公がどこかに行ってる。本当に物語の外部のどこかに姿を消しているのだ。小説の主人公が小生意気な美少女教主(正確には宗教団体でも教主でもなかった気がするけど覚えてない。申し訳ないがそういうことにさせていただく)に入れ替わってる。



 サイキックアクションは? この巻では戻ってる?



 もう既にあんまり面白くないが、それでも意地になって読み進める。

 時はオウム事件の記憶も生々しい時期だった(年齢がバレますね……まああんまり伏せてもいませんが)。宗教団体の内紛でも知っておけば後々役にたつかもしれないという気持ちを奮い立たして読む。


 そのうち頭もよくて弁も立つイケメンが団体を乗っ取ろうとするような話が始まっていた。ムカつくキャラクターが出てくるとページをついついめくりたなるが、でもやっぱりわたしが読みたいのはサイキックアクションで宗教団体のイザコザではない。



 家の中で古いSF小説を読む私をみて姉が気持ち悪がっていた。またこんな不思議ちゃんみたいなことをしてコイツは……という眼差しを向ける。


 

 ついに読み進める原動力もつきて、全二十巻のうち十九巻という半端な巻で読み続けることを断念した。あと一巻くらい読んでおけばよかったと思うが、もう息も絶え絶えだったのだ。



 そんな読書だったが、一箇所笑ってしまったところがある。終盤のあるエピソードだ。


 美少女教主の取り巻きに心美しい一人の娘がいた。

 その娘には同じ団体に不思議と心惹かれる、懐かしいような娘がいた。縁もゆかりもない関係なのに何故……?


 その時教団は分裂の危機にあり、美少女教主は結構追い詰められていた。どうしてそういう理屈になるのかは忘れたけど敵対する一派の前でムー大陸の存在を証明しないといけないような展開になる。


 そんなことできないだろう? 意地悪い目で見守る敵対する一派の前、美少女教主はその娘たちを壇上にあげる。すると突然二人は不思議な言葉で語り出し、泣きあって抱き合うのだ。


 何が起きてるのかわからない聴衆の前で美少女教主は宣言する。


「二人はムー大陸の巫女の姉妹でした。今ここに二人の前世の記憶が蘇ったのです……‼︎」




 ……すみません、かなりうろ覚えなので本当はこんな感じじゃなかったかもです。



 でも、二人を壇上にあげて「二人は前世でムー大陸の巫女だったのです……!」というシーンは確かにあった。

 それを読んだ時は申し訳ないが笑った。それまでのストレスがあったせいでかなり笑った。

 前世が○○も、ムー大陸も、この頃ではすっかりネタの扱いな時代だったから、この小説に登場する人々がとても無垢に思えた一瞬だった。



 とにもかくにも、自分の中には「とてつもない変なものを読んだ」という手応えだけは残った。


 超能力戦士のサイキックアクション小説かと思えば途中で宗教団体の内紛小説になり、主人公がどこかに消え、自分が今まで知っていた「小説」らしきものがまるでない。

 小説というものはきちんと筋が通ったものが必要で、きちんと読者をハラハラドキドキさせたり思った通りの大団円やそれを裏切ってどんでん返しで驚かせたり、そういう作業が必要だと思い込んでいたけれど、自分が読んだものはなんだかもうフリーダムにもほどがあった。


 刊行時にすごく人気のあった作者だからフリーダムでも許されたんではないかと思うが、とにかくこういうのでもアリという判定になるのなら小説というのはなんと豊穣なのだろう……というのはやや盛った表現になるが、ストーリーがあるんだかないんだかすらわからないし、文章がぐねぐねしてるし、自分の知ってる小説の概念に当てはまらないような見たこともない形式で書かれる翻訳物の小説を読んでも「どんとこい!」という気構えでいられるようになり、その結果面白い本や作家に出会える率が高くなったので、そういう意味ではありがたい小説だったと思う。感謝したい。



 ふた昔まえの人気小説を読むのもそれはそれで楽しいものはあった。

「この当時はこういうのが面白かったのか」となりながら読むのは遺跡巡りのような趣がある。わたしが読んだ本は、コンクリートで作られた謎の巨大建築の廃墟みたいなものだったのかもしれない。



 ……ところで息も絶え絶えになった読書であるが、この作者の本はその後もちょいちょい読んでいた。やはり一時代を築いた方の小説なので読むものを引きつける力があったのだろう。その過程で作者の方が一時期新興宗教に傾倒されていた時期があったことなどを知ったけれど、よく知らないので触れない。


 戦前に生まれた作家の方の文章は、軽めの娯楽小説であってもかなりきっちりされている気がする。目の揃ったきっちりした文章を読むのが単純に心地よくて好きだったのもあるように思う。

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