第14話 青いビーフジャーキー
翌日の昼休み、俺は明理を校舎外の非常階段の踊り場へと呼び出した。もちろん、秘密の話をするためだ。
俺は携帯電話に昨日届いたメッセージに添付されていた画像を表示して、それを明理に見せた。
「この猫で間違いないか?」
明理はしばらくの間、画像を凝視していた。ベンチに座る三毛猫の身体の模様を、記憶の中に残る猫と照らし合わせているのだろう。
明理はしばらくしてから頷いた。
「間違いないよ……この猫、忘れるはずがない……一年前、私たち家族が運転していた車の前に飛び出してきたあの三毛猫だ……!」
明理の声は怒りに震えている。
携帯電話に表示される画像を食い入るように見つめるその目には憎悪の感情が渦巻いていた。
「この画像が撮られたのは東公園らしい。今度の土曜日に行ってみるか?」
「土曜日? 今すぐ行こうよ! 学校なんて早退して、この猫を捕まえに……!」
明理は声を荒げて俺の腕を掴む。
「おい、落ち着けよ」
俺は何とか明理をなだめようとする。
明理が興奮するだろうと予想して、非常階段という目立たない場所に呼び出したのに、明理の怒鳴り声が校内の廊下にまで響いてしまいそうだった。
「気持ちはわかる。だけど落ちつけ。今すぐ行ったって猫が見つかるかどうかさえわからない。どっちにせよ、土曜日にもまずは確認に行くだけだ」
「でも……!」
訴えるような目で明理は俺を見つめる。
「焦るなよ。焦ったらうまくいくものもうまくいかなくなるぞ」
「……うん、そうだね。ありがと、陽樹。頭に血が上ってたよ」
深呼吸して明理は少し冷静さを取り戻したようだった。痛いほどに俺の腕を掴んでいた手を放す。
そして、明理は笑みを浮かべる。
「やっぱり陽樹が協力してくれてよかった。陽樹がいなかったら、この猫の居所さえ掴めずに、一人で闇雲に毒殺を続けてたと思う」
明理は俺に全幅の信頼を込めた視線を向ける。
ほんの数週間前まで、こんな風に誰かに頼られるなんてことは思いもよらなかった。彼女からそんな目を向けられるのは心地よかった。快感だった。
だが、一方で心の隅で「これでいいのか?」と問いかけてくる自分がいる。頭に浮かぶのは瀬田山先輩の顔だった。
「……? どうしたの?」
迷いが顔に出ていたのか、明理が怪訝そうに訊ねる。
「いや、何でもない。じゃあ、土曜日に」
そう言って、俺は話を打ち切った。
同時に、昼休みの終わりを告げる予鈴の音が響いた。
その日の授業が終わり、ホームルームの時間になった。
俺の頭には例の三毛猫の目撃証言のことしかなかった。それは隣に座る明理も同じだっただろう。
担任の三沢先生が教室の前の席から連絡プリントを配り始めたのも、今月の行事予定だとか、いつもの取るに足らない連絡事項のためだと思っていた。
だが、俺はそのプリントに書かれていた『東公園』の文字を見て、少し興味を引かれた。
「今配ったのは注意喚起のプリントだ。何でも、ここ数日の間、東公園の辺りで不審な猫の死骸が多く見つかってるらしい。近くには何か青いものがかけられたビーフジャーキーがよく見つかっているそうで、警察は毒餌によるものだと見ているそうだ。東公園近くに住んでいる生徒は、不審者を見かけたらすぐに警察に通報するように。以上だ」
それは他の多くの生徒たちにとっては行事予定の連絡よりは刺激的なニュースではあっただろう。
だが、痴漢だとか万引きだとか、こういった犯罪の注意喚起は一ヵ月に一回くらい程度の頻度では聞くニュースであはる。
教室のほとんどの生徒たちにとって、今三沢先生がした連絡はそれらと同じ取るに足らないことだと受け取られたようだ。
ただ、俺と明理にとってはそれは重要なことだった。
野良猫が毒殺されているのは、他でもないあの東公園なのだから。
ホームルームが終わった後、直哉が俺の席へと近づいてきた。
「なあ、さっき田中たちと帰りにカラオケ行くって話になったんだけど、おまえらも来ないか? 割引券が今日までなんだってよ」
直哉は陽気にそう話しかけてくる。
彼は親指で背後を指し示していたが、そこには数人のクラスメイトの男女が雑談をしていた。
きっとそれも明理がクラスになじめるように、という直哉なりのおせっかいだったのだろう。
だが、俺と明理は互いに横目で視線を交わして、お互いの意思を確認した。
「悪い、今日はちょっと用事があるんだ」
「私も……誘ってくれてありがとう」
俺たちはそう言って、席から立ち上がる。
「やれやれ、つれねえなあ」
直哉はそう言いながらも、あっさりと引き下がってもとのグループへと歩いていった。
こういうときの引き際の良さも直哉の美点の一つだった。慣れ慣れしいようでいて、決して踏み込む必要のない一線まで踏み込んでくることはない。
直哉には一度も家族について話をしたことはない。直哉と他のクラスメイトたちが、家族の話題になったときも俺は黙っているか、適当にはぐらかす。
俺のそんな態度を見て、直哉の方も俺が家族仲に何か問題を抱えていることを察しているようだ。だから、直哉は決して俺に家族の話題を振ってくることはない。
そういうドライさが今の俺にはむしろありがたかった。俺は最近、直哉と話すと前に立ち聞きしてしまった直哉の言葉を思い出してしまうから。
――猫を殺すなんて最低なことをするような人間の屑じゃない。
その言葉を振り払うようにして、俺は席から立ち上がる。
俺と明理は教室の雑談の声を後にして下校し、いつも通りに明理とともに帰り道を歩いていた。
そして、近くに下校途中の生徒たちの姿が少なくなってきた辺りで、話を始めた。
「最初に一応確認しておくけど、毒の餌を撒いているっていうのおまえじゃないよな?」
俺が訊ねると、隣を歩く明理は首を横にブンブンと振った。
「まさか。そんなことするわけないし。陽樹がやめろって言ったんだよ? それに使っている毒の種類が違うし」
明理は憤慨した様子で否定する。
誰かに聞かれてはまずい、と俺は慌てて人差し指を口に当てる。
明理も声が大きいと自覚したのか、周囲に目をやるが幸い誰も聞いているものはいなさそうだった。
「――で、毒の種類って?」
「猫の死骸が見つかった近くでは『青いビーフジャーキー』が見つかったんでしょ? でも、私が使ってる毒はエチレングリコール――無色透明の液体だよ」
「ああ、そういえばそうだったな」
言われて、俺は初めて明理と出会ったときのことを思い出す。
あのとき明理が落とした瓶に確かに無色透明のエチレングリコールが入っていた。
「それにエチレングリコールはそんなに強い毒じゃないよ。代謝されることで毒性を発揮し、腎不全を引き起こす……同時に同じ場所で何匹も死骸が見つかるような強力な毒じゃない」
「そうだな。いや悪い。疑ってたわけじゃないんだけどさ」
「別にいいよ、わかってくれれば」
明理はどこか得意げに胸を張った。
毒物について話すのが嬉しいのかもしれない。
「ところで、じゃあ例の『青い餌』……何の毒か心当たりはあるか?」
「う~ん……短期間に何匹も死骸が見つかるってことはそれなりに強力な毒物……じゃあ農薬かな? それに青いってことはメソミルとかだと思う」
さすがに毒で猫を殺し続けただけのことはあって毒物には詳しい。
とりあえずわかったことは、今続いている猫の毒殺は明理の仕業ではないということ。
そして、となると必然的に導き出される結論が一つ。
「俺たち以外にも猫殺しがいるってことだな、この街に」
「うん、そうなるね」
俺も明理もそれほど驚いてはいなかった。
この鈴菜沢市は条例により『動物と人間の共生』をスローガンに掲げている。
そのせいで殺処分が制限され、野良猫が溢れかえっている。
ネット上では『猫町』なんて呼ばれ、猫好きの観光客のメッカとして扱われている。だが、猫好きたちにとっては天国かもしれないが、そうでない人間にとっては地獄だろう。
そして、「猫はカワイイからどんなに迷惑をかけられても許してあげる」と思う頭のネジの抜けた人間はそれほど多くはない。
野良猫の命とドブネズミの命との間に境界線を引く意味を見いだせない人間もいる。
猫を殺そうと思う人間が俺たちの他にもいることは、取り立てて不自然なことではなかった。
「それにしても、面倒だな……」
俺は腕を組んで考え込む。
「何で? その猫殺しさんを見つけ出して協力してもらえばいいんじゃない? 私たちみたいに」
「そううまく行かないだろう。お前の話だとその人はかなり強い毒を使って、とにかく大量に猫を殺したいんだろう? 俺たちみたいに特定の一匹の猫を殺したいんじゃなく、とにかく猫を恨んで毒殺してるんだ。一緒に行動してると、バレやすくなるだけかもしれない」
「そう、か……協力するにしてもリスクが大きすぎるよね……でも、どうするの?」
「このまま毒殺が続けば、例の三毛猫の飼い主が警戒して猫を外に出さなくなるかもしれないな。……とにかく、明日の土曜日、東公園近くを調べてみるしかないな」
「そうだね」
この鈴菜沢市に潜む三人目の猫殺し。
それが俺たちの三毛猫探しにどんな影響を与えるか、胸の中で不安が渦巻いていた……。
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