第10話 望まぬ再会(後編)


 学校中庭は色とりどりの花を咲かせる花壇が並ぶ庭園となっている。


 中庭にあるベンチに座り自販機の缶ジュースを飲みながら、俺は瀬田山先輩に今の明理の様子を話した。


 もちろん、二人で猫殺しをしているということは隠しておいたが。


「そう……やっぱりまだ、お父さんとお母さんのこと引きずってるんだ。そりゃそうだよね。たった一年前だもんね……」


 蓋を開けたオレンジジュースの缶にほとんど口をつけないまま、瀬田山先輩はため息をつく。


 話し終えると、ほとんど初対面の二人の間には気まずい沈黙が下りる。


「……両親が死ぬ前の明理ってどんな風だったんですか?」


 俺が声をかけると、瀬田山先輩はうなだれていた顔を上げる。


「ちょっと泣き虫だったけど優しくて明るい子だったよ。動物が好きで、よく『ペットが飼いたい』って言ってた。いつかお父さんとお母さんを説得するんだ、って。それなのに、あんなことになるなんて……」


 瀬田山先輩はその手に持った猫保護サークルのメンバー募集プリントに目を落とす。


 そこには可愛らしい猫のイラストが載っていた。


「新聞記事に書いてあったよ。飛び出してきた猫を避けようとして亡くなったんだって。……やっぱり、私を避けたのってこれも関係してると思う?」


 彼女は力なくプリントをひらひらと振る。


「それは――まあ、あるかもしれませんね」


『関係ない』と気休めを言おうとしたがやめた。


 どう考えても明理が彼女を避けたのは、猫殺しである自分に負い目を感じたせいだ。


 そこまでは知らなくとも、瀬田山先輩自身も気休めの言葉なんて望んではいなさそうだった。


「だよね……はあ」


 瀬田山先輩は深くため息をつく。


「親友だったんですね。明理と」


「親友……ううん、私にとってはそれ以上。明理は命の恩人だった」


「命の恩人?」


 大げさなその表現に俺は興味を揺さぶられた。


「明理とは小学生のころからの友達なんだけどね、私、そのころ拒食症になったんだ」


「拒食症……って、食べ物を食べられなくなるあれですか?」


 TVの特集か何かで見たことがある。ダイエットをしている女性とかが『太りたくない』という思いに取りつかれて、自分の命が危険になるレベルまで食べるのを拒否するという。


「といっても、ダイエットなんてしてたわけじゃないけどね。小学生のある時期に私、あるきっかけで気付いちゃったの。食卓に並んでいる肉――それが全部殺された動物の死骸だっていう事実に」


『あるきっかけ』と瀬田山先輩はややぼかした言い方をした。


 きっと、それは他人に詳しく話したくないような、自分の根本的な部分に関わる記憶なのだろう。たとえば、俺に取っての車に轢かれた猫の記憶のように。


 だから俺はその『きっかけ』について深く追究することはしなかった。


「そんなの誰でも頭ではわかってる、当たり前のこと。それでも、一度意識してしまうととても食べ物を食べる気にはなれなかった。そして、ついに栄養失調で倒れて病院に送られたの。病院では本当に生きた心地がしなかった。自分のことを死体だと思ってたよ。だけど、ある日……」


 辛い記憶を思い出して悲しげな目をしていた彼女が少しだけ表情を和らげる。


「ベッドで寝ている私のもとへ、明理が見舞いにやってきた。あの子、やせ細った私の姿を見て驚いた。そして私の身体にすがりついて『育音、死なないで』って泣きじゃくった。『育音が死んだら、私も死ぬ!』って……」


 そのときの明理の様子が目に浮かぶようだった。


 明理は嘘をつくのが下手だ。逆にいえば、それだけストレートに本心を打ち明けるということだ。


「そこまで言われちゃったら、死ぬわけにはいかないよね。だから、それから頑張って食べるようになって、拒食症も克服したんだ」


 当時のことを思い出しているのか、瀬田山先輩は苦笑している。


 だが、すぐにその笑みには陰りが差す。


 彼女はため息をつくとベンチから立ち上がった。


「ごめんね。何か一人で昔話をしちゃって。とにかく、今の明理のこと話してくれてありがとう」


 そう言って、瀬田山先輩はベンチの脇に設置されていたごみ箱へと空き缶を捨てる。


「いえ、こちらこそ」


「私が言うのも変な話だけど……明理とこれからも仲良くしてあげてね。それじゃ」


 瀬田山先輩がベンチから離れ、歩き去っていく後ろ姿を俺はジュースを飲みながら見つめていた。


 先輩の姿が中庭から見えなくなってから、俺はベンチの後ろへと顔を向ける。


「……仲良くしてあげて、って頼まれたけど」


 声をかけるとベンチの背後にある生垣から覗いている頭がびくりと震えた。


 明理が立ち上がると、その気まずそうな表情がはっきりと見えた。


「気付いてたんだ」


「丸見えだった。いつ瀬田山先輩に気付かれるかヒヤヒヤしてたぞ」


「そ、そんなに隠れるの下手だった……?」


「かなり」


 明理は嘘をつくのも下手だが、隠れるのもかなり苦手のようだった。


 つくづく今までよく猫の毒殺を隠してこられたものだと感心する。


「隠れて盗み聞きするくらいなら、直接話せばよかったのに。『命の恩人』さん」


「茶化さないでよ……そんなこと、できるわけないし。私がこの一年間やってきたことを知ったら、育音がどう思うか……考えなくてもわかるよ」


 明らかに消沈した様子で明理は首を横に振る。


 そして、瀬田山先輩が去っていった方向へとじっと目を向ける。その目には、悲しみの色が浮かんでいた。


 その顔を見て、俺は心臓に小さな針を刺されたような痛みを感じた。だが、自分でもその痛みの正体は掴めなかった。


「本当にいいのか? このまま続けたら……」


「だ~か~ら~。もう後戻りはできないし。私だって後戻りするつもりもないし。はい、というわけで育音の件はこれで終わり! いい?」


 明理は半ば無理やりに話を打ち切る。


「それよりさ、今日陽樹の家に行ってもいい? また『練習』がしたいんだ」


 練習。


 きっと誰かがその言葉を聞いても、部活か何かの話だと思うだろう。だが、実際には猫を殺す予行演習だ。明理がトラウマを克服し、その手で生き物の命を奪えるようになるための。


 実際、昨日の夜に一匹捕獲器にかかったのを、まだ殺さずにおいてある。


「……ああ、いいよ。明理がいいなら」


 少し前までなら、俺は明理の練習に協力するのに躊躇なんて感じなかっただろう。


 だが、今の俺は何故だか迷いを感じてしまっていた。それは考えるまでもなく、彼女が現れたせいだった。


 ――瀬田山育音。


 明理の両親が死ぬ前、明理の友達だった少女。そして、猫保護サークルの代表。


 彼女のことを考えると、言いようのないほどの焦燥感が俺の心を襲った。


 だが、今の俺にはその焦燥感がどこからくるものなのかわかっていなかった。いや、自分でもわかっていないふりをしようと努めていただけかもしれない。


 ただ、明理の俺に向ける笑顔がひどくぎこちなく、悲しみを押し隠したものだということだけはわかっていた。

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