嘘
空がオレンジ色に染まりだした頃、40代くらいのいかにもサラリーマンという風ぼうの男が向こうの方から歩いて来ました。そして、その反対側の道からは、80代くらいのいかにも暇そうな老人が歩いて来ました。
当然、彼らはばったりと出会ってしまいました。
「いやあ、鈴木さんお久し振りですね、お元気ですか?」
先に声を掛けたのは、サラリーマンの方でした。
「はい、じじいはいつでも元気ですよ。信雄君は少し見ない間に大きくなったねえ。」
老人は、のんびりと答えました。
「いくら僕を子どもの頃から知っていると言っても、もう46(歳)ですよ。今じゃ、つまらんサラリーマンです。」
男は、ガハガハと笑いました。
そして、心の中でこのじいさんボケたんじゃないか。と本気で思いました。
「それじゃ。」
男は、片手を上げて、その場から立ち去ろうとしました。
ところが、老人がそのまましゃべり始めてしまいました。
「今朝、起きたら調子が良くてね、体がいつもより軽く感じたんですよ。だから、外に出てポーンと弾んでみたら、なんと空まで飛んで行ってしまってね、「こりゃ、いかん。」と思って、近くに浮いていた雲に取り敢えずしがみ付いたんです。それでね。」
老人は、さらに続けようとします。
「な、何を言っているんですか。そんな事あるわけないじゃないですか。驚かせないで下さいよ。」
男は、慌てました。
(やっぱり、いかれてるな・・・。帰ろう、早く帰ろう)
「あー、また会ったら続きを教えて下さいよ。それじゃ。」
男はさっさと家に帰るために、足を踏み出そうとしました。しかし、老人が構わず嬉しそうに口を開いたために、それは失敗してしまいました。
「その雲は触ってみると、フカフカとして気持ちが良さそうだったから、しばらく乗らせてもらう事にしたんです。うん、実に極楽でしたよ。それから大分そこで過ごしていると、次に大きな白い鳥がやって来てね、話し掛けてみると、コウノトリだったんですよ。どうやら赤ん坊を届ける最中だったらしいのです。確かに、首から下げていた白い布には、赤ん坊が包まれていましたよ。」
そこまで聞くと、男の顔はいっそう険しくなりました。
「それは、鈴木さんの夢ですよね?そうでしょ?」
ですが、老人は、平気な顔で返します。
「いやいや、夢ではありません。事実ですよ。」
そうして、またしゃべり出してしまいました。
「コウノトリが去ったあと、私を乗せた雲が突風で大きく流されてしまったんです。気が付いた時には知らない場所にいてねえ、どうしようかと困っていると、どこからか『お爺さん、どうしたんだい?』と声が聞こえてきました。キョロキョロ声の主を探してみると、突然目の前が黄金色に輝き出したんですよ。見るとそれは大きな太陽でした。私はその太陽にわけを話しました。すると、太陽は1匹のキラキラと光るウロコを持った、大きな魚を差し出してきました。それで、『これに乗って行きなさい。』と言ってくれてね。私はお言葉に甘えてその大きな魚にまたがり、お礼を言って今し方帰って来た所なんです。」
老人は、ずっとニコニコとしていました。
辺りは、すっかり暗くなろうとしています。
(なんなんだ、こいつは)
男は、大いにうんざりしていました。
「そんなのは全部嘘でしょう。作り話でしょう。今度私の娘に聞かせてやって下さい。その手の話が大好きですから。失礼。」
そして、ぶつぶつ文句を言いながら、帰って行きました。
その場に、老人だけが取り残されてしまいました。
すると、そこへ隙を突いて、冷たい風がビュービューと老人の体にまとわり付いてきました。老人の体が芯まで冷えてしまいそうになると、近所のおばあさんがやって来ました。
「鈴木さん、どうしました?」
おばあさんは、優しく声を掛けました。
老人は軽く挨拶をして、
「さっき信雄君に会っておもしろい話をしたら、「私の話を嘘でしょう、作り話だ。」と言って帰ってしまったんですよ。あの子が小さい頃は、次はどうなるの?と目を輝かせて、急かされながら色々と私の体験話をしましたが、大人になってしまうともう信んじてくれないんですかねえ。」
と、寂しそうに話しました。
「大人になる人の中には、子どもの頃の純粋さを無くしてしまう人もいますからねえ。でも、そうやって大人になるのに必死だったんでしょう。また余裕が出来たら昔の心を取り戻してくれますよ。私はそう思っています。さあ、もう家へ帰りましょう。寒いのは体に毒ですから。」
おばあさんがそう言うと、老人は「まったくです。」と少しだけ顔をほころばせました。
2人は、暗くなってしまった中を歩き始めます。
その途中、老人はポケットから1枚のキラキラと光るウロコを取り出し、前から吹いてきた風にそっと渡しました。
与次郎じいさんのおはなし 笑う子 @ekoeko
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