第6話 二人の猫殺し、二人の過去


 高坂の両親は一年前、交通事故で亡くなった。


 そこまでは俺も直哉から聞いて知っていた。


 だが、どうやって死んだのか――その詳細までは知らなかった。


 深夜の堤防で、高坂は両親が死んだ日のことを俺に語った。当時、車の後部座席に乗っていたという彼女の言葉はひどく生々しかった。


 一年前のその日、高坂の一家は親戚の家に遊びに行き、その帰り道で事故に遭ったそうだ。


 具体的にはカーブでハンドル操作を誤った対向車の軽トラが高坂一家の車へと突っ込んできて正面衝突をしたというものだった。


 事故現場は見通しの悪いカーブで、もともと事故が多発していたらしい。また、前日に雨が降っていて路面がスリップしやすい状況になっていた。


 交通事故はこれらの不幸な事故が重なって起きたものだと言われていた。


 だが、高坂は事故が起きる瞬間を目撃していたのだった。


 高坂と両親、高坂一家を乗せた自動車がとあるカーブに差し掛かったとき、一匹の猫がガードレールの隙間から這い出てきて、対向車線側の道路を歩いていた。


 運の悪いことに、そのとき対向車の軽トラックが同じようにカーブへと入ってきたところだった。


 軽トラックの運転手はカーブの真ん中に猫がいると見るや、驚いてとっさにハンドルを右に――つまり、まさに高坂一家が通っている車線へと切った。


 目の前に迫ってくる軽トラックのバンパーを前にして、高坂の父はとっさのことで避けるのも急ブレーキをかけることもできなかった。


 高坂家の自動車と軽トラックは正面から衝突し、どちらも車の前部が潰れて道路に横転した。


 軽トラックの運転手も、高坂の両親も即死だったという。


 高坂は車の前部が運転席と助手席に座った両親の身体ごと潰れる瞬間を後部座席から見ていた。


 凄惨を極めた両親の死体から目を逸らすように、高坂は車の窓の外へと目をやった。


 そのとき、事故現場から歩き去っていく一匹の三毛猫の姿が見えた。


 悲惨な交通事故の原因となった三毛猫は、無傷のまま悠々と事故現場から立ち去っていったのだった。


 その光景は事故から何日経とうと高坂の目に焼けつくように残っていた。


 両親の葬儀を終え、悲しみが落ちついてから高坂の心にはその三毛猫への憎悪が燃え始めた――


「――なるほど。それで復讐ってわけか」


 一通り話を聞き終えた後、俺は納得して頷いた。


 小学生のころ、動物園の帰りに俺が猫が車に轢かれるのを目撃したとき――『もしも、あの車が猫を避けていたらどうなっていただろう』と考えることがある。


 その『もしも』の結果が、明理の家族に起きた交通事故だろう。飛び出してきた猫を避けるなんて、自分から事故を引き起こすような危険行為だ。


 その点、ブレーキもハンドルも使わず、猫をそのまま轢き殺して走り去ったあの日のドライバーは賢明だったわけだ。少なくとも、明理の家族の車と正面衝突したという軽トラックの運転手よりは。


「……あの交通事故から、私は猫を毒殺するようになった。ネットで猫に効く毒を調べて、不凍液のエサを盛り始めた。猫が憎くてたまらない。たぶん、あの猫を殺すまではこの憎しみは消えない」


 握りしめた拳を震わせながら高坂は語った。


 その目には悲しみと憎しみが入り混じった色が浮かんでいた。


「事情はわかった。でも……事故って一年前なんだろ? 野良猫だったら死んでてもおかしくないぞ? 事故死や病死や餓死……可能性はいくらでもありえる」


 俺の指摘に高坂は首を横に振った。


「ううん。その可能性は低いと思う。だって、野良猫じゃないし」


「野良猫じゃない?」


「私、はっきり見たの。その三毛猫が首輪をしているのを。あれは誰かの飼い猫だと思う」


「……放し飼いってわけか。無責任だな」


 高坂の言う通り、放し飼いされたペットだとなると野良猫とは話が違ってくる。


 飼い主から十分にエサをもらっていれば、少なくとも餓死の心配はない。


 栄養状態からして、野良猫とは寿命も違うはずだ。


 もちろん死んでいる可能性はゼロではないが、少なくとも野良猫よりは生きている望みはあるわけだ。


「私は、その三毛猫を何としてでも殺したい。あの猫を殺せるなら、どんな手でも使う。……協力、してくれる?」


 弱みを握っておいて脅迫するわけでもなく、懇願するように高坂は言う。


 実際のところ、猫殺しの決定的な証拠を持っているのは画像を撮影した高坂の方だけで、俺は高坂の秘密をバラそうにも告発の証拠が足りない。


 だから、高坂の方が圧倒的に有利な立場のはずなのに――彼女は不安げに俺を見つめて問う。


 しばらく逡巡したあと、俺は口を開く。


「一日、考えさせてくれ。明日学校で答える」


 俺の答えを聞くと、高坂は力なく微笑んだ。


「言っておくけど、別に嫌だったら断ってもいいからね。本当に……ただの私のエゴだし」


 今までの強引さが嘘のように高坂はしおらしくそう付け加えた。


 そこに嘘はないだろう。


 この話を断っても、高坂は一方的に秘密を盾にして脅迫するような真似はしない。


 今日一日会っただけで、嘘が下手なことはわかりきっている。


 それなのに、どうして断らずに答えを保留したのか。


 自分でも不思議だった。


 もしかしたら、同じ猫殺しと出会って共感してしまっているのかもしれない。


 他人に共感するなんて、ずっと前に諦めていたことなのに。


 河原を後にして、先ほどの明理の話を考えながら夜の街を歩いていた。


 その途中、夜の暗闇を背景として街灯の光に照らされて、電柱の張り紙が浮かび上がっているのが見えた。


 そこには『命に優しい社会を! ~人と猫が共生する街へ~』という文字と、デフォルメされた猫と人間が笑顔で手を繋いでいるイラストが印刷されている。この市が推進している動物共生社会を謳った張り紙だ。


 それを見て思わず俺は苦笑する。


 たった今、猫のせいで両親の命を失った少女の話を聞いたばかりだったから。



 その夜、高坂と別れた後、俺は自宅のベッドで眠りながら幼いころの夢を見た。


 初めての猫殺しが発覚して、小学校を転校させられた後、俺は母さんにある『教育』を受けていた。


 ある日のことだ。転校先の小学校から帰ると母さんがニコニコとした笑顔で待っていて部屋で俺に数枚のカードを見せた。


 それはボール紙を切って作った粗末なカードで、表面にはネットで拾った生き物の画像が貼られていた。


 母さんはそれらのカードを一枚ずつ見せて俺にこう聞くのだった。


『この生き物は殺してもいい? それともダメ?』


 俺はそのクイズに何の疑問もなく答えた。


『クモ』のカードを見せられ、『殺してもいい』と答えた。


『ガ』のカードを見せられ、『殺してもいい』と答えた。


『ゴキブリ』のカードを見せられ、『殺してもいい』と答えた。


『ヤモリ』のカードを見せられ、『殺してもいい』と答えた。


『ドブネズミ』のカードを見せられ、『殺してもいい』と答えた。


 俺が答えると、母さんは嬉しそうに笑ってくれた。


 母さんが嬉しそうだと俺も嬉しかった。


 そして、最後に母さんは『ネコ』のカードを俺に見せた。


 幼い俺は無邪気に『殺してもいい』と答えた。


 すると、母さんの顔から笑顔が消え、いきなり俺の顔をメチャクチャに殴りつけ始めた。


『どうして分からないの! 頑張って育ててきたのに! あなたがまともな人間になれるようにずっと頑張って育ててきたのに!』


 どうして母さんが怒っているのかわからないまま、幼い俺は顔が腫れあがるまでボコボコに殴られた。


 それから毎日そのカードのクイズを受けることになった。

 そのたびに母さんを激怒させ、殴られる日々を繰り返した。


 母さんの折檻で歯を数本折られたが、折られたのが乳歯でマシだったと今でも本気で思っている。


『おまえなんて、生まれてこなければよかったのに』


 やがて、それが母さんの口癖になっていった。


 そんな日々が終わったのは、父さんがエスカレートする母さんの折檻を見かねて母さんを精神病院にブチ込んだおかげだった。


 今も母さんの治療は続いていて、退院できていない。


 そして、俺が高校生になるころ、父さんは海外への転勤の話をこれ幸いと引き受け、家には俺一人が残されることになった。


 ――孤独だったのだろうか。


 家族からも友達からも見捨てられ、ずっと壁を作って生きて……。


 寂しかったのだろうか。


 自分ではそう思ったことはない。


 学校では猫殺しのことについて表に出すことはない。


 子供のころと違って知恵がついたおかげで、それなりに周囲と波風立てずに生活することができている。


 だけど、心の中で理解しあえる誰かを求めているのかもしれない。


 それは――否定できない。

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