第9話 望まぬ再会(前編)
この鈴菜東高校には情報の授業で利用されるPC教室があり、休み時間や放課後には生徒に開放されている。
学校が発行するアカウントを使って、自由にPCを使うことができる。
実際にPC教室を利用する生徒は多くはないが、その日も数人の生徒がちらほら席に座っていたのが見えた。
だから、俺と明理の二人はPC教室の奥、目立たない席のPCを陣取っていた。
「ふうん。『迷い猫情報募集!』か……イラストを描かせたのってこのためだったんだ」
俺が座る椅子の背によりかかり、明理が俺の後ろからPC画面を覗き込んでいる。
PC画面には俺が作成したポスターの画像ファイルが表示されていた。
明理が以前描いてくれた猫のイラストを使い、あたかも脱走した飼い猫を探しているかのようなポスターを作ったのだった。
そのポスターにはこの街の住所と予め作っておいたSNSのIDが書かれている。目撃者がいれば、すぐにメッセージをくれることだおる。
「これ、誰もまさか猫を見つけ出して殺すために作ったポスターとは思わないだろうね」
明理が声をひそめながら言う。
「ああ。この画像をSNSに流しておいた。まだ情報は来てないけど順調に拡散されているみたいだ」
猫の死骸の隠し方と同じだ。
作為的にこそこそと隠すよりも、堂々とした方がかえって怪しまれない。
「うう……何か善意を利用してるみたいでイヤだ……」
「仕方ないだろ、復讐のためだ」
それから、PC教室の中を見回す。
他の生徒たちからは離れた席に陣取っているが念のためだ。
「ところでお前、もう毒は使ってないよな?」
さらに声を潜めて俺は明理に問いただす。
「え? もう使ってないよ。何でそんなこと聞くの?」
「前も言ったけどこの猫は飼い猫である可能性がある。毒は使わない方がいい」
「どうして?」
「毒を食わせても、飼い主に動物病院に連れて行かれる危険があるだろ」
「あ……そっか」
猫がエチレングリコールを摂取しても即座に身体に毒が回って死ぬわけじゃない。
エチレングリコールが体内で代謝されることで毒素が生まれ、それによって腎不全を引き起こして死ぬという段階を踏む。
つまり、死ぬまでにタイムラグがあるということだ。
そのタイムラグの間に飼い主が猫の異常に気付き、適切な治療を行えば猫を仕留めきれない危険性がある。
「そうじゃなくても、『毒餌がばらまかれてる』なんて噂が立って、飼い主が猫を外に出さないようになったら終わりだ」
「……猫が家の中に閉じ込められてたら手出しできなくなるもんね」
「ああ。だからもう毒餌は使うなよ? 確実に殺すためには捕獲するしかないんだから」
「うん、わかったよ……」
少ししょんぼりした様子で明理は答えた。
何だかんだで毒餌使いの猫殺しとして自分の手口に誇りを持っていたのかもしれない。
「いやまあ、ほら。あんまり気を落とすなよ。捕獲してから毒殺する分には問題ないし」
「陽樹ってフォローが下手だよね……」
「ほっとけ」
そんなやりとりをして、俺はPCをシャットダウンし明理とともにPC教室の出入り口へと向かう。
そして、廊下へ出ようとしてドアを開けた瞬間のことだった。
「わっ!」
女子生徒の短い悲鳴が響く。
それから、紙がバサバサと落ちる音。
見ると、ちょうど廊下を通りかかっていた一人の女子生徒がドアに驚いたらしく目を丸くしている。
ショートボブの髪型の、活発そうな印象の生徒だった。
制服のデザインが緑色なのでどうやら三年生らしい。
つまりは先輩だ。
その周囲の床には、何枚かのプリントが散らばっている。
「すみません。ちょっと急いでて……」
言い訳をしながら、俺はプリントを拾い集める。
「いや、こっちこそごめん。ちょっとよそ見してたよ」
女子生徒も同じように散らばったプリントを集め始める。
そのとき、俺はそのプリントの内容に気付いた。
それは例の猫保護サークルの活動内容を紹介するプリントだった。
「猫保護サークルの人なんですか?」
「ん? うん、そうだよ。というか、サークルの代表。もしかして興味あるかな? だったら一枚もらってもいいよ……って」
プリントを集め終えた彼女が顔を上げたとき、その顔に驚きの表情が浮かんだ。
その視線の先には、俺の背後に立っている明理の顔があった。
「明理! よかった……学校に来てたんだ。ずっと連絡取れないから、どうしてたのかと……」
女子生徒は安堵の表情を浮かべて、明理に話しかける。
しかし、明理はどこか複雑そうな顔で目を逸らしていた。
「ごめん、陽樹……私、先に行くから」
「え?」
呼び止める間もなく、明理はへと歩き去ろうとする。
「明理? ちちょっと待って!」
女子生徒が名前を呼ぶが、足を止める気配さえ見せずに明理は曲がり角の向こうへと消えた。
取り残された俺と女子生徒は呆然としながらその廊下の曲がり角を見ていた。
「えっと、きみ、陽樹って呼ばれてたね。明理の友達?」
沈黙を破ったのは彼女の方だった。
明理の伯父にされたのと同じ、答えにくい質問だ。
「はい、まあ。小川陽樹です。そっちは?」
「私は瀬田山(せたやま)育音(いくね)。明理の友達。……元、友達かな。あの様子じゃ」
女子生徒――瀬田山先輩は悲しげに苦笑いを浮かべる。
明理は両親の事故のショックで学校に来なくなり、留年している。
つまり、彼女は明理が留年する前の学年での友達ということだろう。
瀬田山先輩は俺の制服のネクタイに目を向ける。
二年生であることを示す赤色。
それを見て、彼女の方も納得がいったらしい。
「……明理、留年したんだ。一年休んでたし当たり前か」
瀬田山先輩は残念そうにつぶやく。
「明理と仲良かったんですか?」
「あ、今『明理』って」
不意に瀬田山先輩は声を上げた。
怪訝に思いながら彼女の顔を窺うと、安堵したような表情を浮かべている。
「どうしたんですか?」
「ううん、ただよかったって思ってさ。今の学年でも、名前呼び捨てにしてくれる友達がいるんだって」
先ほど、露骨なほどに明理に避けられていたのに彼女は嬉しそうに言う。
いい人なのだろう、と思った。
明理にもこんな風に心配してくれる相手がいたのか、と感心する。
「やっぱり、私と話すのは気まずいんだろうね。もう学年違うんだもんね」
瀬田山先輩はそう呟くがその理由は違うだろう。
明理はそんなことを気にするような性質じゃない。
そして、それ以上に確かな理由を俺は知っている。
瀬田山先輩が手に持つ、猫保護サークルの勧誘プリント――それに俺の視線は吸い寄せられていた。
「ねえ、小川くん。ちょっと時間いいかな。明理のことについてもっと聞きたいんだ」
瀬田山先輩は俺に微笑みかけてくる。
断ろうかとも思ったが、俺は少しの逡巡のあと頷いていた。
両親が死ぬ前の明理がどんな少女だったのか、少しだけ興味があったからだ。
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