抵抗しないのを合意と取られたのか。海斗は胸に置いたままの手でしだき始める。


「ちょ、ちょっとまった。こんなことしてる場合なの?」


 わたしの抗議は聞き流され、そのまま押し倒されてしまう。


「大丈夫……大丈夫、俺が守るから」


 震え声で繰り返される言葉を耳にし力が抜ける。

 そうだ。海斗が来てくれなきゃ、あのままたわむれに犯されていたんだ。汚らわしい男達に、カルト紛いの祭祀さいしの道具にされるのに比べれば、海斗の方がずっと良い。いや、初めては海斗としたい。


 思い描いてのとはまるで違い、初めての経験はちっともロマンチックなものじゃなかった。キスでは歯をぶつけるし、着たばかりのワンピースをしわだらけにされるし。海斗の稚拙ちせつな愛撫あいぶは乱暴すぎるかくすぐったいばかりで、正直美魚のほうがよっぽどわたしの弱いところを心得ていた。


 それでも、わたしをよろこばせようとする気持ちだけは伝わってくる。余裕のないつたない手付きも嬉しくて。無心に快楽を貪る姿が愛おしくて。中で果てた海斗の髪をで、わたしはそっと耳元に口付けた。


 繋がったまま2回目を始めようとする海斗を引きがし、手早く身を整えたわたし達は、ふたたび夜の町に駆け出した。


         §


 隣町へ出るには、県道を行き橋を越えたほうが早いが、みさきを一回りして山の反対側へ向かうルートを選択した。

 子供だましだが、2人で力を合わせれば何とかなりそうな気がする。夜道を駆け続け、わたしが疲れたそぶりを見せると、海斗は気遣いすぐに足を止めてくれる。


「もうお姫様抱っこはしてくれないの?」

「ば……馬鹿いうな」


 両腕を差し出すと、海斗は赤くなってそっぽを向いた。もっと恥ずかしいことを済ませたばかりなのに。もっとも、わたしも海斗に頼り切るになるつもりはない。

 人家の灯りが遠くなり、海と山の狭間はざまを抜けるさみしい通りに差し掛かったとき、不意に懐かしい声を聞いた。


「……おばあちゃん?」


 気のせいかと辺りを見回すと、月明かりに照らされる波間に、何かが浮かんでいるのが見えた。


 魚人?


 海斗にかばわれた背中越しに見ると、海亀うみがめかあざらしのように見えるは、浜辺へとい上がってきた。


郁海いくみ、行っちゃいけないよ。戻っておいで」

「おばあちゃん!?」


 声を発していたのはその生き物だった。海獣かいじゅうの身体に、しわだらけの老婆の顔。

 人の顔を持つは、わたしに懐かしいおばあちゃんの声で語りかけた。


うたい巫女がいまさら何の用だ! 汐入媛しおいりひめもとっくに殺されたのに、いまさらお前らに何が出来る!」

「郁海……」


 汐入媛?

 おばあちゃんの顔をした海獣は、叫ぶ海斗には構わずわたしに呼びかけ続ける。偽物でも化物でもない。本物のおばあちゃんの優しいその声に、わたしは怖さなど微塵みじんも感じなかった。

 懐かしさが胸にあふれ、駆け寄って縋り付きたくなった。でも、それはできない。泣き出しそうになるのをぐっとこらえ、わたしは笑顔で応えた。


「ごめんね、おばあちゃん。もう海斗と行くって決めたの。連れ出して貰うんじゃあない。自分の足で一緒に歩いて行きたい」


 長い沈黙のあと、おばあちゃんは異形いぎょうの身体から伸びる懐かしい顔に、少しだけ寂しそうな微笑みを浮かべた。


「可愛い郁海。幸せにおなり」


 海面に幾つもの頭が浮かび上がる。今度こそ開きっぱなしの目を持つ魚顔の群れだ。


「海斗!!」


 魚人達は浜辺に上がったおばあちゃんに構わず、わたし達を取り囲むように次々と道に跳ね上がってくる。


「悠長に構えすぎたか」


 海斗は山側の壁にわたしをかばい構えを取る。魚人の力は人とそれほど変わらないようだけど、いかんせん数が多すぎる。恐れを顔に出してしまったわたしに振り向き、海斗は笑って見せた。


「心配すんな。俺の子をはらんでくれた女神がいるのに、負ける訳がないだろ!」

「ちょ、……はらんでないよう!!」


 海斗の軽口に、状況をわきまえず叫んでしまう。

 雰囲気に流されて中に出させてしまったが、今日は安全日だったか?

 不安になりそっと下腹部に触れてみるも、何が分かるはずもない。


 目だけでわたしに合図を送ると、海斗は魚人の群れに跳び込んで行った。

 遅れないよう必死に後を追う。


 おばあちゃんの歌声が聞こえる。

 月明りに照らされた海面に、人の形をしたものと人の形でないものが争っているのが見える。

 わたし達を応援してくれるのは、おばあちゃんだけじゃないようだ。


 水掻みずかきを持つ手に何度もつかまり、何度も引き倒されそうになるたび、海斗が助け起こしてくれる。

 海斗は何体もの魚人を倒しているが、まだ数メートルだって進めていない。


「ごめん海斗。やっぱり無理かも……」


 足をつかまれ転ばされ、ぬめる生臭い身体にしかかられたとき。

 不意に辺り一面、虹色の光に包まれた。


         §


 目立ってきたお腹を撫なでながら彼の帰りを待っている。

 まだ働けるって言ったのに、海斗はかたくなに反対した。

 部屋の中でひとり封筒折りの内職を続ける。

 ユリカのおばさんに紹介して貰ったこの部屋は格安だけど、

 この子が生まれたら海斗ひとりの稼ぎじゃ心配だ。


 窓からは霧におおわれた海が見える。

 霧の中に立つ大きなものの気配がする。

 わたしを赤い一つの目で見つめるのを、

 気付かない振りでやり過ごす。


 おかあさんになるってどんな気持ちだろう。

 この子にどんな名前を付けてあげようか。

 そう、たとえば――


 生まれてくる我が子をおもい、

 つつましくも幸せな日々を送る。


 そんな夢を見た。


         §



https://kakuyomu.jp/works/1177354054884676877/episodes/1177354054884680135



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