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「どうして本宮ほんみやに出ちゃいけないのよう?」


 ドライヤーを使うことも止められたので、洗い髪のまま海斗かいとに問いかける。みゅうみゅうが着替えを持ってきてくれるまでのつもりで海斗のシャツを借りたが、やはり胸元が気になる。海斗の視線をさえぎるため、キィを抱くような形で前に座らせた。


 浜辺での出来事は全て海斗に話してある。キィを襲っていたのが魚の顔を持つ男達だということだけはぼかしたまま。その一点だけで、話の全てを信じて貰えなくなるかもしれないと考えたからだ。


水天宮すいてんぐうの祭神くらいは知ってるよな?」


 キィに心底邪魔そうな一瞥いちべつをくれながら海斗が問いを返す。

 おばあちゃんからは水天様としか聞いていなかったが、これでも祭祀さいしに参加するために少しは勉強した。確か、天御中主神あめのみなかぬし様で、入水じゅすいした安徳天皇あんとくてんのうだとも聞かされた。


神仏習合しんぶつしゅうごうしていたころの、水天の使いの絵を見た事は?」

「あの、あんまり怖くない竜の絵でしょ?」


 何度か見たことがある。水神様の使いの竜だからか、ひれを持ち、深海魚のリュウグウノツカイの様な姿で描かれていた。素朴そぼく筆遣ふでづかいのせいか、顔が笑った人間の物のように見えたのを覚えている。


「もともと汐入しおいりで信仰されていたのは、その使いのほうだ」


 それは驚くほどの話ではない。昔から信仰されていた土着の神様が習合しゅうごうされるのはままある事だ。わたしが知らなかっただけで、秘密に類する事柄でもないはずだ。海斗の話の意図が見えない。


「それがどうだっていうの?」

「本宮は古い神のための祭りだ。行けば隠された人でないものと関わる事になる」


 じわりと。

 背筋に寒気を感じた。


 魚人のことは海斗には話していない。魚の顔をした男たち。人の顔をした魚の神さま。海でいなくなったおばあちゃん――海斗がほのめかしているのは、古い儀式が人倫じんりんを無視したものだということだろうか。それとも文字通り、異形の者達による異形の神のためのうたげが受け継がれているとでも言うのか。


 不吉な想像にめまいにも似た感覚に囚われるわたしを、ドアをノックする音が現実に引き戻した。

 海斗が殺気めいた視線を投げる。


「だいじょうぶ、美魚ちゃんだよ。私がさっき着替えを頼んだから」


 薄暗い部屋に充満した、異様な空気を払ってくれたことに感謝しながら、私はノブに手を掛けた。


「馬鹿、開けるな!」


 ドアの外には、申し訳無さそうな顔をした美魚が、巫女装束を手に立っている。


「なんだ、部屋を暗くして。仲の良いのは結構なことだが、神事しんじの前には控えてくれよ」


 後ろに立っていたスーツ姿の男が、宮司と数人の男達を引き連れ、美魚を押しのけ無遠慮に部屋の中に踏み込んできた。

 拝島はいじま勇魚いさお。海斗と美魚の父親であり、わたしの伯父にあたる男だ。


 貿易で財を成したとも鉱山主だとも言われるが、ほとんど汐入しおいりに留まらない彼の生業なりわいをわたしは知らない。わたしが5つか6つの頃に、男やもめで海斗と美魚を連れこの町に現れ、わずかの間に町の名士に成り上がった。おばあちゃんのいなくなった後、傍系ぼうけいで性格にやや難のある今の宮司を職に付かせたのも、伯父の差金さしがねだという噂だ。


「美魚から聞いたよ。着替えが必要なんだってね。少し早いがちょうど良い。このまま準備を始めようか」


 軽妙な口調でもおどけるように言ってのける。口髭くちひげをたくわえ髪を撫で付け、物腰も紳士全としているが、傲岸ごうがんで冷酷な性格は鋭い目つきや言葉の端々からにじみ出ている。


郁海いくみは本宮には出ない」


 唸るような海斗の拒絶は、拝島伯父に一瞥いちべつさえされず黙殺される。身体が大きくなろうと空手を習おうと、未だ父親へのおそれは拭えないのか。かすかに震える語尾を隠し切れていない。海斗の虚勢きょせいは最初から見透かされている。


 養って貰っている身だとはいえ、わたしもこの人が苦手だ――いや、正直に言えば恐れている。


 祭祀さいしの勉強を始めたばかりの頃、拝島宮司ぐうじ所作しょさの指導と称してわたしの身体を触ったり、着付けの場にまで立ち会っていた。宮司の下劣な振る舞いは以前から噂されていたが、伯父の言いつけに逆らうことはできず、羞恥から告げ口めいたこともできずに我慢していた。


 どこからかそのことを伝え聞いたのだろう。ある日わたしを呼び付けた拝島伯父は、目の前で宮司の指をし折りながら笑顔で告げた。『ほら、これでもう郁海いくみに触れない。余計なことに気を取られず、神職の勉強に励むんだよ』


 その日からわたしへの劣情れつじょうまみれのいやがらせは無くなったが、同時に巫女になることを拒める空気も無くなってしまった。宮司に対する制裁せいさいだけではなく、私に対する威圧いあつも忘れない。狡猾こうかつ苛烈かれつな伯父らしいやり口だ。


「おや……こちらのお嬢さんは?」


 取り巻きに明かりを点けさせ、拘束着こうそくぎの少女の姿を認めると、わずかに考えるそぶりを見せる。

 芝居がかった仕草の伯父の後ろで、宮司や取り巻きの男達が息を荒げ、まばたきの無い血走った目で少女に見入っているのに気付いた。


 月に照らされる浜辺での光景が脳裏をよぎり、ぞっとしてわたしはキィを抱き寄せる。拝島伯父を睨み付けていた海斗は、キィに目をやり言い放った。


「こいつを連れて行け。代わりくらいにはなるだろう?」

「海斗!?」


 海斗の言葉の意図するところを悟り愕然がくぜんとする。

 私の代わりにキィを差し出すつもり!?

 海斗は、見ず知らずの少女を犠牲にしなければならないほどの危険が、本宮に参加するわたしに降りかかると考えているらしい。


「それはそれ、これはこれだ。何年も前から決めていたこと。そう簡単にくつがえすす訳にはいかんだろう?」

「めんどくせぇ……あんたら全員始末して、俺が郁海いくみを手に入れても良いんだぞ!?」


 海斗はキィをかばうわたしと拝島伯父の間に割って入る。


「出来るのか、お前に?」


 あざけるように問う拝島伯父。体格に勝る海斗と対峙たいじしても、焦りや怯えの色は微塵みじんも見せない。逆に父親の言葉通り、威圧いあつされ脂汗を浮かべているのは息子のほうだ。


晦冥かいめい様をお迎えするまでに、郁海には最初にお前の子をはらんで貰うと言ってるだろう。何が不満なんだ?」

「郁海は俺の……俺だけの女だ!!」


 何これ、これが告白なの……?

 海斗から気持ちを伝えられたことは今の今まで一度だって無い。

 その初めてがこんな場面で、こんな物言いで。

 違う。これは告白なんて甘酸っぱい物じゃない。何かもっと生々しくて、もっと本能剥き出しの――


 わたしの意志を完全に無視し、目の前で繰り広げられる親子喧嘩に対する怒りが、押し潰されそうなほどの不安と恐怖とを押しのけた。


「寄ってたかって勝手なこと言うな! わたしがどうするかはわたしが決める!!」



「少し考えさせて」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884676877/episodes/1177354054884679712

「本宮にはちゃんと出ます」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884676877/episodes/1177354054884680600

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