今さら自分だけが、安全な場所で事が終わるのを待つのは、どう考えても違う気がする。わたしは当事者のはずだ。まだ何も分からないし知らされていない。自ら望んだという、キィの役回りも不明なままでは心配だ。


 応急手当を受け、病院へと運ばれるユリカを見送り、私はキィと共に宗也そうやさんの運転する車に乗り込んだ。車は水天宮すいてんぐうへ向かっている。


「君が見た、海に住む者たち――僕達は深きものと呼んでいるが、彼らにも信仰があってね。海の底でずっと眠り続けている、彼らの創造主をあがめている」


 後続の車は途中で見えなくなった。黒塗りのワゴン車の行き先は別のようだ。スモークガラスの向こうはうかがえなかったが、巫女や黒人が乗り込むさい、洋画で見る特殊部隊の様な装備の男達が、中に数人座っているのが見えた。


「人やイルカや魚とも交配できるから、様々な見た目をしている。彼らの中にも派閥があって、神様が眠り続けてくれるよう、うたを捧げる穏やかな者たちと、創造主が目覚めれば自分たちの欲望の全てを叶えてくれると信じ、その目覚めを心待ちにしている者の両方がいる。不思議なことに、人の姿から遠い者達は穏やかなものが多く、人に近い者は欲望に忠実なようだ。それが人の本性さがに近いからって話もあるけど、僕は信じたくないな」


 宗也さんは異形の姿の存在をまつ祭祀さいしの話ではなく、異形の存在自身の信仰の話を始めた。彼が魚人を目にしても、さほど驚きを示さなかったのは、あらかじめその存在を知っていたからだと理解できたが、わたしはは思わぬ話に少なからず混乱する。


「拝島は人に取り入るのに長けた男でね。存在とも繋がりがある。さっき君達を襲ったヴァンイップもその誰かからのたまわり物だろう。元来、僕達の組織の情報部の人間だったけど、深きものどもの穏健派と過激派、その動きを調べる僕達の組織の間を泳ぎまわり、いさかいを起こしては自分の地位と財産を築いていった。2重3重スパイであることは解っていたし、お互いに騙し騙されつつ利用し合うような関係だったが、今回ばかりはさすがにやり過ぎだと判断されたようだね」


 何だろう。すごく不穏で現実味のない世界の話を聞かされているのに、その内容が全てがすとんとに落ちる。それはこの夜、わたしが自分の目で見てきた物のせいか、それとも夜の闇の深さのせいか。


秘宮ひめみや拝島はいじま祭祀さいしの違いの話って……」


 宗也さんの話を聞いているうち、ふと思い当たった。それは海に住むものたちの、穏健派と過激派の話に相似形そうじけいに当てまる。穏やかな表情のままの宗也さんは何も答えなかったが、答えは聞くまでもなかった。


 海で失踪し、死体も上がらなかった秘宮のおばあちゃん。異形の存在をまつる拝島――それじゃあ、いったい私は何者なんだろう。


 水天宮のやしろに続く石段の前で車は停まった。外が騒がしい。争う声や銃声のような物まで響いてくる。この頑丈な車のなかから、再び夜の闇に出るのは不安だったが、知らないままで終わる訳にはいかない。


「遅かったな郁海。そろそろ準備を始めるよ」


 境内で待っていたらしい拝島伯父が、石段の上で、騒ぎに気付かないようにわたしを出迎える。当たり前だが、わたしにはもう祭祀に参加する気はさらさら無い。宗也さんの隣で動かない私に苦笑して見せると、伯父は取り巻きにあごで指図する。


「拝島さん。来て貰うのはあなたの方ですよ」


 宗也さんの構えた拳銃に、男達の動きが止まる。植え込みに潜んでいたらしい男が宗也さんに飛びかかった。わたしが気付かないほど速く間合いを詰めたキィは、回し蹴りで男を叩き伏せる。石畳に倒れ付す男は、魚の顔を持っていた。もう拝島伯父は隠す気もないらしい。


「キィ。好きにしていいよ」


 優しげな微笑を浮かべたまま宗也さんが告げると、キィはわずかに頷き、無言のまま石段を駆け上った。迎える男達は銃や刃物を構える。すぐに乱戦が始まった。


「マキシ達も気が早いからなあ。こっちに合わせず始めるんだから」


 わたしは宗也さんの先導で、摂社せっしゃの陰に駆け込んだ。銃を片手にぼやいているが、このひと本当に撃てるんだろうか?

 拘束着の少女は独楽のように動き回り、脚技だけで男達を倒してゆく。相変わらずの無表情ながら、どこか楽しげな気配さえ感じる。相手は銃や刃物を持っているのに、ハラハラさせられることさえない。


「……あんなに強いなら、どうして浜辺では抵抗しなかったのかな?」

「誰も指示をしなかったからだろうね。勝手に車から抜け出したのは驚いたけど、深みのもの程度じゃ、初めからキィをどうこう出来るはずがないし」

「でもその……いやらしいことは……されてたけど?」


 目を逸らしながらのわたしの問いに、宗也さんは眉を上げ、肩をすくめてみせた。


「キィにしてみれば、犬がじゃれ付いている程度の認識さえなかったのかもね。やっぱり女の子相手に性教育は難しい。僕の教育のいたらない部分だね。魚人たちがっていたのは、今夜がまつりであることと、つがえば強いを得られると、本能的に悟ったからじゃないかな?」


 あれは半分以上この人の責任か。思わず半眼で見てしまうも、同時に尋常じゃないキィの身体能力も理解する。


 もりの中から響く悲鳴に目を向けると、木立の中に妖艶ようえんな巫女の姿が見えた。彼女の前で、ばたつく男の下半身が中空の見えない何かに飲み込まれて行く。味方なんだろうけど、あまり見ないほうが良さそうだ。


たまきさんもえげつないな。でも、ここはもう任せていいか」


 拝島伯父は本殿ほんでんの陰に避難したあと、これ見よがしに姿を晒し、扉を開け中に消えた。


「どうやら誘われているみたいだね」


 銃を構えたまま身を低くして走る宗也さんのあとに続く。中をうかがうと、床板ががされ、地下へ続く階段が見えた。



https://kakuyomu.jp/works/1177354054884676877/episodes/1177354054884680999

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