質 ――2

「なんで――!?」

 沙綺羅は弓を取り上げられ、押し倒される。

 逃れようと身をよじる際に浅月の腹を押した。

 ずるっと、異様な感触。

「まさか、浅月――」

 浅月の服をめくり上げた。下腹がなかった。肋骨と背骨が白く見えている。

 ぼたりぼたりと陰気な虫が落ちて蠢いた。浅月は内臓を貪り食われていたのだ。

「――もう死んでいたの」


「そうか、俺、死んでたのか」

 浅月はようやく自分の死を理解した。力を失い、その場に倒れる。

 早回しの映像のように、あっという間に浅月の身体はミイラのように乾燥して朽ちてゆく。

 その横に制服姿の警官が堕ちてきて、血と内臓を振りまいた。

「もうやめてよ! お願い……」

「せっかく苦労して屋上まで上げたんだもの。あたしは言ったことは実行するって、その証明のつもりだったけど――」

 経験したことのない恐怖が沙綺羅を襲う。

 ――おかしいよ。どうしてそんな簡単に人を殺せるの。

「沙綺羅は取引を拒否したのよね」

 陰陽師たちは――一縷いちるの希望を込めて姿を探した。

 全員死んでいた。

 全員が目をえぐり出されていた。沙綺羅がしたことのお返し、というわけだろうか?

「取引? あれは脅迫っていうのよ」

「かなり譲歩したつもりだったけどな。理解されなくて悲しい」

 まるで指揮者のように、両手を振り上げる。

 隣のビルの屋上にいた残りが――十人くらいか――突き落とされた。

 思わず目を伏せる。

「しっかり見なきゃだめ、沙綺羅。あなたの選択の結果なんだから。まあ、最悪だったけど」

 沙綺羅の両手に手錠をかけ、杭の一本に固定する。

 ひとりでにパワーショベルが動き出した。鉄の腕が降り上げられる。

 ――まさか。

「その手は厄介だから――動かないで。さもなきゃ、死ぬよ」

 数千kgもの掘削力を持つバケットが、沙綺羅の両手首に落ちた。

 切れ味の悪い巨大ななたで叩き切られるのと同じだ。

 激痛が沙綺羅の全身を襲う。

 一瞬遅れて、鮮血が噴き出した。

「ああ――ああああぁ!!!」

「あらら、血止めしなくちゃねえ」

 あやかは木材を燃やしていたドラム缶から、鉄の棒を取り出し。

 切断面に押し当てる。

 肉が焦げる吐き気のするような匂いと音。

 もはや声を発することさえできなかった。頭の中に雷が落ちたようだ――気を失えればまだ楽なのかもしれないが、絶え間ない痛みがそれさえも許してくれない。

「身体の痛みは心も弱らせる。沙綺羅の身体をもらうわ」

 細く黒い糸――髪の毛のようなものが両手の傷跡から侵入していく。

 あやかの身体が黒く太い髪の束のようになり、すべてが沙綺羅の中に入り終えようとした時。

 

 違和感を覚えた。

 あやかが思いもしないこと。沙綺羅が笑ったのだ。


「得意技は人の体内に潜り込んで操る。遠隔操作までできるとは予想外だったけど」

「……沙綺羅?」

「あなたを祓うならもう、こうするしかないってことよ。私の体内に封じ込めた後、浄化の炎で焼き尽くす」

「自殺する気?」

「覚悟はできてる。あなたも覚悟して」

「そんなのすぐに――?!」

「己の身体自体を結界にする秘儀――そんなの最後の最後にしか使わないものよ。だから私たち以外誰も知らない。たとえ浅月でも」

「本気なのね」

「もちろん本気よ」

 沙綺羅は炎――ドラム缶に近づく。

 突然、目の前が真っ白になった。


 これは何かのビジョンなのか。

 沙綺羅は裸で、何もない空間にいた。

 両手がある。ほのかに光るのは霊体だからなのか――この感じは、幽体離脱した感覚に似ている。

 もう私は死んでしまったのだろうか、と沙綺羅は思った。

「気がついた?」

 あやかが立っていた。同じように、何も身につけずに。

 なんだか猛烈に腹が立って、沙綺羅はあやかの頬を平手で打った。

「口では偉そうなこと言ってもね、あなたはただの子供ガキよ」

 どうせもう死ぬのだから、言いたいことは言ってやろうと思った。

「駄々をこねるにしてもめちゃくちゃ。手当たり次第に殺して回って、悲劇を再生産しているだけじゃないの」

 あやかは沙綺羅の顔をじっと見つめ、


「――あたしはただ普通に生きていければ、それで充分だった」


 呟くように言った。

「でもこうなるしかなかった。人のせいにはしない、自分のケツは自分で拭くわ。怨霊バンザイよ。後悔も改心もしない。だけど、だけどね、あたしが沙綺羅のようだったら、少しは違ったのかな」

 あやかはくるりと背を向けた。

「いいわ、沙綺羅の中に封印されてあげる。封印が切れるか、沙綺羅が死ぬまで――あたしは表には出てこない」

 にやりと笑った気配。

「忘れないで、あたしは<わざわい>。再び世に放たれたなら多くの人が死ぬわ。せいぜい長生きしなさいね、沙綺羅」



 気がつくと沙綺羅は工事現場に倒れていた。

 街に染みこんだような腐臭が風に散ってゆく。


 不思議と痛みを感じない――沙綺羅は起き上がり、両手を見下ろした。

 両手はあった。支障もなく、思った通りに動く。

 ただ、その色は闇のような、黒だった。




 月日は百代はくたい過客かかく――常にすれ違い、通り過ぎてゆく。

 沙綺羅は床にいていた。

 奇妙なひとりごとを呟いていた。まるで二人が会話しているかのように――。

「あーあ、まさか沙綺羅が100近くまで生きるとはね。まあ病巣あってもあたしが喰っちゃうしなー。もう退屈で退屈で」

「近年じゃ封印の力などもう残っていなかった。出ようと思えば出られたのに、変に律儀なのね」

「自分で言ったことは守るわよ。あたしのポリシーだもの」

「ひとこと――最後にひとことだけ」

「なに?」


「――ありがとう」


「封印した巫女が封印された怨霊にありがとうって意味わかんないわ。バカじゃないの? 沙綺羅? ねえ沙綺羅――」



 死せる老婆の黒い両手が溶けだした。

 あやかは再び少女の姿を取り、和室のふすまを開け放つ。

「あたしは地獄行きだろうからもう会えないけど――つまらない天国で退屈してなさい、沙綺羅」


 あやかは駆けだした。

 そのうちに風に紛れ、姿もおぼろになってゆき――。


 消えた。




 ――そのあと?


 <わざわい>に自ら手を突っ込む愚かさがあるならば、あやかの名前や姿を聞くこともあるかもしれない。

 ただしその結果、好奇心の代償を支払うことになるだろう。

 それが<わざわい>というものの性質なのだから……。



 ね?







                    終






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AYAKAシ 連野純也 @renno

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