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「こんなのが隠してあったんだあ……」


 木製の階段はやがて石段に代わり、気付くと私たちは地下の洞窟を進んでいた。途中何度か物陰からの不意打ちを受けたが、追い付いたキィが危なげなく対処した。どれだけ下ったのか。潮の香りがただよい、足元を波が洗っている。ここが出口らしい。


 怖い。


 覚えていないが、過去に溺れかけた経験でもあるんだろうか。海の水に足をけるのさえ怖い。わたしが躊躇ためらっていると、宗也さんはひょいと抱きかかえて運んでくれた。


「あ、ありがとう」


 両手も使えないキィは、ひょいひょいと身軽に岩を渡っている。わたしだけ足手まといで恥ずかしい。月明かりが差し込むなか、ひょろりとした宗也さんの膂力りょりょくを信頼しきれないわたしは、固く目を閉じ強くしがみついた。


「もう大丈夫だよ」


 岩場に下ろして貰い、改めて周囲を見回すと、古いやしろに続く崖が見える。ここに出るのか。洞窟の出口は見つかりにくいよう隠されていたが、海で泳いで遊ぶことのなかったわたしには、絶対見付けられなかっただろう。


 浜辺では特殊部隊めいた装備の男達が、銃やナイフで海から上がって来る魚人と争っている。黒塗りのワゴン車の一行は、崖沿いの小道を伝い鎮守の森から仕掛けていたらしい。


 男達はゴーグルとマスクで顔をおおい、素顔をさらすものはない。そんな中、指揮でもしているつもりなのか、場違いなアフロの黒人は、幾つもの金の指輪をめた指で、ラッパーだかDJのような動きをしている。


「あの人は、何をしているのかな……?」

「ああ見えてマキシは、有能なブードゥーの司祭だからね」

「ブードゥー?」


 わたしの心からの疑問に、宗也さんは微笑みながら応える。

 そのうち、奇妙な事に気が付いた。魚人の鉤爪かぎづめで深く切り裂かれても、黒いアーミージャケットの男は倒れない。それどころか、腕が関節とは逆に折れ曲がっている者も、器用にナイフを振るい戦闘を続けている。驚いた事に、胸を刺され倒れた魚人が、別の魚人に襲い掛かるのまでを目にした。


「ここはマキシに任せておいたほうがいいか。僕達は拝島の身柄を――」


 宗也さんが言い終わる前に、キィは身軽に岩場を跳ぶと、乱戦に斬り込んで行った。

 浜辺の状況は予定外だったのか。拝島伯父は乱戦のなかを突っ切ることも、悲鳴が響く崖の小道を登ることもできず、辺りをせわしなく見回している。


 魚人たちはキィに吸い寄せられるように集まってくる。人間相手に見せた手加減は無いのか、ブーツに刃物を仕込んでいたのか。上体を拘束されたままのキィが舞う度に、血飛沫がかれる。


 白いエナメルに月光が反射し、細い脚がしなやかに振るわれる度、虹色の軌跡を描く。群がる魚人たちは手を伸ばすも、少女一人の動きを止めることさえ叶わない。灯火に焼かれる羽虫のように、ただ無為に命を散らされる為だけに海からい上がって来る。


「郁海!! 無事か!?」


 呼び声に顔を向けると、崖の小道を海斗が駆け下りて来るのが見えた。

 それを見た拝島伯父の表情に余裕が戻る。

 嫌な予感がする。


「奴らは郁海を捕獲しに来た連中だ。手段を選ばない非合法組織だよ!」


 海斗の目が私に寄り添う宗也さんに留まる。


「違う。海斗、この人たちは――」


 どこまで事情を知っているか分からない幼馴染おさななじみに対し、わたしが言いよどんだ隙に。拝島はポケットから取り出した無針注射を、海斗の首筋に打ち込んだ。


「何しやがる!」

「私からの最後の親心だよ。ここで負ければ全てを失う。を見せてくれ」

「言われなくても!!」


 首筋を抑えた海斗がわたし達に向き直り、直後岩場を蹴って後方に跳ぶ。海斗のいた場所を蹴り砕いたキィは、反応出来ずに岩場に張り付く拝島を無視し、そのまま岩場を跳び海斗の後を追う。


 岩を蹴り砕くキィの力にも驚いたが、それに反応しかわした海斗も尋常ではない。父親である拝島に打たれた薬物の影響か。

 両腕の自由を奪われたままなのに、次第にキィの動きが速くなる。体格では海斗が勝るが、拳主体の海斗の攻めより、キィの蹴りの方がなお速い。


「薬が抜けてきたみたいだね。キィが自分から戦う相手を選ぶのは初めて見た」

「あのぼんやりした様子は、やっぱり薬で……」

「ああ。あれでもまだキィの全力には程遠いよ」


 罪悪感の欠片も見せない宗也さん。我が子に薬を打って戦わせる拝島伯父と、どれほどの違いがあるのか。わたしには分からなくなってきた。


 キィの蹴りがその胴を蹴り抜いたかと見えた一瞬。左腕でキィの片脚を抱き込み封じた海斗は、右の拳でキィを打ち抜く。岩盤に叩き付けられた次の瞬間蹴り上げられるキィの身体。浜辺で争い続ける魚人や屍人達を吹き飛ばしながら、球技でもするかのように一方的な攻撃が始まった。


「駄目! 海斗、もう止めてあげて!!」


 拳を振るい続ける海斗の表情が獣じみてきた。額には血管が浮き出し、血走った眼は瞬きもせず獲物キィにらみ続ける。圧倒的に優位に攻撃しているはずのその顔には、焦りの影が見え始めた。


 キィの表情は変わらない。けれど、その瞳は何度吹き飛ばされても、機械的に海斗に向けられている。


 ――海斗が攻撃し続けているんじゃない。んだ。


 その事実に思い当たり、全身に悪寒が走った。

 海斗自身もとっくに気付いているはず。拳を止めた瞬間、自分に降りかかる運命を予感して。いまや海斗の表情は、はっきりと恐怖と認識できるまでゆがんでいる。


「もう止めて!!」


 再びわたしの口をついて出た制止の懇願こんがんは、いったいどちらに対する物だったのか。


 振り抜いた海斗の渾身の左正拳の上に、キィがまった。

 驚愕を振り払い、海斗が右の拳を振るう前に、少女は空を舞う。

 月に照らされ虹色に輝くその滑らかなシルエットは、官能的にすら思えた。


「海斗!!」


 少女の踵落としと少年の正拳突きが交差する。


「郁海……」


 振り返り、わたしに手を伸ばす顔が、泣き笑いの形で歪んでいる。

 縦に二分された幼馴染おさななじみが崩れ落ちる寸前。

 十年前から彼に抱いていた感情が、初恋と呼ばれるものだったと。

 遅まきながらわたしは気付かされた。


「嫌ぁぁぁぁぁぁッ!!?」



https://kakuyomu.jp/works/1177354054884676877/episodes/1177354054884681060

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