第15話 猫の集会場


 そして、土曜日が訪れた。


 昼過ぎ、俺と明理は約束通り待ち合わせをして、東公園へと向かった。


 俺も明理も当然私服姿だった。俺は青いパーカーを着て、明理の方は白のブラウスにスカートを着ている。


 目的地へと歩く間、俺は大きなボストンバッグを肩にかけ揺らしていた。


「ねえ、その鞄って中に何入ってるの?」


 軽装の明理が俺に質問する。


「捕獲器だよ。パーツに分解して入れてる。すぐに組み立てられるよ」


「今日捕獲器を設置するの?」


「問題なさそうならな」


「う~ん、でも……」


 明理は周囲を見ながらいう。


 東公園は住宅地の奥に入ったところにある。俺たちが歩いている周囲の景色も徐々に民家が増えてきた。


 さらに、例の青いビーフジャーキーによる毒殺騒ぎの影響か、『不審者に注意!』の張り紙をときどき見かける。


「公園で捕獲器を使うのは怪しまれない? この辺り、けっこう人目あるよ。それに、例の毒餌騒ぎもあるし……休日よりは平日の昼間とか、やるならせめて人が少ない時間帯の方が」


 明理の言う通り、休日の住宅地には人の姿を多く見かける。


 散歩をしている老人や、世間話をしている主婦たち、軒先で車を洗っている中年男性の姿も見える。


「平日の真っ昼間に高校生が捕獲器を設置してる方が怪しまれるだろ。変にコソコソせず、堂々とすればいいんだよ。もしものときにはこれでごまかすから安心しろ」


 歩きながら、俺はポケットから一枚のプリントを取りだした。


「……? 何それ?」


「猫保護サークルのプリント。前に瀬田山先輩に会ったときに一枚もらっておいたんだ」


 瀬田山先輩の名前が出た途端、明理の表情が曇った。


「そんなの何に使うの?」


「ここだ」


 プリントの中、猫保護サークルの活動内容紹介の部分を指差す。


 そこには確かに『野良猫の捕獲・保護』と書かれている。


「いいか? 口裏を合わせるんだ。俺たちは学校の猫保護サークルのメンバー。この公園には野良猫の保護のために来てる。捕獲器を仕掛けるのは、野良猫を保護して避妊去勢手術を受けさせるためだ。誰かに怪しまれて問い詰められたらこのプリントを見せて、『怪しいものじゃない』と説明する」


 俺の言葉に明理は唖然としている。


「猫保護サークルのふりをするってこと?」


「そうだ。何か問題があるか?」


「別にないけど……でも、何か気が進まないよ。育音に罪をなすりつけてるみたいで」


 明理は不満そうだった。


「罪をなすりつけてるわけじゃない。ただ猫を捕まえる理由の言い訳に使うだけだ」


「でも……ううん、何でもない。陽樹がそういうなら、それでいいし」


 それでもなお明理は不満を口にしようとしていた様子だったが、すぐにそれを振り払うように首を横に振る。


 最近、こういうことが多くなった。


 明理は俺のいうことなら無条件で従うようになっている。たとえそれが自分にとって嫌なことであっても。


『信頼』というきれいな言葉で片付けることもできる。だが、実のところ『依存』というのが正しい呼び方だろう。


 明理は言葉とは裏腹に、その顔には不安げな表情が浮かんでいる。


 瀬田山育音に対して罪悪感を覚えているのだろうか。


 その表情を見て、俺はまた心臓を小さな針で刺されるような正体不明の痛みに襲われた。


 何だか俺たち二人の間に気まずい沈黙が満ちる中、ようやく東公園に到着する。


 東公園は学校から三十分ほど歩いた距離のところにある児童公園だ。滑り台やシーソー、ジャングルジムといった一通りの遊具はそろっている。だが、休日だというのに公園で遊ぶ子供たちの姿は見えない。


 その代わり、公園の中には十数匹の野良猫がたむろしていた。シーソーの上にも、ベンチの上にも猫が居眠りをしている。砂場の方からは鼻をツンと刺激する臭いが漂ってくる。どうやら猫がそこで糞尿をしているようだった。


 俺たち二人はその様子を呆然としながら見ていた。


「猫の集会場になってるみたいだね、ここ」


「……ああ」


 東公園に猫が何匹もいるなんて聞いていない。 とにかく、俺は携帯電話を取り出し、例の目撃情報の画像を開いてから、公園内のベンチへと視線を向ける。


 見比べると、どうやら画像で三毛猫が歩いているベンチはこの公園のベンチで間違いなさそうだった。


 ただし、今公園の上で眠っている猫の模様はトラ柄で、一目で例の三毛猫ではないことがわかった。


 公園内を見渡してみても、三毛猫は見当たらない。


 俺は肩にかけていたでかいボストンバッグの紐を撫でて確かめる。ボストンバッグの中には分解した捕獲器が入っている。例の三毛猫がいたらあわよくば捕まえようと思ってのことだったが、その必要はなさそうだ。


「こんなに野良猫がいるんじゃ、捕獲器を仕掛けても別の猫がひっかかるな……」


「そもそもあの三毛猫、今この公園の中にいないみたいだし……」


 明理が公園の中を見渡しながら言う。


「あの三毛猫はペットの可能性がある。だから、今は飼い主の家にいるのかもしれないけど」


 それでも、状況はあまり変わらない。


 目当ての三毛猫がかかるまで罠を仕掛け続けるというのは骨の折れる作業だろう。


 どうしたものか……と俺が考えていると、『ガシャン』という聞きなれた音が公園内に鳴り響く。


 明理は驚いたような顔で俺を見つめる。


 俺の捕獲器の音だと思ったのだろう。だが、さっきも説明したとおり、捕獲器はパーツごとに分解してボストンバッグの中に押し込んである。


 それに、さっきの音は公園の反対側の出入り口から聞こえてきた。


「向こうだ。行ってみよう」


 そう言って、俺は公園の外から迂回して、反対側の出入り口へと向かう。


 すると、そこには五人ほどの高校生らしい男女の集団がいた。


 彼らの足元には俺の捕獲器と同じくらいの大きさの金属製の檻が設置されていて、その中には一匹の黒と茶のまだら模様の猫が捕えられていた。ひどく興奮した様子で、捕獲器の中で暴れている。


「そっち押さえて。扉開いちゃうよ!」

 その捕獲器を、二人の男子で懸命に抑えている。捕獲器にカバーをかけ、やっと大人しくなったと思うと、その集団は俺と明理に気付いたのか、こちらへと視線を向ける。


 男子二人と女子三人の五人組だ。


 そのうちの四人は見覚えがないが、女子一人の顔には覚えがあった。


 動きやすそうな白いTシャツとジーンズ、腰の辺りでジャケットを結んでいる。学校で制服姿を見たときとはだいぶ印象が違うが、それは瀬田山先輩だった。


「あれ? 小川くん? それに……」


 瀬田山先輩が進み出て、俺たちに話しかけてくる。だが、俺の隣に立っているのが明理だと気付いたのか、彼女は声を詰まらせる。


 明理は前のように逃げるような真似はしなかったが、居心地悪そうに視線を逸らす。


「奇遇ですね。瀬田山先輩、ここで何をしてるんですか?」


 気まずい雰囲気になりそうな予感がしたので、とにかく瀬田山先輩にそう声をかけた。


「あ……うん。猫保護サークルの活動だよ。この公園の野良猫を捕まえてるんだ。獣医さんに避妊去勢手術をしてもらうために。あ、この三人は猫保護サークルのメンバーだよ」


 瀬田山先輩は振り向いて、そこに立っていた残りの二人の女子と二人の男子を紹介する。

だが、その紹介をろくに聞かず、「はあ」とか「どうも」とか適当な相槌を返す。その間に俺はパーカーのポケットの中で猫保護サークルのプリントをグシャグシャに握りつぶす。


 危ないところだった。猫保護サークルのフリをしているところを、まさに本物の猫保護サークルと遭遇したんじゃ冗談にもならない。


「全部自分たちでやってるんですか? すごいですね」


 俺は不自然さをごまかすように、話を続ける。


 だが、瀬田山先輩は悲しげに首を横に振る。


「まさか。高校生じゃとてもお金が足りないよ。学校から予算はもらってるけど……それでも全然。今日は私たちだけだけど、いつもは街の大きなボランティア団体の手伝いをしてるんだよ」


 それから言葉を切って、瀬田山先輩はちらりと明理の方に視線をやる。


 だが、明理は俺の後ろに隠れるようにして視線を逸らしている。


「えっと……小川くんたちはどうしてこの公園に? この辺りに住んでるの?」


「それは――」


 少し答えに迷う。


 偶然この公園の近くに来た、ということにしてもいい。だが、猫保護サークルがこの公園で保護活動をしているとなると、下手な言い訳をすればこの公園に近寄りにくくなる。


 それに、猫保護サークルがこの公園の猫を保護しているという話も気になる。もしかしたら、例の三毛猫もすでに捕獲されているのではないだろうか。


 考えた末に、俺はいつも通りの案を取ることにした。つまり、コソコソするよりはかえって堂々とするという案だ。


「――猫を探してるんです」


「よ、陽樹? 何を……?」


 背後にいた明理が動揺したように声を上ずらせる。


 初めて口を開いた明理のその動揺ぶりに、猫保護サークルの人たちが怪訝そうな視線を向ける。


 まずい。


 俺はとっさに明理の方へと向き直る。


「別に隠すことないだろ? おまえの家から脱走した猫……みんなに聞いてみた方が早く見つかるだろ」


 明理は少しの間、『意味がわからない』という顔をしていたが、すぐに俺の意図に気付いたらしい。『口裏を合わせろ』という俺の意図に。


「ま、まあそうだけど……でも、邪魔しちゃ悪いし……」


 明理は俺の腕を掴み、消え入りそうな声でそう言った。


 瀬田山先輩に対する気まずさからくる素の反応なのだろうが、それが明理の演技にもっともらしさを与えていた。いかにも気弱で引っこみ思案な少女のようだった。


 ちらりと猫保護サークルのメンバーの方へと目をやると、だいたい事情を察したように怪訝な表情は消えていた。


 ただ、瀬田山先輩だけが驚いた表情をしている。


「明理が猫を飼ってるの?」


「正確には、明理の伯父さんの家でもともと飼ってた猫ですけどね。最近脱走しちゃったらしいんです。それで、この辺りで目撃情報があったらしくて探してるんです。三毛猫なんですけど……知りませんか?」


「三毛猫……」


 瀬田山先輩が考え込んでいると、後ろから猫保護活動サークルのメンバーの女子が一人近づいてくる。


「瀬田山さん、あれじゃない? ほら、この前保護した猫。確か今、『優しさの家』のシェルターにいるはずだったよね?」


「ああ……そうだ、確かあの子も三毛猫だった」


 思い出したように瀬田山先輩は顔を上げる。


「心当たりがあるんですか?」


 俺は瀬田山先輩の言葉に食いつく。


 一時はどうなることかと思ったが、これは想定外の収穫かもしれない。猫保護サークルが捕獲してくれているなら、わざわざ自分たちで捕まえる必要はない。


「うん。あなたたちが探してる猫かどうかはわからないけど……シェルターに事情を説明して見せてあげることはできるよ。その……明理がよければ、だけど」


 瀬田山先輩は明理の方へとちらりと視線を向ける。


 明理はやはり視線を逸らすようにして目を伏せる。


「私はそれで……別にいいし」


 消え入るような声で答える明理。


 猫保護サークルの他のメンバーたちは怪訝そうな目で明理と瀬田山先輩を見ている。


 だが、中には事情をある程度知っているのか、気まずそうにしているメンバーもいる。


「じゃあ明日、日曜日に案内するよ。待ち合わせは午後一時にこの公園。それでいい?」


 瀬田山先輩の言葉で話はまとまった。


 猫保護サークルとの遭遇には驚いたが、例の三毛猫に一気に近づくことができた。結果オーライ――とばかりも言えなかった。


 背後から明理の視線が刺さるのを痛いほどに感じていたから。

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