第5話 予期せぬ遭遇


 その日、俺は家に帰った後、家の裏手にある空き地へと向かった。いつもそこには一台の捕獲器を設置している。


 見た目は横に細長い直方体の檻で、猫が一匹ほど入る大きさになっている。直方体の片方の端にエサを置き、もう片方の端は猫が入ってくる入り口として蓋を開けてある。そして、エサにつられた猫が捕獲器の奥へと入ると仕掛けが作動して入り口の蓋が閉じる仕組みだ。


 手作りといえど、品質は市販品に負けない自信があった。


 その証拠に今日もいい感じに捕獲器の中に一匹の野良猫が入っていた。


 身体の模様は黒と白の鉢割れ。


 けっこうな成猫のようで身体は大きく、こちらを威嚇してくる。捕獲器の上部に付けた取っ手を掴むと家へと向かう。


 捕獲器の中で鉢割れ猫が暴れて鳴き声を上げるが、気にしない。この鈴菜沢市には野良猫が多く、よく発情期の猫が盛っていたり喧嘩をしたりしている。


 とはいえ、長い間捕獲器の中で暴れられると金具が傷んでしまう。


 それだけを気にして、さっさと捕獲器を持ってガレージの中へと入った。


 ガレージといっても中には車はない。


 もともと十分車を停められる程度に庭が広く、車の手入れにさしてこだわりのなかった父さんは、わざわざガレージに入れることもなかった。父さんが海外に行った際に売り払われている。


 代わりに、ガレージの中には工具だとか脚立だとかの普段使わない道具が詰め込まれていた。つまりは一種の物置代わり。そして、今はもっぱら俺が猫を殺すための空間として使っている。


 俺は申し訳程度にガレージの照明を点灯し、シャッターを閉めた。


 これで外からは中で何が行われているかを知ることはできない。


 鉢割れの猫は捕獲箱の中でまだ「シャー、シャー」と激しく威嚇している。


 かなり元気が良い個体のようだった。


 本格的に痛めつける前にまず弱らせる必要がある。


 そう考えた俺はいったん庭へと出て、ガレージのすぐそばに設置された水まき用の蛇口に近づく。


 その近くにいつも置いてある大きなポリバケツに水を注ぐ。水でいっぱいになったポリバケツを持って、再びガレージの中へと入る。


 捕獲者の姿が見えた途端に鉢割れ猫は威嚇の鳴き声を上げる。


 いったん水で満杯のポリバケツを床に置くと、俺は捕獲器の取っ手を掴んで持ち上げる。


 そして、中の鉢割れ猫ごと捕獲器をポリバケツの中に突っ込んだ。


 水しぶきと共に、鉢割れ猫が激しい悲鳴を上げる。


 だが、捕獲器をポリバケツの底まで突っ込んでやると、中の鉢割れ猫も完全に水没して鳴き声が途切れた。


 溺死しない程度にたまに捕獲器を水面へと出してやり、鉢割れ猫を呼吸させる。


 それもほんの数秒程度のことで、すぐに水中へと押し込む。


 この作業を機械的に数十分ほど繰り返せば、猫も抵抗する気力を失うことだろう。


 さて、どうやって殺そう?


 考えながらガレージの隅の工具箱に目を移す。


 そこには工具だけでなく、ナイフやスタンガンといった猫殺し用の道具もまとめてある。


 昨夜は鈍器だったから、今度は刃物を使おうか。昼間、授業中に学校で考えた通りに。


 ――と、学校のことを考えた瞬間に高坂の顔が頭に浮かぶ。


 あのどこかズレた残念な留年生。


 髪飾りを拾ったときの憂いを帯びた表情。


 どうして彼女は公園に毒餌を置いていたのか。


 どうして猫殺しをしようとしているのか。 


 そんなことを考えているうちに、俺は小学生のころのことを思い出していた。


 初めて猫の死を見て、その光景に惹きつけられたことを。


 そして……その後、実際に自分の手で近所の仔猫を殺したことを。


 ――当時の俺は幼く、まだ知らなかった。


 世の中には殺してもいい命と殺してはいけない命の線引きがあることを。


 ゴミと同様に踏みつぶされる虫や草は殺してもよく。


 牛や豚や鶏は食べるために殺されることが許容され。


 そして、犬や猫は絶対に殺してはいけない。愛され、護られるべき存在だ。


 そんな、『まとも』な人間になら理解できる線引きがあることをまだ知らなかった。


 当然、俺の猫殺しは問題になった。俺は親しかった友達からも嫌悪の視線を向けられ、いじめを受けた。


 結果、転校を余儀なくされたのだった。


 数年前、父さんが高校生の俺一人を置いて、いとも簡単に海外への転勤を受け入れたのもその事件が無関係ではないだろう。


 母さんが今も精神病院に入院しているのは、考えるまでもなく俺のせいだ。


 俺は『まとも』な彼らにとって異物だった。


 こちらにとって、彼らの『命の境界線』が理解できなかったのと同様に。


 その手痛い失敗の経験で、俺は猫殺しの嗜好を他人に秘密にするだけの知恵を得たのだった。


 でも、高坂はどうだろう。


 俺と同じ猫殺しである高坂なら、理解しあえるだろうか。


 そんな淡い希望が俺の心に芽生え始めたときのことだった。


「……あっ!」


 ぼんやりと高坂のことを考えていた俺だったが、ふとバケツの中の鉢割れ猫が動かなくなっていることに気付いた。


 慌てて捕獲器を水から引き上げてみると、猫は全身の体毛を濡らしながらぐったりと脱力していた。


 目を確認してみたところ、完全に瞳孔が開ききっている。呼吸も完全に止まっている。触るだけでわかったが、鼓動も停止しているようだ。


「くそ、またミスった」


 悪態をつき、捕獲器を床に置いた。


 そして、仕方なしにガレージ内に用意しておいたゴミ袋を一つ取り、猫の死骸をその中に入れる。


 昨日からずいぶん調子が狂っている。


 それも全て高坂のせいに違いない。八つ当たりだとは自覚しつつも、苛立ちを高坂へと向けてしまう。



 その夜。


 俺は昨夜と同じく、殺した猫の死骸の入ったゴミ袋を自転車のカゴに乗せて夜の街を走っていた。


 公園の付近は昨日猫の死骸を置いたばかりなのであまり使いたくない。


 そもそも、雨も降っていないのに体毛の濡れた猫の死骸を道路に置いたらさすがに怪しむ人間もいろだろう。


 そう考えると川にでも死体を流すのが自然な処分方法だろう。


 そう結論づけて、近所の河へと自転車を走らせる。


 たまに河川敷で夜釣りをしている釣り人を見かけるが、今夜は人影は見当たらない。


 俺は安心して堤防に自転車を停め、河川敷へと下りていく。


 カゴの中のゴミ袋を手に取り、中から鉢割れ猫の溺死体を取り出した。


 そして、ちょうど猫の死骸を川へと投げ込もうとした、そのときのこと。


 シャッター音が響き、同時にフラッシュが背後から閃く。


 ――猫の死骸を持っているところを撮影された。


 そう直感し、反射的に背後を振りかえる。


 見ると、堤防にはダッフルコートに身を包んだ少女が立っていた。


 彼女はスマホの画面を見つめ、満足げに微笑んでいる。


「うん、よく撮れてるし。尾行をしたかいがあったって感じ」


 そこに立っていたのは高坂を見て、全身から力が抜けるのを感じる。


「……何やってんだ、高坂?」


「何って、見ての通りきみの弱みを握ったの。いや~、まさかとは思ってたけど、きみも私と同じ猫殺しだなんてね」


「尾行とか言ったな? いつからだ?」


「下校してからずっと。ガレージの中で何かやってるところから見てたよ」


「……とんでもなく根気強い奴だな」


「それほどでもないし」


 得意げなその声は弾んでいて、今にも小躍りしそうなほどだった。


 呆れながらも、とっとと手に持った猫の死骸を川の中へと投げ込んだ。高坂に構っている間に別の通行人に見られでもしたら、冗談にもならない。


 ドボン、という大きな水音を聞いてから振り返り高坂のもとへと歩いていく。


「スマホ渡せ。画像削除するから」


「嫌だし。これで私もきみも、お互いに弱みを握ったってことでイーブンでしょ?」


「……だから、何もしなくてもおまえの秘密をバラすつもりはないってのに」


「どうだか。昼間も言ったけど、見返りなしっていうのが一番怪しいんだから。大人しく私の胸を触っとけばよかったのにね」


「そんなに胸触ってほしいのか……おまえ、まさか痴女か?」


「ちっ、違うし! ただお互いに弱みを握りあった方がバランスがいいってだけで……!」


 高坂は赤面して必死に否定する。


 妙なところで羞恥心はあるみたいだった。


「まったく……まあ、知られたものは仕方ない。これでわかっただろ? 俺はおまえの秘密をバラすことはない。何故なら俺も猫殺しだからだ」


「うん。もしもきみが秘密をしゃべったら、この画像を証拠にして、きみが猫殺しだってことバラしちゃうからね」


「ああ。で、それで終わりだろ。俺も秘密にする。おまえも秘密にする。おまえが言った通りそれでイーブン。トラブルはなし。ということで、じゃあな」


 そう言って、堤防から立ち去ろうとする。


 だが、そのとき俺の手を高坂が掴んだ。


「ちょ、ちょっと待って! まだ話は終わってないし!」


「何だよ? まだ何か――」


 振り向いたそのとき、思わず息を飲んだ。


 俺を見つめる高坂の目はどこか不安げに潤んでいて、俺をまっすぐに見つめていた。


 まるで助けを請うかのように。


「えっとさ。私たち二人、猫殺しが出会ったのって、奇遇だと思わない?」


「いや、どうだろうな」


「奇遇だよ! 何ていうか、運命の出会いって感じ?」


「まあ、そう言えなくもないかもな」


 高坂の目から逃れるように眼を逸らしながら適当に相槌を打つ。


「だからさ。奇遇ついでに、きみにお願いしたいことがあるんだけど。きみにしか頼めないことなんだけど。聞いてくれる?」


「聞くくらいならいいけど」


 手を掴んでいる高坂の体温を肌に感じる。


 何だかひどく居心地が悪かった。


 だが、不思議と嫌な気分はしなかった。


 ずっと他人に対して壁を作っていた。


 嫌われないように、自分の秘密を知られないように。


 ここまで近くに他人を踏み入れさせたのは、初めてかもしれない。


 内心戸惑いながら、高坂の次の言葉を待った。


「私、ある猫をずっと探してるの。でも、今まで見つからなくて。きみにも協力してほしいんだ」


「ある猫?」


 聞き返すと、高坂はこくりと頷く。


「私の両親の交通事故。その原因になった猫。そいつを探し出して、殺したいの。復讐のために」


 月明かりが降り注ぐ川沿いの堤防で、高坂は決然とした表情でそう言ったのだった。

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