~~~

 意識を取り戻すと、あたりに無数の魚人たちの死体が転がっていた。

 どれも巨大な刃物で切り裂かれたれたように、切断面をさらしている。

 胃の中のものを全て戻し、わたしは状況を思い出した。


         §


 突如とつじょ虹色の光が空間を裂き、白い拘束着の少女が、魚人の群れのまっただ中現れた。光は空間の裂け目からあふれるだけでなく、少女を縛るエナメル革自体が輝いているようにも見えた。


「……キィ?」


 わたしだけでなく、海斗や魚人達までもがその神秘的な光景に目を奪われ動きを止めている。キィはまどろむように半ばまぶたを閉ざしたまま。右脚を頭に着くほど高く上げ、ちゅうから落ちる動きのまま、魚人の一体にブーツのかかとを振り下ろす。


 重さを感じさせない動きで、ふわりと夜道に降り立つキィの前で、魚人は滑らかな断面を晒し、縦に二つに裂け崩れ落ちた。遅れて吹き出す返り血が拘束着を赤く染めるのにも構わず、固く上体を拘束されたままの少女は、機械的に殺戮さつりくを開始した。


 我に返った魚人達は恐れる様子も見せず、憑かれたようにキィに群がってゆく。彼女には魚人を惹きつける何かがあるのだろうか。跳びかかる無数の魚人も、キィの歩みを遅らせることすら叶わない。


 白い拘束着が舞い、黒髪が流れるたび、切断された手足と赤い血が巻き散らかされる。それでも脚だけで立ち回るキィひとりを相手に、ただ無為むいに命を散らされる為だけに寄り集まってくる。自ら灯火に焼かれる羽虫のように。


         §


「大丈夫か?」

「ん……へいき」


 わたしにしかかっていた魚人を蹴り飛ばし、海斗が助け起こしてくれる。

 キィの登場でわたしや海斗に向かって来る魚人の数は減ったが、それでも囲みを抜けることは容易ではない。海斗にかばわれながら口元をぬぐい、一方的な殺戮さつりくを繰り広げるキィを見る。


「あの子……いったい何なのかな?」


 月の光をエナメルの光沢が反射しているのか。しなやかに振るわれるキィの脚は虹色の軌跡を描く。ふと、彼女の目がじっとわたしを見ているのに気付いた。魚人を解体しながら徐々に、だが確実に近づいてくる。


 キィの半眼と視線を交わすうち、おぼろな予感が確信に変わった。

 彼女はわたしを救い出しに来たんじゃあない。

 わたしを終わらせる為に現れたんだ。

 そのことに気付いてしまったわたしは、引きつった顔でうつろな笑いをもらす他ない。


「海斗!」


 疲れ切っているはずの海斗は、目の前の魚人を叩き伏せると、荒い息を吐きながら、歩み寄る拘束着の少女と対峙たいじした。

 虹をまとうキィの脚は、触れただけで相手を切り裂く。乱入する魚人を肉片に変えながら、徐々じょじょに海斗を追い詰めてゆく。


「郁海……」


 浜辺からわたしを呼ぶ声がする。魚人に襲われたのか、傷だらけになったおばあちゃんが、うながすように海へ顔を向ける。


 そうだ。

 覚えている。

 思い出した。

 一歩海に踏み込めば変われる。

 すべてを変える事ができる。


 おなかを空かせて食べたい物を我慢することも、行きたい場所をむなしく夢想し、ただあきらめることも、野卑やひ粗暴そぼうな男達のいやらしい目におびえることもない。もうびへつらう笑みを浮かべる必要もない。


 磯臭いそくさくて息苦しい町からも、わずわしい親族からも解放される。数少ない親友とも、友達だと思っていた少女とも、小犬のように付きしたってくれた、年下の幼馴染おさななじみとも。


「どうしようもなく嫌な事ばかりだったけど、それでも無くしたくない物はあったんだよ!」


 真横に振り抜かれようとしていたキィの蹴りが止まる。

 とっくに立てなくなっていた海斗がくず折れた。

 キィが止めていなければ、その身体は両断されていただろう。


「…………」


 不思議そうに。

 初めて表情らしいものを見せ、キィの瞳がわたしを映す。

 その表情を穏やかな微笑びしょうから歓喜かんきへ、直ぐに狂喜きょうきとしか表現しようのないものへ変えてゆく。


「ふ……ふふ……あはははははははははは!!!! ッ!!」


 あふれる哄笑こうしょうを、わたしは殺意を向けで強制的に中断させる。

 額に銃撃を受けたようにその面を天に向けていたキィは、ゆっくりと顔を下ろした。


「せっかく遊びに来てくれたのに、遅くなってごめんね」


 キィの頭頂とうちょうに虹色の光輪こうりんが輝き、滑り落ちながら彼女の髪を偽りの色を洗い落としてゆく。

 月の光に照らされるその髪は白く、見開かれた瞳は真紅へといろを変えていた。


 夢の中だけのともだち。

 わたしが覚えていなくても、彼女はちゃんと約束を叶えに来てくれたんだ。

 本来スペアとして眠っていなければならない身だ。おかあさんが知ったら怒るかもしれないが、わざわざ会いに来てくれたともだちの好意を無下むげにはできない。


 海風に揺れる純白の髪は、わたしの眷属けんぞく達の血に染まり、桜色に色付いている。


 どろりと。

 髪の間から流れ落ちる血が、青白い肌をいろどる。わたしの殺意の波動を受け、今夜初めてキィが流した彼女自身の血だ。


「似合ってるよ。そっちの方がぜんぜん綺麗だ」


 お世辞ではなく、心の底からそう思った。

 たった一人でこの大いなるものの娘クティーラの前に立つだけの事はある。ぶつけた殺意も大したダメージになっていないようだ。


 頭の傷は、虹色の光からのぞく超微細な触腕の群れがい留めてしまったのか。もはや治療ではない、修繕しゅうぜんだ。人間なら、頭蓋ずがいの中身は原型を留めてさえいないはずだから。ヒトの形をしているが、やはりこのの中身は全くの別物だ。


 間合いの外から蹴りが放たれる。刹那せつなだけ強制的に開いた門を刃としているのか。次元の断層が見えない者なら、かわすことも受けることも出来ずに断ち切られていただろう。ただの物体なら切れない物はない刃だが、わたし星辰体せいしんたい霊体れいたいまで届く力は持っているのか。


 キィは止まらず独楽こまのように回転し斬撃ざんげきを繰り出してくる。


「こんなものなの?」


 強力な攻撃だが芸がない。そろそろ反撃に移ろうとしたその時、一撃目のフェイクの後に隠された二撃目で胴を両断された。


 油断した。うつわが貧弱なせいだと、愚痴ぐちりかけて考えを改める。キィも両腕を封印されている。恐らくそちらのほうがあのの本質。ハンデ持ちなのはお互い様だ。


 霊体まで届く傷ではなかったが、ちょう腹腔ふくこうからはみ出している。収めるには相当な圧力が必要だが、それをしている余裕はないだろう。切り離してから再構成すればいい。いや、いっそこれを武器に作り変えて――


 久し振りの楽しみに湧き立つわたしの目に、ふと先ほどキィに倒された若い眷属けんぞくの絶望的な表情が映る。


 なんだ?

 見詰めているのは断たれたわたしの下半身か。

 うつわが見ていた夢の情景が脳裏を過ぎり、わずかに混乱する。

 子供、か……。

 わたしが眷属けんぞくとの間にを成すことなどありえない。

 それでも、たわむれに落としを作ってやっても良かったか――


 逡巡しゅんじゅん刹那せつなだったが、キィ相手では充分すぎるほどの隙だったようだ。虹色の光に脳を縦に両断される感覚を最後に、わたしの意識は闇に落ちた。



https://kakuyomu.jp/works/1177354054884676877/episodes/1177354054884680139


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